長阿含経
第25経 苦行について
ある時、お釈迦様が鷲峰山に滞在しているときのお話です。近くにあるウドゥンバリカー林で修行をしているニグローダという者が、お釈迦様の悪口を言っているとうわさに聞きました。なぜ自分の悪口を言うのか知りたくなり、その修行者に会いに行きました。
その修行者は、多くの弟子たちや仲間と大きな声で世間話をしている所でしたが、お釈迦様の姿を見ると雑談を止めて、お話することにしました。
「私は長年、苦しい修行をして、また、多くの人と交流して、多くの人と語り、たくさんの人から尊敬を集めています。人里離れた場所に住み、人との交流を避けているあなたは、十分な修行はとても無理だろう。」
と言いました。
お釈迦様はそれに答えて
「たくさんの人のいる前や、たくさんの人と語る時、その修行者は大きな落とし穴に落ちます。つまり、もし他の修行者が同じことをして、多くのお布施をもらったり、人気があると妬みます。更に完全な修行をしていると思って、自分が完全だと思い上がります。人から褒められ称賛されると、他の人を軽蔑します。やがて称賛されるのが当然だと思うようになります。苦行が辛くなると、苦行をせずに楽に暮らしている人へ怒りと嫉妬の気持ちが現れます。そして、自分の苦行を多くの人の前で見せびらかしたくなります。それから、称賛を得たいが為に、隠し事をし、故意に嘘をつくようになります。また食べ物にも好き嫌いが強くなり、好物に執着します。
そのような修行者は、偽善者であり、意地悪であり、嫉妬深く、けちであり、悪賢く、ペテン師であり、意固地であり、高慢であり、欲深く、間違っていると知りながら、自己の主張を曲げません。」
修行者たちは黙り込み、一言も口をきけませんでした。
お釈迦様は続けて言いました。
「私は弟子を増やしたいとか、教団を大きくしたいことを考えて言っているのではありません。ニグローダよ、あなたは、ここの弟子たちの先生のままで良いのです。あなたの教えが、清浄になればそれで良いのです。」
そう言って、鷲峰山へ戻りました。
*現代のみなさんの生活に苦行はかけ離れたことだとお考えでしょうが、何かの目標に向かって頑張りすぎることであり、人との競争や富の集積や地位に躍起になることだと考えればわかりやすいです。