社会学の部屋にようこそ!

はじめに

社会学とは簡単に言えば哲学と経済学を足して2で割った学問です.私も文系の知識に関しては初心者なので,十分では無いと思いますが,この世の中に起こっている問題について,近代ですでに言われていることを中心に述べたいと思います.

人間が狩猟民族だった100200万年に比べて,農耕を中心に生活するようになったのは,たった7000年前です.ここから人間の不幸(不平等)が始まったと,ルソーは言っています.またすでに人間の文明は,農耕社会になったことで終末に向かっているという考えもあります.だからといって昔の生活に戻ろうとするのは不可能です.しかし,できることなら少しでも解決できる糸口が昔の偉人の考えから見つかれば良いのではと考えています.人の考えることも文字が発明されてからは急速に発達しましたが,ギリシャ,ローマ時代でほとんどの人間に関しての人間の考えることは出尽くしているため,それから後はほとんど科学の進歩しかありません.

アメリカのように科学の進歩ですべてが解決するという考えでは,表面的には幸福そうに見えても,社会全体で見てみるとどうでしょうか?いろんな矛盾や問題が見えてくるのでは無いでしょうか?

小泉首相は日本もアメリカのようにうわべの経済発展でさらに個人にお金が回ってくれば幸せになると思っていますが,お金がたくさんあれば,家事を他人に任すことができますし,稼がなくても良いなら,余暇に旅行したりすることもできます.でも,それを任される人たちはどうでしょうか?人の家の家事も行い,自分の家の仕事も行い,それでも生活は楽にならない.みんなが遊んでいる休日も働かなくてはいけない.つまり,国にあるお金が一定なら,儲かる人がいると損をする人もいるわけです.日本にお金がたくさんあれば,他の国ではお金が減っています.

お金によって人は自由になりますが(お金があればある程度のことなら何でもできる),しかし,それが人間を孤立化させています.昔ならカースト制や士農工商で身分と富とはほぼ平衡していたのです.

ルソー以降,法律と社会制度が整備され,人は安心して生活できるようになったはずですが,それが成立して時間がたつと,逆に自分たちの生を拘束するものとして力を増しています.今がその時代で,何でもかんでも法律を作り,道徳や風習や常識や宗教的なことまでも,最初に法律ありきとして,人間は自分の文化(またはそれを作った国家)に奉仕しなくてはならなくなります.また、その政策を進めるために大衆には平和、防衛、自由、福祉、独立、繁栄という言葉を挙げて喝采を浴びるが、これは法による監獄国家の始まりである。

 

壮年会の役割とは

1.同年代の友好や社交の場

2.町内会の下請け

3.社会奉仕活動

 

問題点

1に対して:同地域に住んでいる多くの人が参加していない会で地域の友好、社交といえるのか?成人になっても青少年のような友好や社交をする必要があるのか?社交的でない人や忙しい人に対して批判的なことが陰で言われることはないのか?また同じ地域に住んでいると言うだけで、生まれた環境も考え方も職業も違う人々が同じ目的に対してまとまれるのか?戦前の国民教化のために結成された青年会や処女会や婦人会が起源であるが同じ意図なのか?

現在の壮年会のメンバーは戦前の市民といわれた旧中間層(自営業、地主など)であるが少人数であり、新中間層(サラリーマン)の人数は多いが、戦後の貧困からの回復で自己の小さな幸せに満足して外には興味がわかない。(それはそれで良いことですが、世の中で起こっているよくないことに気がつくのが遅くれ、それまでは保守的な考えになる)

 

2.壮年会を自治会の下請けと考えた場合、自治会の問題点を当てはめるとよくわかると思います。自治会に入らない人が多いと言うことは、自治会が無くても不自由なく暮らしていけることの証明です。それは地方自治体が昔の自治会の役割を肩代わりしているためである。今や地方自治体の下請けが町内会であり、国からの通達に従い更に下へその命令がつつがなく送られるようにするのが今の状態である。国家の命令が隅々まで行き届くようにするために戦前にできたのが自治会(かつては共同生活には不可欠な小自治体であったが)である。しかし、そこから外れても生活できる都市化された現在では単なる自治体の連絡雑用係である。反対に下から上には要望や意見が届かない。

 

 公民館からの要請によって、この時代の成人にいまだに生涯教育と称した教育に協力させようとしていますが、大学進学率が50%を超えている時代(専門学校を含めれば75!)には官僚の独善主義にしか見えないし、そこには国民を教化して統治しやすくする意図がうかがえます。有事法制後、防火訓練と称した国民を総動員した活動が見られ、今後憲法の一部を停止することができる法案が通れば、有事には国のやり方に反すれば処罰され、基本的人権がおかされるおそれがあります。

 一人一人が市民としての自覚を持ち地域に何が必要かを考える時期に来ていると思います。町内会の役員を引き受ける人がいないのは昔と違い、会長には法的な力も統率力もなく、いわゆる市長や村長のようなやりがいも無く、町内でのもめ事や生活困窮者に対して解決できる力を持っていません。現在の町内会の状況がわかっている人なら、もし問題や心配事があれば市民相談窓口へ行くはずです。

 現在の自治会は目的がはっきりしない地域のまとまりと考えられます。人間は不安になるとまとまって行動しようとしますが正しい方向に向かえばいいのですが、自分で考えることなくデマや噂に影響されれば間違った方向に向かい、たとえば戦時中のように特定の人々に対する迫害や最近でもオイルショックの時のような混乱も起きます。ムラ社会から都市社会変化は人間で言うなら大人の社会になるということです。まずそのためには憲法を知ることが重要だと思います。

 

3については、元々奉仕活動は強制じゃないのですから、考えの同じ人が自主的に行えばいいと思いますが、出欠を取ってまで行う目的はみんなでまとまって行動することを強要しそれに外れるものを排除することになります。これが戦前の国を強くするための明治政府が行った富国強兵のための全体主義の考えが未だに残っている例だと考えています。いまや時代はムラ社会ではなく、自分で考えて行動する大人の社会です。大きな社会奉仕活動はNGOや市民参画し実施されるべきものだと考えています。

 

今後の展開

1.町内会、壮年会の見直し。残すにしても町内会は連絡会など、また壮年会は補助金を使った文部科学省社会教育局→県の社会教育課→市の公民館の指導から離れた自由な市民活動を行う。

公民館の役割の見直し。成人を画一的に教育する必要は無い。また、体位向上のための区民体育会も必要がない。各講座もテレビ以上のものが得られないし、平日の日中に出かけられるのは一部の人である。場所の貸し出しのみ残す。つまり補助金をエサにした文部科学省から押しつけより、自治体主導の自由なコミュニティーセンターにした方がよい。

 

2.かわりに市民参画を増やし、自治体に積極的に働きかける。たとえば、太い道路やバイパスを造れば旧道沿いがさびれるのは当然。また、8号線沿いに郊外の大型ショッピングセンターの出店許可をしておきながら駅前活性など矛盾した予算配分が多い。相変わらずの多くの樹木を伐採する植樹祭の矛盾。最近では市と県がガソリンの暫定税の撤廃に反対の意見を国に提出した例も、あらかじめ市民の意見を聞いませんから、自治体は市民を無視していることの表れだと思います。

 

3.町内会でできることは無くなりつつある、それよりも地域の実情にあった行政を目指すよう働きかける。一般に公務員は近くのことはよく見えるが全体像が見えていない。つまり市民じゃなく国を見ている。憲法には前文に国民主権を述べ、第15条に公務員の選定と罷免権を持っていると書いてあるにもかかわらず、それを実行できないと国民を軽く見ているからです。私見ですがコンビニや24時間営業のスーパーは便利なことには間違いないですが、深夜営業は非行や犯罪の温床になり、またそこでの夜間労働は条件が悪いわりには低賃金のためパートまたは能力の低い低所得者が雇用されることになり貧富の差を生んでいます。これも市民の力で改善できることではないかと思っています。

 

ちなみに、地方自治体から町内会に頼み事として市政だよりなど広報紙類の配布、町内会育成奨励金など補助・助成金の受け皿、国勢調査員や民生・児童委員、選挙立会人の人選ごみ集積所の管理やバス停変更の調整など。市政だより、市議会だより、県政だよりの配布には、謝礼金(一部7―10円)が支払われる場合もある。だが、健診の案内ちらしや火災予防運動のポスター・ちらしなど無償で託される配布物も多い。やはり町内会が独自に考える仕事よりも指示される仕事が多い。

文責 黒川泰資

(2008127日、日の出地区壮年会協議会で配布)


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