雑文 3

このコーナーが始まって、ずいぶん時代は変わったけれど、
一番変わったのは自分かな?

知識の整理と習作として、書いています。

177. 子供の育て方 (2022-03-01

176. 好き嫌いをなくそう (2022-03-01

175.2022年 年賀状のクロスワード問題2021-12-27

174.  10代の反抗期とうまく付き合うには(2021-09-17)

173. ドクターヘリ(2021-06-11

172.自由と平等(2016-10-18

171.子供自慢(2013-12-19

170.医師への返答の仕方(簡易版)(2013-08-05

169.○○○の会(2013-07-04

168.未熟な親 (2013-06-18

167.ふとる男、やせる女2013-05-17

166.ダーウィン説2013-03-08

165.コントローラーズ2013-02-21

164. 精神分析と政治家2012-12-18

163. メイド・イン・チャイナ(2012-12-06)

162.躾と潜在意識2012-11-29

161.大脳皮質と人間活動2012/10/15

160.日本維新の会2012/10/09

159. エントロピー(2012-06-23)

158.愛国心について2012-03-27

157. 手術の成功率と薬の効果について(2012-03-26)

156.町内会と犯罪2012-02-21

155.経験と科学2012-01-19

154.おまじない2011-11-25

153.無題2011-11-22

152.性格の不一致2011-11-19

151.流行と記憶力2011-11-07

150.量子哲学2011-11-05

149.逆転する?2011-10-11

148.免疫と癌2011-10-08

147.だいたい、代替療法というものは(2011-10-07)

146.取説2011-09-22

145.リサイクル2011-09-16

144.ボランティアの心理2011-09-13

143.貧富の差について2011-09-12

142.いい子病2011-09-06

141.免疫抑制剤2011-09-02

140.医療費の削減のために考えてみた2011-08-30

139.男社会、女社会2011-08-26

138.講演会の工夫2011-08-25

137.精神的に健全な人の特徴2011-08-23

136. 寡頭制と民主制2011-08-23

136.リビドー2011-08-17

135.車と運転2011-08-16

134.芸術論2011-08-15

133.閑暇(かんか)随想2011-08-13

132.麻薬中毒(こども版)2011-08-09

131.麻薬中毒2011-08-08

130.相対的貧困率2011-08-02

129.スポーツ論2011-07-28

128.自由がない2011-07-09

127.うつ病と物欲2011-07-08

126.物心2011-07-07

子供の育て方

 事件が起こると、いまだに小さい頃の育て方が悪かったからこういう人間になったという意見がある。フロイトが言うには子供の頃の経験ですべてが決まるらしい。大衆の間ではいまだに根強い考え方だ。精神科医にしたらとんでもない話らしい。兄弟で同じ家庭環境に育っても全く違う人間になるし、つまりは自己責任になるわけである。自己責任イコールDNAと言うことになるが、結局、親の遺伝子を受け継ぐから、親の責任になるわけだ。殺人は親の責任かもしれない。凶悪なDNAを改変できれば親責任論はなくなるわけで、もしくは家系やDNA解析で、将来犯罪者になる可能性が高いヒトは治療を義務づけるなど予防方法はある。もしくはあきらめることが最終的解決策になる。ヒトはあきらめないから悩む。私も治せないわけじゃないけど患者にはあきらめることを勧めている。とくに性格を直してほしい、定年後を充実したい、親の貯金が少ない、自分の貯金が少ない、妻に恵まれない、夫に恵まれないなどあきらめることで解決することが多い。つまり高望みしすぎるから悩むのだとおもう。

 

 

好き嫌いをなくそう

 子供に嫌いなセロリを食べさせるために色々な工夫を紹介する番組を見ていた。でもそこまでしてセロリを食べさせなくてはいけないか?恐竜は親から「石ころを毎日、10個食べること」と言われなくても、食べていた。酒を飲めとは言われなくても、アル中になる人が居るし。正しい生き方、正しい食事は自分で決めれば良いし、自分が納得しないことをやっても後で後悔する(何をやっても後悔するが)。健康に良いから、安売りされていたから、残ってしまったから、道徳的だからで、食事を決められても困ってしまう。いいものを食べろと言われても、答えようがない。いい食べ物とは美味しいものなのか、カロリーの割りに安いものなのか、長生きできることなのか答えようがない。その人自身が納得してたべるしかない。

 ちなみに私は好き嫌いがない。高級料亭の弁当だろうが、有名店のステーキだろうがこだわらずにいただいている。こんな風に自己主張せずに好き嫌いが無いと言うことは謙虚だからだ。加えてハンサムなせいもあると思う。

 

 

2022年年賀状 クロスワードパズル問題

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タテの欄

1.英語と日本語が上手に話せます。

2.年越しに沖縄では○○○○○。

3.ミカン科の常緑低木樹。

4.ゆるキャラ2011年グランプリ。

5.急降下すること。

 

ヨコの欄

1.和音で演奏すると、音楽に奥行きが出ます。

4.出過ぎると打たれます。

6.抗がん剤、免疫抑制剤として使われます。

7.小浜湾を観光船で○○○めぐり。

8.子爵の下。

9.ほうれん草に多い。植物が紫外線防御のために持っている。

 

 

10代の反抗期とうまく付き合うには

 

 

 青少年の反抗期にうまく対処できない場合、犯罪や、自我の確保の困難さから閉じこもりに至るケースが多い。賢い親だからうまく育てられるとは限らない。青少年の自己尊重やグループ内の順位をうまく管理対処できる親が成功するのである。論理的に若者を説得(将来のために勉強をしろ、悪い仲間と付き合うな、ゲームばかりするな、ジャンキーなお菓子を食べるな等)してもうまくいくのは中学1年生くらいまでである。それよりも、ゲーム会社や製菓会社の社長は自分の子にゲームをさせないとか、ジャンクフードを食べさせないという話をした方が効果的である。とくに成熟度の高い若者ほど、このやり方が効く。「黙って大人の言うことを聞いておけば間違いない」と上から目線の説教では逆効果である。社会的、人間的成長はゆっくりであるが、感情や報酬や仲間意識は急速に発達するため、それらを考慮して相手を尊重するアドバイスが有効である。言い方を変えるだけで大きなプラス効果が得られる。青年期こそやっかいな期間と考えず絶好な時と考えるべきである。

 3歳までに余分な脳神経の刈り込みが行われるが、青年期に再び刈り込みが行われる。このような時期は学習の好機でもあるが、悪影響を受けやすい時期でもある。その結果、酒や薬物は若いときから始めると依存症になりやすい。

 若者には保護的支援が必要であり、また社会に貢献することで自分に価値があると感じることができるようにする。貢献する相手は、家族や仲間、もっと大きな社会でも良い。

 若者の自殺を避けるには、視聴するドラマは解決に向けた話題の方が良く、考え込むような話題は避けた方が良い。オンラインオフラインの友達も悩みを解決を手助けするより、問題をあおっている場合があり不都合なことが多い。

 介入する時期であるが、問題の起きる10代後半ではすでに遅く、早期から些細で持続的な介入が望ましい。3歳までの脳の可塑性は、思春期に再び起こるのであるから。

まとめ

1)若者はステータスと敬意を求めている。

2)なにかに貢献し目的意識を示す必要がある。

3)適しているのはボランティア活動で、それも決められた活動では無く、自分たちが考えたもの。

 

 

 

ドクターヘリ

 

 福井県で2021524日から、福井県単独でドクターヘリを運用できるようになった。それまでは岐阜県のヘリコプターを借りていたため、月に1回程度の運用であったが、今や一日に3-4回の出動がある。自分の医院の近くに県立病院があるため、かなりの騒音を発する。運用は日没までとなっているが、日によっては暗くなっても飛んでいることがある。県立病院は住宅地にあるため、住民の中には騒音について不平もでている。自分としては、事故で亡くなることを覚悟の上で、勤務する人たちに尊敬の念を抱く。乗り込んでいるH医師と顔見知りのため、なおさらである。ヘリコプターの事故率は10万時間(11年間)に1件で、意外にも飛行機より少ない。

 使われている機種は川崎重工製BK117C-2で、メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム社との共同開発である。ローターの大きさは11m、重量3.5t、航続距離700km、テールローターはフェネストロン(騒音が低い)ではなく通常タイプである。価格は4.7億円(米国)、ターボシャフトエンジンで1100hpである。

 

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 自由と平等

 

 元小学生(元幼稚園児でも良い)の私が現役小学生と対談(立ち話)したら,ずいぶん様子が変わっていた.おなかが出ていないとか,近所を歩いても膝が痛くならない以外にも,噂によれば夏休み中の登校日が無くなり,ラジオ体操が強制ではなくなったらしい.それから,給食で嫌いなものがあると,無理に食べなくてもよいことになったらしい.元小学生()は好き嫌いがなかった(空腹だったからかもしれない)からそれについてのメリットは無い.昔,ちょっとしたお金持ち(会社の社長,幹部,会社の部長,自営業,金持ちといえば,これくらいだったと思う)の子供が読んでいた「小学○年生」や「たのしい○年生」が次々と休刊になっているところをみると,子供の興味が多方面に向いていることがわかる.私は親が買ってくれないから借りていたが,月遅れだった.そのあとに借りる奴は2ヶ月遅れだった.いつの時代にも下には下がいるものだ.最後の奴はもう返さなくても良かった.考え方を変えれば,読み終わった本を借りるのじゃなく,自分の本を先に読ませてやるということにしてもよい.所有物の定義はいろいろある.名前を書いてあるとか,お金を払ったから自分のものだとは限らない(土地や貨幣には名前が書いていない.盗品の場合,お金を払っても自分のものではないなど)

 広く浅くではなく,狭く深く知識を求める子供が増えている.しかし,その嗜好がアスペルガーに似ているのがやや気になる.広く浅く知識を持っていないと友達は限られてしまう.以前は学年が違っても,みんなが楽しめる遊びを考えて一緒に遊んだ.町内でも10人以上の友達とかくれんぼや鬼ごっこをした.雨の日や女子が多い時にはおままごとや折り紙や草で首飾りを作ったり,将来,内職に役立ちそうな遊びをした.初めての頃はつまらなかった.おつきあいでも,熟練すればだんだんと楽しくなっていくことをそのとき学んだ.

小学生の集団登校も徐々に減っているらしいが,車を持っている家庭では(田舎は全員車を持っている)直接学校へ親が送り迎えしているらしい.同年代で,同じ趣味で,同性で友達を選ぶから親しくなる度合いは大きいが人数は少ない.町内に住む全員の子供の顔や性格,親の職業,親の性格,兄弟がいるか,兄弟の性格,兄弟の通う中学や高校まで知っていた昔とは別世界のようだ.

 個性が豊かになっていろんなことにこだわる人が増えているのに,貧乏やブスにこだわる人がいないのは不思議である.社会とマスコミは未だに給料や知名度や地位,女性だったら美容にこだわっている.お金にこだわるなという人も増えているが,実際はこだわる人が多い.だから宝くじの賞品が現金だと思う.賞金の代わりに勲章や賞状を上げたらどうか?「あなたは何度はずれてもくじけずない冒険心にあふれた人です」とか,「あなたはついている人です(この夏は)」などを書いてあったら喜ぶかもしれない(怒ることもある).

 価値観が多様化した人が増えているのに,世の中の価値観は変わっていないとなれば,貧富の差が広がる気がする.子供の頃に個性を出すように教育され,成人したら梯子を外されるのはいやなものである.そう言えば中学高校のマラソン大会も競歩大会と名前を改められ,ハイキングみたいなものになっている.長距離走が苦手だったモトショウ(短縮しました)には,うれしい変更である.

あー,今の小学生になりたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供自慢

 

 同い年のおじさん(私を含む)が集まると子供(私を含まない)の将来ついて話題に上ることがある.親は子供の成長に合わせて、人生の四季を感じるらしいから、ちょうど今は秋ぐらいかな.話題は有名校に合格しただの、大手企業への就職が決まっただの、東京で官僚になったという自慢話が多い.自慢にしたいのはわかるが、物理的に偏差値や給料の高さや退職金の金額など数字に表せる場合だけ自慢している.その人たちにとって、子供の優しさや誠実さ廉直さなど数字に表せないものは、自慢には成らない.

 ある知人の娘が石川県で有名な医学部に入ったが、跡継ぎにするつもりが、仕事があるからという理由で福井には帰ってこないらしい.親にとって成功した(と思っている)子供は家に寄りつかないみたいだ.親は子供の成績だけに気を取られて、他の人間の部分は見てこなかったのでしょう.

  外来で、息子から雑誌(毎月、模型の部品が付録になっている)の定期購読のプレゼントをしてもらい、「ハーレーダビッドソンの模型をくみ上げたんだ.」と、その写真をくれたおじさんがいた.自分の周りの自慢好きに比べて、聞き入っても心がモヤモヤしなかった.


 自分の魂に通じた倫理もないのに、聞いたような浅薄な倫理観で他人を説教する人に限って、息子ならしっかりしてほしいから厳しく、娘ならかわいがるという育て方をする.特に父親に権力と金が集中していると、家庭内の母親の力が弱まる.すると躾の厳しさと大目に見るというバランスがとれない.甘やかされると、子供の忍耐力が低下するので、将来的に継続して働くことや、女性の場合は結婚に尻込みしてしまう.男女どちらもある程度はしっかりすること(=自立すること)は必要だと思う.

 

 厳しい家庭でも性格的に切り抜けられる子供なら、自分で人生を切り開いていける...ただし、両親とは疎遠になるだろう.もし感受性が高い子供の場合、行動に矛盾を起こすような躾(子供に家庭で守るべきルールを科しながら、親自身はそれを守らないなど)を繰り返されると、不安神経症や統合失調症に陥ってしまう.その場合、ニートや犯罪へ走る可能性がある.

 

 人ごとだけど、確かに子育ては難しそうだ.しかし、人間を育てるという崇高でやりがいのある仕事は他には無いと思うけど.

 

 

 

 

 

 

師への返答の仕方(簡易版

 

 突然、医者から聞いたこともないような検査や治療を勧められて、どう答えたらいいのか困った場合について考えてみる.「主治医の機嫌を損ねる.」とか、「私には全く知識がないし、怖いけど言われるままにしよう.」なんて悩む人が多いと思う.そういうときには大抵、「一度帰って家の者と相談してみます.」と言葉を濁すことが多いようだ.しかし、家の者と相談しても家の者が医者じゃない限りその判断は出来ないのである.

 

医者が怒り出さないか不安?

 それよりも、その治療や検査に関してわからないことを素直に聞いたほうがよい.「常識だからバカにされるかも?」と思っていることでも、率直にその検査や治療の長所と欠点を尋ねると良い.ただし、医者も人間だから、自分が不安に思っているところを指摘されると、不安を悟られまいと、怒り出す医者もいるだろう.そこで、めげないで、相手が怒り出すのならたぶんその治療についてはあまり自信がないのだろうと考えることだ.日本人は親から怒りの感情を表に出すことを抑えるようにしつけられているので、怒っている人を目の当たりにすると平常心でいられなくなってしまう人が多い.怒っているのはその人の心の中にある不安や恐れが原因である.ただ「わかりました.」と冷静に対処すればよい.その後、別の医者に相談するのが良いだろう.無理に医者を怒らせる必要はないが、その医者が不安に思っている分野がわかる.

 

うわさに注意

 慢性肝炎にインターフェロン治療を勧められたとき、噂ではとてもつらいという話を聞いていたとしよう.治療に対して迷うときには、その副作用は命にかかわるのか聞くこと.実際、発熱や体のだるさや脱毛などの副作用なら耐えられるのである.

 医者の年齢によっても、対応は変化する.30-40代なら、理想主義だから、とにかく新しい治療や手術(症例が少なく、製薬会社の高額な開発費の回収や、医者のキャリアアップのために成功を強調しすぎている)を勧めてくるだろう.自分の周りに相談できるかかりつけ医がいれば、その医者に聞くのが良い.50-60代なら、医療の限界について理解しているので、最先端の治療や手術を勧めることは少なくなる.

 患者から質問することは1つだけにしぼる.副作用や手術が失敗したときの結果(後遺症が残るのか?死亡?)現在、致命的な状態じゃないなら、後遺症を残したり死ぬことのある治療はお断りした方が良い.

 

 医療はサービス業だと言われているらしいが、私はその考えには同意できない.病院の経営を続けていくために、必要のない、もしくはあまり効果のない薬や検査や手術を行っている医者や病院は、患者を増やして満足度を上げればいいわけだから、商売と考えても良いだろう.ところが、快い治療ばかりを行えば、医療はエステ、美容院、レストランと同じレベルになる.それに税金を使うのは無駄だ.

 

私立病院や開業医で気をつけること

 サービスの良い医療機関(財団法人、私立、開業医に多い)とは少ない投資(サービス)で多くの利益を上げようとする.確かにそういうところは医療事故を起こすことは少ないかもしれないが、不必要な治療をされることが多い.以下の手術や検査は勧められたら一度考える必要がある

【ほとんど必要のない手術】

冠動脈バイパス手術

【あまり必要のない検査】

冠動脈造影

マンモグラフィー(偽陽性が多く、手術になってしまう。被爆量が多い)

【あまり必要のない手術】

腰の手術

帝王切開(産婦人科で1番多い手術)

子宮摘出術(産婦人科で2番目に多い手術、一緒に行われる卵巣摘出術も)

扁桃摘出術、アデノイド切除術

頸動脈内膜剥離術

狭心症発作に対するカテーテル手術

椎間板切除術

【あまり必要のない薬】

抗コレステロール薬

抗うつ剤

【不必要な場合が多い手術、治療】

前立腺肥大の手術

胆石手術

白内障

ヘルニア(脱腸)

癌の手術

化学療法、放射線治療(癌は治っても、副作用のため生存率は変わらない.統計上は他病死は除かれるので、治療成績が良いのである.)

 

大学病院や公立病院で気をつけること

 反対に公立病院、大学の付属病院では、医者のキャリアアップや注目を浴びるために危険性の高い手術や検査を選択する.やはりここでも患者が質問することは一つ.

 患者「その手術(検査)で後遺症や死ぬことはありますか?」

 医者「それはゼロとは言えない.」

 患者「では、死ぬこともあるのですね?」

 医者「だからゼロとは言えないと言っているでしょ.でも、滅多にないから大丈夫です.」

あなたが1年以内に死なない状態なら、その治療はやめた方が良いです.

また、手術は一般的に都市部の病院や中央の大学病院の方が上手である.しかし後遺症に関してはそれほど差がない.従って、手術の上手下手は治療効果に現れるが、不可抗力である医療事故や後遺症については発生率には差がない.

 

誠実な対応とは?

 医療訴訟が当たり前にマスコミで取り上げられるため、医者の方は徐々に患者の訴えに対して正面から取り組めなくなっている.複雑な症例(患者の性格、難病など)では、必ず逃げ道(他科や他の医療機関)を残しておかないと対応できなくなっている.しかし実際の医療訴訟では患者側が勝訴する確率は訴訟件数の増加に伴って、低下してきており、約30%である.それでも、医者は訴えられることによって、評判の低下、裁判による時間的、精神的、金銭的負担があり、非常に恐れている.M3の医療者たちの掲示板を見ても、誠実な対応だけでは、医院経営は出来ないという意見が多い.医学は確かに進歩しているが、それ以上に患者の期待が高まるために、患者の不満は高まっている.以上のことを考慮に入れれば、医者に多くのことを期待するのは無理がある.ある程度、自分の病気の落としどころを考えておくと良い.例えば、原因不明の腰痛で整形外科をかかったとしよう.医者がMRIを撮影して「腫瘍もヘルニアも骨折もないから大丈夫ですね.」と言われたが、自分としては腰痛があるのだから何とかしてほしいと思う.それで医者は痛み止めとビタミン剤で様子を見ることになるのだが、患者は不平を貯めたままである.勝ち気な人なら「痛みの原因は何ですか?」と聞くが、医者も「わからない」としか言えない.つまり、ここで医者に不平をぶちまけても何の解決にもならない.相性が良くないようなら、他の医者に診てもらうのがよい(これは日本の医療のすばらしいところである.外国では指定された医師以外は見てもらうことが出来ない).そこでも同じ診断なら、この病気と長くつきあっていくしかない.

 

医療に望めること

 医療は原因がわからなくても、つらい症状を取り除くことは出来る.その場合は最先端の薬や手術は必要がない.漢方薬などの代替治療がいいかもしれない.近年、遺伝子組み換えで微生物に作らせた医薬品がもてはやされているが、分子量が大きいのでアレルギーや未知の副作用が懸念されるため、適応に限界がある.また医薬品の新製品は必ず以前の薬より効果が高いことが約束されているようだが、効果判定で良い結果が出るような操作が大学で行われていたことが、最近、ニュースになった.昔から製薬会社のデータの操作や医者や関係官僚への賄賂(治験費、研究費、協力費と名前を変えている)があるのですべてを信じることは難しい.これより導かれる患者の対応として、新しい治療や手術にはすぐに飛びつかないこと.例えば、近視治療としてRKという角膜を放射状に切開する方法が20年前にはやったが、すでにこの方法は術後にグレア(まぶしさ)があったり、長期的に遠視が進行することがあるため最近では全く行われていない.致命的な病気でない限り、新しい治療に関して少なくとも10年は様子を見るのが良い.華やかに見えた最新治療も10年ほどしたらほとんど残っていないのが実情である.

 人類の平均寿命の延長は、ほとんど公衆衛生の向上と栄養が良くなったからである.医療が果たした役割はとても小さい.ところが、人類の平均寿命が倍になったのは現代医学の進歩のおかげだと考えている医者や一般の人がとても多い.たとえiPS細胞で臓器移植におけるドナー不足が解消されても、ほとんど平均寿命は延長しない(ただし、医療にかかるお金は倍になりそうである).以上のことを考慮すれば、医者との返答はおのずと現実的になる.夢のような治療を期待し、期待させるのは、お互いに不幸である.

 夢のような治療があるように思わせながら、実際にはそのような治療もなく、医者も防衛的になっている現在の状況は歴史上恵まれない時代かもしれない.ただ治療ができなくても、患者の心の痛みや不安、恐れをケアすることは出来る.本来はそれを行うのが医者の役目だと言える.宗教家のように神を信じて、死後の世界へ旅立つことを恐れない信仰心を持てる人は幸せであるが、信仰を持てない人も多い.そう言う人には、医者が宗教家の役割を果たすのでは?と考えている.心理学的に病める人の心を癒すことが出来れば申し分ないが、やはり完全に治療を捨て去るのは医者も患者も難しい.特に若くして難病や不治の病に冒された人には、なかなか納得できないだろう.長い人生経験、つまり年を足らないと、現世をあきらめることは出来ないのである.

 

一つの治療に固執する医者の場合

 一つの疾患に対して、医学的に一番良いと言われている治療が医学雑誌や論文やガイドラインとして表に出ている.そのため、それ以外の治療を選ぶ医者は藪医者だと思われている(法曹界でもその風潮があるので、医者は訴訟を怖れてなおさらそれ以外の治療が選択しにくい).たとえば慢性肝炎に対してインターフェロンしか治療の選択枝を持たない医者がいるとしよう.その場合、ダメ元で「それ以外の治療はしてもらえないでしょうか?」と聞いてみるのも良い.「それしかない.」と言われたら、「それ以外の治療をしてもらえる医者を紹介してほしい.」と頼んでみる.運が良ければ(その医者に知識と経験があれば)、肝臓の専門医を紹介してくれるかもしれない.運が悪ければ、自分で探すしかない.

 

 

 

                                (つづく)

 

 

 

 

○○○の会

 

 一般に人間は年を取ると性格が丸くなるらしい.亀の甲より年の功」なんてことわざがあるにもかかわらず、高齢者の中に自己中心的な人が目につく.そういう人は若いときから自己中心的な性格であろうしかも自分の性格に悩むことがない.裕福な家の場合、見かけの立派さから、人格的な欠陥を隠すことが出来る.親がお金持ちだと一生懸命働くことが無い.それは、性格的問題によって就職しても長続きしないからである.さらにその性格的欠陥が強いと、犯罪に手を染めることになる.運悪く(運良く?)捕まれば、少年院または刑務所に送られ、矯正のための教育を受けて、ある程度真っ当になって社会に戻ってくる.しかし、親が地元の名士だったりすると、不祥事は揉み消されることが多い.また働かなくても生活には困らないから、家でぶらぶらしていても、肩書きは不動産の管理会社の専務でも名乗っておけば、無職という世間からの批判からも免れる.つまり、裕福でわがままな人間は、矯正されることなく、その性格のまま老人になるのである.

 自己中心的性格とはむら気、責任感の欠如(自分に都合の悪い出来事があると人のせいにする、もしくは人を責める)、攻撃的、セックスを好む、反省をしない、パートナーに飽きやすい、初対面では非常に人当たりが良い等の特徴がある.また男性に多く、女性の2-4倍である.そういう人の中には社会的には成功している人もいるが、ほとんどの場合、プライベートな環境では家族への暴力、乱暴な車の運転(反社会的行動の一つ) 等の特徴がある.情緒的なことに興味がないため、家族はとても苦労をする.成人すると子供達は家に寄りつかない.真っ当な職業を続けている人の中に自己中心的な性格の人は少ない.また、外見的なスマートさや知能の高さでうまく自分を隠すことが出来るので、女性は関わり合いにならないように注意が必要である.

 芸能界やスポーツ界や政治の世界には、自己中心的な性格でも通用するどころか、攻撃的な性格が返って成功につながる場合が多い.たとえば、サダム・フセインは暴力的で非常に利己的な人であり、目的のためには手段を選ばないことが彼の出世を早めた.OJシンプソンもスポーツ界で非常に成功した人だが、少年時代から暴力的で犯罪歴があった.攻撃的な性格がフットボールでは都合がよい.最近、亡くなった日本の俳優の自叙伝を読むと、自己中心的性格から離婚歴が多く、虚言、パラノイヤなど人格障害が疑われるが、それが個性になり芸能界では成功している.

 

 

 

 

未熟な親

 

 核家族化の弊害が言われて久しいけれど、本当の問題は育児などのテクニカルな問題ではないと思う.子供にとって、親は最初に経験する人間関係であり、圧倒的に親の力が強いので、子供にとって親は神のような存在である.親子関係とは一般社会における人間関係とは非常に異なった不平等な関係である.しかも、親はせいぜい20代から30代の若者である.未熟な人間が絶対的な力を持った場合、独裁者の国(身近では北朝鮮を考えもらうと良い)の様子を見ればわかるように、本音と建て前が使い分けられ、外面に異様にこだわり、国民(家族)は自国(家庭)の悪い部分を必死に隠そうとする.上からの意見を通すために、取り締まりが暴力的で密告社会で、上の人たちにたてつくことは出来ない.逆らえば、「社会的に通用しない」とか「それでは食っていけない」「生きて行くには悪事も仕方がない」と国民を教育する点でも独裁的な家庭とよく似ている.

 その場合に、昔なら精神的に円熟したおじいちゃんやおばあちゃんが、間を取り持ったり、親に忠告したり、子供の味方になったり、家庭の雰囲気が良くなったのである.親が不在の時に、子供の面倒を見るのがおじいちゃんやおばあちゃんの重要な役割ではなくて、家庭の中の風通しを良くして、家族全員を精神的に成長させていくことが重要な役目だと思う.ただし、おじいちゃんやおばあちゃんが発言権を持つにはそれなりのお金を持っていることが必要だ.子供達に生活の世話になりながら、強い意見は言えないのである.おじいちゃんおばあちゃんは、同居するからと、子供達にお金を全部使わないで、自分たちのために少し貯金を残しておきなさいということ.

 

 

 

 

 

 ふとる男、やせる女

 

 これまでに心理がいかに人生に影響を与えるか述べてきた.さらに健康についてもすでに判明していることを証拠にこの理論を進めてみよう.日本では、戦後の食糧難の時代を知っている世代は、70代半ば以降だが、現代の家庭では、その人たちが威厳を持って孫やひ孫に意見を言える時代ではない.そうなると、両親や祖父母から「たくさん食べて健康になりなさい」と教えられたと言うより、男の場合は心理的に強く大きく見せたいためにたくさん食べ、結果として肥満につながる.女の場合は適齢期には少しでも美しく見せるためにダイエットに夢中になる.かくして他人の目を意識しやすい10代後半から230代の男女は、女は痩せ、男は肥満という栄養学的にはどちらも偏った状態になる.

男の場合は、結婚後も他の男に比べて大きく強く見せたい願望が、 ー 特に社会的に出世のできない層に多い.社会的に上に属する人たちは体格で自己をアピールしなくても良いからである ー その後の肥満につながる.多くの医者や公衆衛生学の先生はストレスや運動不足をその原因にしている.確かに中年以降の肥満はそれが原因であろう.しかし、2030代の肥満の原因は別の所にある.

女の場合は、結婚をするか否か、もしくは結婚や恋愛をあきらめるかどうかで肥満になるかどうかの分かれ目になる.女は結婚後は、男の目を気にしなくても良いわけだから、本能的に子育てや家庭の運営が最も重要な事項になる.つまり、結婚後に太る女は良い母親であり、幸せな家庭だといえる.反対に痩せる女は、関心が家庭になく、未だに家庭の外に幸せを求めていると考えられる.その場合でも、中年以降はあきらめも加わり、食事のみが楽しみになり、太り出すだろう.

 男の場合は、家庭を持っても人生のゴールはまだ先であり、競争本能の強い人は手っ取り早く自分をアピールするには体格を誇ることが簡単である.また同時に、代謝の低下があって肥満しやすいことを知っていても、まだ体力に自信があり、痩せるよりは太っている方が、見栄えが良いと思っているので、自己管理を怠ることもその原因であろう.これは男の方が親からのコントロールの影響を受けやすいことを示している.たぶん彼の父親も祖父(戦前生まれ)から、太っていると男ぶりが良いだの健康だのと言われ続けてきたからである.女は親からのコントロールは受けにくいが、パートナーからの影響を受けやすいようだ.特にそのパートナーを愛しているとか尊敬しているほど影響されやすい.ただし、コントロールをする男がパートナーである場合は別で、愛情が無くても影響を受けるだろう.

 医学的な代謝の低下や前糖尿病であるとか食生活やストレス云々よりも、人間の場合、心理的作用の方が非常に大きい.だって、人間は動物と違って頭で何でも考えることができて、それを実現できるから.戦前であれば、貧しさで太れなかった人たちが、現代日本では飢えがないため、心理的作用がそのまま肥満や痩せとして現れる.

 

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 人間は生物の中で最も自由であり、宇宙の誕生時にできた量子のようにその位置と運動は予測できない.つまり全体として統計的には行動が予測可能であるが、個人個人としては次の瞬間に何を考え行動するのか読めない.
 しかし、IT化が進むにつれて、人間の自由が失われ、管理社会になるのは残念なことである.不確定な行動をするのが人間なのにそれを嫌うのも人間である.特に為政者は不確定を嫌う.結果として、まれに起きる犯罪のために、防犯カメラや電話やメールの傍受を、脱税防止や税収アップのために国民に番号を振り分けてみたりする.いくら便利でもコンピューターは人間が扱うにはまだ早いと思う.

 

 

 


エアコンの効かないカップル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダーウィン説

 ダーウィンが種の起源を記してから、100年以上経過し、今では小学生でもこの学説を信じない者はいない.つまり、遺伝は人間が決めることではなく、突然変異でしか遺伝子変化は起こらず、次世代への生態的な相続は生物の力ではどうすることも出来ないと言うことである.突然変異が有利に働くようなら、その生物は繁栄し、不利に働くようなら死滅する.このような確率的な方法で、人は進化してきたというのである.進化論の発表された当時は疑う人も多かったが、今やDNAがただの塩基配列だと判明したので、更に突然変異による進化過程が起こっていると信じやすくなっている.これに対するラマルク論は、環境によるバイアスが遺伝子に変化を与え、より有利な形質を持って次世代に伝えられるという考えである.ネコの尻尾を代々切り落としたら、いつかは尻尾が短いネコが生まれるというような簡単な話ではない.カンメラーの実験ではこうである.川のそばにすむサンショウウオは卵生であり、乾燥した高地に住むサンショウウオは卵胎生であるが、そのサンショウウオを入れ替えて、すむ場所を変化させると、数世代後には卵生と卵胎生が入れ替わるという実験である.ダーウィンのガラパゴス諸島でのイグアナの研究は、あくまでも観察であり、推測が混じっている.カンメラーのように、飼育して環境を変えてみたらどうなるであろうか?突然変異が原因なら、何世代飼育しても海に住むイグアナと陸に住むイグアナの形質は入れ替わることはないであろう.

 短期間に起こる形質の変化は、自然淘汰による進化論では説明できない.つまり、遺伝情報の中には多くの形質がすでに存在し、環境の変化によってそのスイッチが入るとその遺伝子は次の世代にも受け継がれると考えられる(自説).環境の変化以外にも、自分の代で努力した能力が、子孫にも伝わることもあり得ると言うことだ.スポーツ選手の子供が運動能力が高いのは、確率的に考えると親の遺伝だけでは無いと考えられる.

 生命の進化については未だにわからないことが多いので、正しいのはダーウィンの進化論だけではないから、みんなもいろいろと考えてみるとおもしろいと思う.

 

 

 

コントローラーズ

 

 約6カ月前になると思うが、仕事の帰りにブックオフへ立ち寄った.紳士らしく万引きをしないで、立ち読みしていた.105円のコーナーに一冊の新しい本が目立っていた.アメリカの精神科医のM.スコット ペックが書いた「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」という題名だった.やけに激しい題名は関心を持ってもらいたいからかなと、それほど期待しないで買ってみた.アメリカならこんな人がいるのかなと思い読み進めていくと、平気でうそをつく人たちとは虚偽を巧妙に使うため、「何となくこの人と話していると気分が悪いかな」と感じても、原因を認知できず関係する人たちは悪影響をうけてしまうことが述べられていた.思い当たる節があったので、一気に読破してしまった.

 読んでしまったら何となく心が落ち着かない.今までに積み重ねられた経験がひっくり返された感じである.実は身近によく似た人がいるだが、世の中にはこんな人はめったにいないと思っていた.しかし、意外とたくさん存在し、困らされている人も多くいることを知った.わき出した不安を早く抑えたくて、同じ著者の書いた「愛の心理療法」をアマゾンで購入した.この本の文中にアダルトチルドレンという言葉がよく出てくる.実は十数年前に、斉藤学氏が執筆した「アダルトチルドレンと家族」という本は読んでいたのだが、そのときはピンとこなかった.なぜなら身体的暴力や性的虐待やアル中の親がいる家族の話だから、自分には関係ないと思っていた.しかし、実際にはそれら以外に精神的虐待がある.暴力や、ネグレクト、性的な虐待に比べると地味であるが、もっとも影響が強く、被害者の成人後も、さらに4050代になっても、その影響は残り続け、その被害者を苦しめる.PTSDの治療について、欧米ではほぼ確立された精神分析療法や同じケースに対して経験豊富なカウンセラーが存在するが、日本ではほとんど治療を行ってくれる施設人もない.私は働かなくてもいい勝ち組じゃないし、かといって、失業中でもないから毎日仕事をしないとだめなわけで、東京へ出かけて落ち着いた部屋で美人のカウンセリングを受けることもできない.それで独学で治療を試みることにした.

 まず、自分史というものを書くといいらしい(シュテットバッハー).ただし、A.ミラーはこれに反対している.素人がこれを行うと、子供の頃の記憶がフラッシュバックして、再びPTSDを経験することになると警告している.A.ミラーも幼少時に親の支配によるPTSDを経験している.彼女が自分の精神がおかしいなと感じた頃、ドイツでは子供のPTSDの原因が親であると考えることがタブーであった.それならばと、彼女も私を同じことを考えたらしい.独学で文献を調べ、自己療法を試みた.彼女はまず先ほど述べた自分史を作成した.自分史の詳細はシュテットバッハーの成書を参照してほしいが、簡単に言えば自分の生まれた日から家族の歴史を箇条書きし、同時に他の家族の年齢や出来事を記録していく.その出来事について自分がどう感じたか、どう影響を与えたか、自分が親からどのように扱われ、それについてどう思ったか、兄弟がいれば、親はその兄弟にはどういう対応をして、兄弟はそれについてどう思っているようだったか記載する.

 次に私は絵画療法(A.ミラー)を試してみた.ただ思いつくままにキャンバスや画用紙に絵を描くだけなので、手軽に書き上げ、とても気分が良かった.何よりも自由という感覚が楽しめるのが良かった.絵を描くのは好きだったけれど、デッサン以外は高校生以降、書いたことがない.全く自信がなかったが、とにかく描いてみた.最初にわかったのは、どうやら自分は砂漠が好きみたいだ.乾燥した大地に毎日ぎりぎりで生きている動物たちがいる.せっぱ詰まったスリルや危険な行為が好きなのはPTSDの影響らしい.アドレナリン依存症という.それ以外に薬物依存症、アルコール依存症、セックス依存症、恋愛依存症、買物依存症等々.その中のいくつかは思い当たるか.子供の頃に親に強く支配され続けると、子供の人格が親の理想像と本来の自分で分裂を起こし、典型的な場合は多重人格という人格障害を起こす.

 やりたくもないことをやらされるから、そのストレスは成長後にうつや不安症になったり、依存症や怒りをため込んだり家庭内暴力の原因になる.本を読めば読むほど預言書のように私の今の状態を見事に当ててくれるから、書籍を次々と読んだ.

 最近になって、世間でもようやく教師からの体罰や親の虐待に気がつき始めた.というか、気がついていたけど、言えなかったのだと思う.だって儒教の考えが残っているから、どんな親でもありがたく思わなくちゃいけないし、教育とかしつけと称して、自分の都合を優先する自己中心的な行動を隠していた.親は子供のことを思って、なんていいわけをするから、子供は真実をゆがめて認識してしまう.「ああ、なんていい親なんだろう.いつも僕のことばかり思ってくれる」ってね.でも、その子が親になると同じことを子供にするんだ.愛情のないしつけ.実はそれは虐待と同じ.わかりにくいから難しい.

 子供は大人のミニチュアじゃない.生まれたときから彼らは人の心を読む超能力がある.それは2,3歳で無くなる能力だけど、親の要求だけを聞いてサッサとこなそうとする医者と、自分を一人の人間としてみてくれる医者と区別がつくみたいだ.子供のことに興味を持ったら、子供の診察がそれほど苦ではなくなったというか、楽しみになってきた.大人になるといろんな個性を持った人がいるが、子供は個々の差が少ない.みんな自然である.きっと原始時代の人間はこうだったのかな.感受性が自然で、とてもつきあいやすい.すぐに仲良くなれる.大人じゃあ、こうはいかない.人の性格は育て方で作られるのだと確信した.

 普通の人は自分の性格は生まれつきと思っている.思春期になると自分の性格が嫌いな人はそれを変えようとしてみるが、原因がわからないから、対症的な方法では一時的しか続かないようだ.外界との関わりを避けて依存症(アディクションっていうらしいが、趣味に膨大な時間や金をかけることも含まれる)という現実逃避をしてしまう.依存症がひどくなって犯罪者になる人もいる.主な犯罪者の生育史を調べるとたいてい幼少時に虐待を受けている.

 心理学は出来てから100年くらいの新しい学問だけど、なかなかすばらしい.今はダン・ニューハース著「不幸にする親」を読書中.精神的虐待の話.

 

 

 

精神分析と政治家

 

 衆議院選挙が終わったが、誰を選べばいいのか政党や公約だけでは選べないのが、最近の傾向だ。なにしろ、当選すると政党も政治家も公約を忘れてしまうように思える。それでも罪悪感からか、誠実な政治家は、公約を守ろうとするが、今度は官僚や外国やマスコミがそれを阻止する。それでも政権政党だからかまわずやってほしいと思うが、それ程、決断力のある政治家はいない。そこで、政党や政策以外に、政治家の精神分析を公表して、それを選ぶときの参考させてほしい。優柔不断であるとか、向こう見ずであるとの性格は許されるが、人格障害のある政治家は当選してほしくないのである。人格障害は精神疾患と異なり、人前では自分の人格をいくらでも偽れるから、大衆には見抜けない。たとえばDVをおこす男も目的のためなら優しく振る舞うことは簡単にできる。最高裁の判事の国民審査も、同じように人格障害者の可能性のある人を発表してほうがよい。人の善悪を決定する職業であるなら、ニュートラルな精神を持つべきであり、なおさら精神分析を受けることは必要であると思う。

 

 

 

 

 

メイド・イン・チャイナ

 近所の衣料品店で、流行のダウンジャケットを買った。珍しく中国製ではなく、ミャンマーで作られていた。熱帯地方でこんな防寒具を作っているとは、妙な気がした。もしかしたら、そこの従業員たちはダウンジャケットを初めて見たかも知れない、なんて考えたらちょっとおもしろくなった。今や日本の企業が作っている製品でも、日本製であるものは高額商品か、最先端技術の製品や、ガラス製品や陶器くらいである。庶民にはあまり縁がない。価格だけを商品の価値としか判断できない大衆は、同じくらいの商品なら安いものを探そうとする。企業もそれに応じて、労働力の安い国で製造する。その場合、政府も企業のことを考えて、関税をかけない。しかし、商品の価値は値段だけでは決まらない。日本国内で作れば、雇用機会を生み出すし、反対に製造時に廃棄物が多い製品は社会的には大きな負担になる。「じゃあ、どうすればいいか?」。企業は考えないし、大衆はどうすることもできない。関税をかけるとか、富の再分配(高所得者の増税)とか、政治的な手段が必要になる。

 円高でバブルになった頃と何が違うか?現在の円高は中国での生産を更に加速する原因になっている。1980年代のバブル時代はまだ中国の技術力が低く、ほとんどの工業製品は日本で作られていたため、平民にもお金が回ってきた。いまは企業のトップしかお金が入ってこないから、デフレになる。私は以前、TPPに賛成したけれども、国内の農家が駄目になると、更にデフレが進むかも知れないなあ。

 今のところは高級官僚、企業の重役たち、農家がお金を持っていますが、みんな平等に貧乏になった方が良いかもしれない。このまま消費社会(消費社会とは、誰かが作った物に依存することで、自己の自立が縮小し、他人に管理してもらうことだ)を突き進めば、否が応でも、管理社会になります。このままでいいのか?世界中の人々が考え直す時期だと思う。

 

 

躾と潜在意識

 

 ある人から相談を受けた.娘が高校に入学してから,親の言うことを聞かなくなるし,彼氏が出来てから,更に言うことを聞かなくなったらしい.その家族は海外旅行が趣味で,子供も連れていくのだが,旅行の前は機嫌良く,泊まるホテルもチェックしてくれて,頼みもしないことまで手配してくれるそうだ.

 児童心理学を勉強したことがある人なら,すぐにわかると思うが,このような家庭では子供への躾が厳しかったと想像できる.そして思春期になると,体力では負けなくなり,今まで押さえつけられてきた親に対する不満が噴き出すのである.しかし,それを理解できない親は,今度は子供たちを懐柔しようと,お小遣いをあげたり,高価な買い物や,旅行へ連れて行ったりする.急に甘やかされた子供は,どん欲に、より要求をエスカレートさせていく(見かけは仲の良い親子に見える.しかし,もので釣っているだけだが).あるいは大人の教育方法(子供の意見を無視し親に従えと抑圧)に嫌悪感を持ち,反抗的になる子供もいるだろう.

 思春期に急に子供たちの性格が難しくなるのでなく,今までやってきた親たちの育て方の集大成がこれらの結果を生んでいる.そして,親と子はすれ違いのまま,人生を過ごす.年端もいかないときから,厳しく教育して,親の言いつけをよく守る子供に育てようとするようだが,抑圧された子供の心は意識上は親への愛があるので無意識の潜在意識に蓄積され,いずれその子の精神を蝕む.そのような子は将来,精神疾患を患うか,精神を安定させるために薬物や酒や異性への依存症になるか(犯罪につながる),直接的に家庭内暴力を起こすかのいずれかである(これは親にはショックであろう).

 そろそろクリスマスとお年玉の季節であるが,普段から厳しい躾ばかりで子供とのコミュニケーションをしていない大人たちからの金や物による誘惑であり,良いことはない.あめとむちを使った教育はすぐにメッキがはげてしまい,良い関係は結べない.大人は幼い子供に本当の人間の姿を学ぶべきであり,金になるかどうかの職業選択や世間体など大人の価値観を押しつけるべきではない.

 

 

 

 

大脳皮質と人間活動

 

古皮質

 機能

 

 

 

 職業 

 

 

 

社会

 

生存本能

の保

好奇心

 

経済,政治,風俗,軍人,医者,スポーツ選手、科学者、マスコミ

 

婚,進学,就職,犯罪

 

旧皮質

 機能

 

 職業 

 

社会 

 

感情

 

芸術家,芸能人

 

育児、恋愛,宗教,趣味,家族

 

新皮質

 機能

 

 

 職業 

 

 社会 

 

大部分は不明,

一部は古/旧皮質の増強

 

超能力者?

 

宗教指導者(もしくは、被疎外者)

 

 

*古→旧→新の順に程度が良いのではないが、人間社会では未だに古皮質の活動が優位である。

 

 

 

日本維新の会

 

 発表される方針や,橋下氏の発言を聞いていると全体主義に近い考えを持っている党のようである.つまり橋下氏は国(本人は現在は大阪市長であるので,市)に良くない病気や悪い部分は取り払うのである.これが今や人間に対しても行われるようになり,生活保護を受けるような人々は国にとって害でしかないので,支給額の減額や支給認定を厳しくしようとしている.この考えは優性政策を勧めたドイツのナチと似ている.また、教師の職業的地位の向上を目指し,その教師には国家への忠誠を誓わせるのである.それを進めれば,日本国民の両親に対する子供の忠誠や,そのためには体罰の容認,国民に対しては,規律の厳守を要求し,国家のいいなりになる完全で健康な人間を作り出すことになるだろう.

 

 なぜ,橋下氏は服従する人間を作り出そうとしているのだろうか?それは彼の幼少時代の育てられ方にある.彼の家庭は父親の独裁制であり,教育や躾と称して暴力または暴力にならない迫害が行われていた(橋下氏へのインタビュー記事).そのような家庭で育った人間は将来,思い道理になる人間を得ると,同じ事を繰り返す.最初の犠牲者は妻や子供である。妻子に対して尊敬はない.父親からの躾の厳しさは、橋下氏の倒錯した性 (詳細は,報道に譲る)から推察される.また,謝罪と言いながら,妻をいかにも恐れている様なパフォーマンスも,女を軽く見ている証拠である.普通の感覚であれば,自分は恐妻家だと笑いの対象にしながら,妻を単純な考えの持ち主だと思わせるようなことはしない.大阪市職員の処遇や文楽の予算削減も一般人の多数意見をバックに人を思い通りにしたいという願望が見えている.

 

 特に政治家には,このような性格(精神障害と言っても良いかもしれない)を持つ人が多い.石原氏(現東京都知事)も,以前の著書でもスパルタ式教育を勧めていたぐらいであるから,自分の思い道理になる最初の人間である妻や子供相手に,家庭内独裁を行っていた可能性が高い.それが今では東京都民に対して,多数意見と言うことで独裁制を行っている.遠くから見れば自分の意見をはっきりというオープンな人と思われているが,苦しむのはまわりにいる人間である.わかりやすく言えば,走行する機能は大丈夫だが,排気ガスが臭くてまわりの人が迷惑,もしくは窒息する様な車にたとえられる.

 

 人を自分の思い通りに操ろうとする心理は,一種の強迫神経症である.自分の心の中だけで通用する正しい配列に従って,外界を並べようとしているのである。本人は気がつかないが,それは幼少時に父親に命令されてきたことである.やがて成長し、自分が思い通りになる人間を所有出来た時,明らかになる.しかし,決して表に出すことは出来ないので,「国の将来を考える」,「学校教育の健全さの回復」,「美しい国,日本」,「家族や子供のことを一番に考えている」という言葉で隠蔽する.人間を組織や集合,国家としてしか認識できない場合,集団としての効率を求めれば弱者,犯罪者を切り捨てる全体主義に向かうのは人間の進歩していない部分である.

 

 地方自治体や国が破産してしまうのが不安で,このような政治家が出てきて国民が窒息するくらいなら,破産してしまった方が良い.なぜなら人間は経験しないと,理解できないからである.戦後,日本は一度破産しているが,それを忘れてしまった人たちがほとんどであるなら,実際に経験するのも仕方がない.破産した国よりも,破産が怖くてもっともらしいスローガンを掲げて,人を操りたい政治家が現れ,内乱状態になったり,全体主義に陥ったりする方が危険である.

 

 

 

エントロピー

 

エントロピー第2法則によれば、宇宙は生まれてすぐに、複雑なものから、より簡単なものへと変化していると言われている。この法則に従うならば、現在、人間社会はより複雑になっているが、それだけ以上に、何かが単純になっていると考えられる。それは人間の行動や考え方である。

 

単純化した行動とはデジタル化と言い換えても良い。仕事へ行く。遊びに行く。食事をする。寝る。それ以外に含まれない行動をすると、人から不思議に思われるようだ。昔なら、脇道に車を止めてぼんやりしていても、そのまま放っておかれたが、今では警官から職務質問を受ける。他の例を上げてみよう。ダムを好きな人が、山奥へわざわざ出向き、ダムの写真を撮り、更にはダムの管理用建物の調査をすると、地元の人に「仕事ですか?」と聞かれる。趣味ですと答えれば、変わった人だと思われるので、「ええ、仕事です。」と答えることになる。このように、既存のカテゴリーに含まれない行動や考えは、不思議だとか、異常だと見なされる傾向がある。日本人はそれが極端に現れ、世間並という言葉で代用されている。成人式であれば、女は必ず振り袖を着用するし、それ以外の服はふさわしくないと世間からは思われる。

 

確かに、今の時代では外見について、非常に多様性が認められるが、それ以外の行動や考えは、画一的になっている。つまり、テレビだったか雑誌だったか、どこかで見たような感じがするのである。管理する側は更に複雑な社会機構を作りだし、管理(監視)される人間は単純化するのが未来社会ではないだろうか?(それにそぐわない人間は、社会から排除されるか、矯正を受けることになる)

 

 宇宙の誕生からエントロピーは増え続け、すべてのものに対して、平衝(人間の場合、平等と言い換えても良い)を促している。人間の歴史を見ても、多神教から一神教への変化、人種の減少、多産から少産(子供が多いことは、多様性へとつながる)、法律の細分化(人間の行動を平坦にする)など、エントロピーは増え続けている。たとえば、医学の世界では、ADHD(注意欠陥・多動性障害)など、昔には存在しなかった病名を付けて、薬を飲ませ学習能力を上げようとしているが、そんな治療法を見ていると、人間の多様性を無視し、学力(標準的な健康とも言える)の平等化を目指している。子供たちの遊びを見ても、ほとんど既製品化されている。例えばビデオゲーム、サッカー、野球など既製品である。公園でも新しく遊びを考えて遊ぶ子供たちを見かけることは少なくなり、ほとんどユニフォームを着た運動少年たちで占領されている。

 

 人間が安楽を求める限り、未来の社会機構は複雑になり、反対に人間の行動や人生は画一的になると予想される。

 

 

 

 

 

 

 

愛国心について

 

愛国心を持つこと自体は悪いことではないが,権力と結びつくと民衆を迫害する.また政治に使われることもある.政治家が権力を長い期間持ち続けることが出来るのは,自分には愛国心があるように大衆に思わせるからである.つまり,それだけで力を持つことが出来る.最近では君が代斉唱の強制で愛国心を売り物にする政治家も出てきた.彼らははっきりと自覚していないかもしれないが,愛国心や右翼的(国体的)な事を口にすることで,権力を持てることには気がついているようだ.人気と力のある政治家になるには、愛国心と改革をスローガンにすると良い。政治家でなくても,右翼の活動家を観察すると,暴力団に所属するなど,権力にあこがれる人が多い.大抵は男尊女卑,年功序列,父権制,肩書き重視の発言が多いのですぐわかる.ところで,彼らが日本の最高権力者に上り詰めたときにはどうだろう?権力を求める人は自分より上の権力者には弱いものである.となると,答えは明らかである.彼はアメリカの大統領には弱いわけである.アメリカの言いなりの総理大臣を見ると,権力を持ちたいために政治家になったのだろうと思えてくる.だれにでもわかるように権力が表に現れている警察や暴力団に弱い人はその素質がありそうだ.

 彼らは相手の考えを理解できないステレオタイプの人間である.だから友として長くつきあうにはつまらないのである.不幸なことであるが,権力を持っても,彼らには友人がほとんどいないように思える.でも,徒党を組んだり、部下のような友人はいるかもしれない.

 

 

 

 

 

 

手術の成功率と薬の効果について

 

 医療関係の情報が色々と公開されて行くに従い、「わたくしどもの施設ではこの手術は90%の成功率であるとか、今回発売した薬は抜群の治療成績を収めています。」などという、セールストークが嫌になるほどあふれている。厚労省も情報公開を勧めているが、その統計の収集方法には大きな問題がある。ある施設の心臓の手術成績が95%だったとしよう。つまり、手術をすれば、95%の人は助かるが、5%の人は1ヶ月以内に亡くなるわけである。通常、手術成績には一ヶ月以降に亡くなる人の数をカウントしていない。稀に5年生存率で成績を発表している施設もあるが、他因子による死亡はカウントされない。つまり風邪をこじらせて、菌血症になり、手術部位が感染を起こして、それが原因で亡くなっても、手術成績には影響しないのである。手術をしなければ、風邪をこじらせたくらいでは亡くならないことを考慮すると、発表される手術成績はかなりの水増しがある。がんの治療についても同じであり、術後や放射線や化学療法の治療後には原因不明の突然死が多いのであるが、これも統計には含まれず、治療成績には影響されない。原因がわからない場合は統計に含まれないし、原因がわかっても治療を行った癌で死ない限り、5年生存率に影響を与えない。例えば、腹部大動脈瘤の手術後、人工血管が腸に擦れて、腸が穿孔し腹膜炎で亡くなっても、動脈瘤の手術成績には関係が無いのである。まして人間の身体の理解が不十分な今の医学では、他因死との関連を見つけられないことがほとんどである。

 薬においてはどうだろう?例えば、慢性関節リウマチにはリウマトレックスという免疫抑制剤をほぼ全例に使うが、致命的な心筋梗塞や脳梗塞の副作用が最近わかってきた。薬の副作用は発売されてからドンドン増えていくので、どんなに効き目があっても、すぐに承認せず、新しいもの好きな厚生官僚は少し考えてほしい。臨床経験のない若い厚生官僚が新薬の効能効果に惹かれるのは、顔やスタイルや年齢で異性を選ぶ思慮の足りない人と同じである。

 厚労省が2年ごとに薬価改正(薬価切り下げ)などと言うことをするから、製薬会社は新薬を開発せざるを得なくなり、その新薬も開発費用が反映されるので、ドンドン高額になり、健康保険を食いつぶすのである。しかも新薬の副作用は、ほとんどわかっていないから、恐ろしい話である。短期的にはとても効くけれど、長年使ったら、原因不明で突然亡くなったなんてことになる。しかし、新薬との関係は不明だから、この新薬の評判も有効率も落ちないのである。これが、今の医療の実体である。大衆が考えるほど医学は進んでいるわけではない。人間はもっと自然に対して謙虚になるべきだ。

 

 

 

 

 

 

内会と犯罪

 

 マスコミや浅薄な人々は、日本は治安が悪くなり、犯罪が増えていると信じ込んで、刑法犯には厳罰化を求めている。人間の心理としては、それがゼロにならないと納得しないから、今後も止めどなく厳罰化していくと予想される。いわゆる民主主義の暴走である。一度でも罪を犯せば、2度と社会には適合できないシステムが出来上がろうとしている(再犯率が高くなる)。実際は犯罪者を再教育して、早めに出所し、社会適応させた方が犯罪抑止になるのだが、被害者意識がそれを妨げる。特に、被害者をマスコミが取り上げることで、視聴者(=大衆)の心理が先鋭化しているように感じる。習慣や宗教、言葉が異なれば、未知の物に対する警戒感が高まる。これが未だに移民を認めない日本人の心理である(血縁関係があれば認められる)。

身近な環境では、町内での不審者や、異常者は排他的に扱われる。以前にも述べたが、小学校の登下校の父兄の見送りなどは、いかなる人を不審者扱いするのだろうか?単に挨拶をしないとか、目つきが怪しいと言うだけで、そのように思われるのであろうか?そもそも人間の一生を通じて、正常者などはほとんどいないわけである。つまり、やがて歳をとれば認知症になるであろうし、そこまでじゃなくても、元々ある人格障害が目立ってくることは大なり小なり誰にでも起こる可能性がある。結果的にはそう言う人たちが罪を犯すわけだが、自分がそれにならないという確証はない。登下校に犯罪を起こそうと考える人間は知的障害者、認知症以外はいないであろう。つまり、町内での見回りや父兄の見送りは一般世間から疎外された人々を目標にしているのだ。しかし、いつ自分が排除される側へ墜ちるかも知れないのに、堂々と排除する側として立っているのが滑稽にも思える。

いまや刑務所は知的障害者と高齢者と人格障害者であふれている。これらの人々は、出所しても、もはや社会復帰は望めず、すぐに戻ってくることになる。いま、大衆が望むシステムとは、犯罪を更に減らすために、少しでも罪を犯しそうな人は刑務所に送り、刑期も長くして、もう働いて暮らしていくことは不可能にしている。とことん安全を求める心理は、日本人の潔癖性と似ているようだ。

 現代社会は、犯罪発生率をゼロにし、年金問題も片づけ、無限のエネルギー源を見つけ、すべての仕事はロボットが行い、不老不死の世界を目指している。しかし、その後は人間がやるべき仕事はあるのだろうか?やりがいが無く、起伏のない平坦な人生に、考えることはあるのだろうか?幸せは相対的な物だから、たぶん幸せは感じることはないかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

経験と科学

ちょっと、難しいかも。でも、これが理解できれば、君も哲学者だ。

 

 人間は因果関係をよく調べ、それを経験にして未来を予測する習性がある。つまり、未来の不利益を避けるために、現在の出来事から未来を予測しようとするのである。病気になると必ず人は「何が良くなかったのでしょうか?」とか「何で、こんな病気に私だけがなるのでしょうか?」と、病気になった原因を知ろうとする。歴史を調べる人もそんな動機で今後の社会情勢を予想しようとしているのかも知れない(昔は良かったとノスタルジーに浸かるだけかも知れないが)
 AとBの2つの出来事があり、Aが先に起こると、次に必ずBが起こると言う因果関係がはっきりしている場合は、誰にでも理解できる。しかし、Aが起きてもBが必ずしも起こらなかったり、BがAから離れた場所や時間をおいて起こる場合は、通常の人には因果関係を証明するのが難しい。科学はこれらの因果関係を人間が理解しやすい方法で説明する学問だと言える。科学が因果関係を調べていく過程で、更にCという出来事も起こることに気がつき、新しい発見がある。

 現在の科学の発達を見ていると、人間の観察と経験から因果関係を知り得た時代から、論理的に(経験や勘よりは簡単だと思われる)予想することが主流になっている。つまり科学とは、経験による因果関係を調べることから始まったにもかかわらず、今や科学とは、論理で予想する学問になっている。これでは既知の経験からわかっている範囲を超えることが出来ない。もし科学が経験を超えると、とんでもない発見になる(その時は大発見だろうが、長い目で見ればすばらしい発見ではない)

科学的に説明できないことはオカルトとか霊的とかレッテルを貼り、侮るのが今の風潮である。大昔、電気や磁力や電波も原理がわからなければオカルトの範囲であり、地動説でさえ、人間の理解を超えていたので異端扱いにされた。今の社会も経験と勘を重視せず、科学や論理だけを信じているだけでは、何ら中世時代とかわりがないのである。特に科学から導き出される因果関係は今まで自然界に存在しない関係であるから、人間には扱いにくい。例えば石油化学や核分裂(核融合は自然界に存在する)や遺伝子操作などは今後問題を引き起こすことが予想されるし、実際に問題を起こしている。

 今後、科学では説明できない経験や勘でしか知り得ない因果関係を、もっと重視する必要がある。これには自然を観察する努力と考察が必要であり、時間も掛かるだろうが、自然に即したやり方である。さらに、自然界の出来事に対する視野を広げるためにも、経験は必要であろう。今の科学はルネッサンス期までの経験が基礎になり、それ以降の経験はほとんど生かされていない。科学がどんどん発達しているように見えるのは、論理の展開による所が多い。AとBの因果関係を研究していたら、Cという出来事も関係があることがわかったと言うのが科学による恩恵である。たとえば、コンピューターが携帯電話、インターネットを素早く発達させたが、科学において経験だけで理解できる分野は全く発達していない。(例えば、地震の予知、重力や電気の本質など)

 人文科学に関しては、未だに、経験と勘がものを言うが、それでも少しずつ経済学や社会学で人間の行動を科学で解き明かそうとしている。人間も含めてすべての物質は相対的にしか、計ることは出来ない。例えば人間の持って生まれた特性は様々であるが、その後の環境や境遇や教育や洗脳?で行動は影響される。昔は常識であったことが今では廃れてしまうとか、他国では禁止されていることが、わが国では認められていることもある(飲酒や喫煙など)。アマルティア・センはアジア人で最初のノーベル経済学賞をもらったえらい人であるが、インドに生まれ、大飢饉のあったベンガル地方の出身にもかかわらず、経験していないためか、ヒンズー教を信じない無神論者であり、世俗的な学者である。飢饉と貧困を科学的に分析した学者であるが、科学で人々を救えるのなら文句は無いが、救えないから宗教があることを理解していないように思える。学問で出世した人にはありそうな性格である。つまり、生まれは絶望的な飢饉を体験した地方でも、経験が人の行動(考え)を変えていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

おまじない

 奇跡を信じなかったり、精神的心理的な事を重要視しない人にとっては、おまじないなんて全く子供のあそびだと思うかも知れない。人間の体で消化器や循環器に関して、精神的心理的な影響が大きいことは多くの人々に理解されている。しかし、免疫についても同じように心理的精神的な影響が、それ以上に強いことは、あまり知られていない。
 受験時期になると風邪を引く人が多かったり、新入学や新社会人になり、しばらくして緊張が取れると、体調を崩す人が多い。緊張をしているときは、アドレナリンが分泌され、少々の体調不良でも気にならず、強い痛みさえも抑制されてしまう。しかし、その期間を過ぎると、今度はストレスによって分泌されるステロイドホルモンの影響で、免疫力の低下や糖代謝異常が起こり、体のエネルギーが無駄遣いされる。ちょっとした症状では、ニキビが増える。受験生にニキビ顔をよく見かけるもこのせいである。また、オリンピックでニキビが出来るような選手は、ストレスで体調を崩しているから、実力を出せないだろうと予想される。
 日本では何事に付け、気合いを入れろとか言うけれど、気合いの効果が続くのは短期間であり、海外での遠征試合や受験のように、ベストの状態を保つ時間が長い場合には、気合いを入れ続けると、アドレナリンの好ましい作用より、ストレスで分泌されるステロイドホルモンの悪影響の方が強くなる。遠征中に調子が落ちてきているからと、締め付けるようなしごき練習や根性を鍛えるなんて事は全くの逆効果である。ようやく最近では、国際試合に出るスポーツ選手が、「試合を楽しんでいます。」とインタビューで話している。しかし、実態は外国選手の真似をしているだけで、本当の理由は分かっていないようだ。その証拠に、その言葉を聞くのは試合の後である。たとえ、試合前だったとしても、元々、期待されていない選手が言うようだ。
 長丁場の試合は、ストレスを避けて、体調を良好に保つことに集中した方がよい。もちろんこの理論は、長い人生を生きていく上にも当てはまる。もし、ストレスを解消することなく、人生を送れば、感染症、癌が待ちかまえている。それは試合や受験に失敗するより、恐ろしいことかもしれない。
 除霊、おまじない、占い、気功、催眠術など超自然的な力を使って、体の健康を取り戻そうとするのは、道理に合っているわけである。しかし、その中には悪質な人々もいるから、23度試して効果がなかったり、施術者と相性が悪いなと思ったり、心から信じる気持ちが芽生えなかったら、さっさと止めた方がよい。


 

無題

 福島の放射線はもう収まったかと思ったら、未だにダダ漏れだった。出荷した米も農家が自主的に調べたら規制値越えだ。役人のやることは民間には厳しいが、自分たちには甘い。今回、規制値を超えているにもかかわらず、厚労省は「仮に毎日食べたとしても、直ちに健康に影響はない」と発表。馬鹿の一つ覚え。じゃあ、自分たちで毎日食べてみたらいいと思うけどね。一流企業も政府も高官も都合の悪いことは下請けや国民に押しつけて、自分たちは内部情報で危険な事は知っているからうまく逃げている。検察も大企業や政府を訴えるなんて事はしないし、国民が訴えても、国に逆らった判決はなかなか出ないから、当てに出来ない。裁判官も所詮は出世を考えているので、どちらの味方をしたら有利か分かっている。
 最近、大企業の不祥事が多くて、社長や会長の素顔を見る機会が多い。雇われ社長は、口数も少なくてよく分からないが、有名な新聞社の会長を観察すると、下品で欲深い性格が見え隠れしている。横領をした製紙会社の会長の父親のイラツキを見ていると、普段もそんな感じだろうと想像できるし、逮捕された息子の方は、悪びれることもなくひょうひょうとしていた。いかにも世間知らずのお坊ちゃんらしい。同じお坊ちゃんでもずいぶん違う(自分比)。
 テレビで紹介される大企業の社長たちの中には、不自然な愛想笑いや腰の低さが鼻につき、胡散臭い人もいる。幸運を自分の実力と勘違いして、自慢がチラチラと見え隠れ。欲深さを、精一杯、知識や経験で抑えている感じがする。たとえるならば、赤ずきんに出てくる狼のように、自分を善良に見せたくて、繕っている薄気味悪さである。大衆は、ぼんやりながら、それに気がついているから、日本の実業家や政治家よりも、ブータン国王の清廉さや素直さに好感をいだいてしまう。
 勘のいい人なら一目で「程度が悪いな。」くらいは分かるのに、それを隠して、とんでもない人を持ち上げるのは、見ていてつまらない。(世間ではヨイショを大人になったねとほめるのだが)




 

性格の不一致

 若い頃の性格は、生まれつきみたいな所があり、遺伝や家庭環境に影響される。でも、年齢を重ねた時、その人が積み重ねた経験から、自分の世界を作りだし、外界を見ている。と言うことは、その人の経験が性格を作りだしていることになる。歳を重ねると性格が変わっていく事については、自分自身が典型的な例である。経験や知識を積み重ねないで歳をとると、生存欲だけに支配されることになる。つまり、動物と同じである。特に性欲と食欲が際だってくると、人間らしいとは言えないのである。生存欲にしても、前に述べた欲と同じレベルであり、小賢しく小金を集めるために、効率的な仕事方法や、利殖で稼ぐ方法、マーケッティングなど、つまらない学問(学問とは言えないが)が重視されているように思う。本屋で平積みされている本の題名を見るとそんなものが目に付く。人間として生まれたからには、何のために生まれたか考えることもなく、一生を騒がしく過ごすのは時間の無駄遣いだ。私も偉そうなことは言えないが、たぶん人間が生まれた理由は、この世界を観察することにあるのじゃないかと考えている。草花、空を見て美しいと喜んだり、ある時は自然を恐れたり、感動する感覚は誰にでも備わっているからである。この世のしくみ(人間社会以外)を観察すること無しに、生存本能に従って行動する人が多い。
 世界では民族自決と称して、国を作っているが、同じ民族でありながら相変わらず戦争をやっている。こうなったら、民族の同一性より、本能で生きる貪欲な性格の人たちと、そうじゃない人たちで国を分けた方が良いと思う。手っ取り早く、一つの国を2つに分ける所から始めると良い。世界の国の数が2倍になるけど。貪欲な人たちと同じく国で一緒に暮らしていると、気を抜けないことが多い。例えば、防犯にしても、そんな人たちに合わせないといけないから、玄関は2重ロック、モニター付、暗証番号が必要なんて、私が子供の頃には考えられないほど不便になっている(昔の私の家では、昼は鍵をかけていなかったし、おまけに鍵はつっかえ棒であった)。暗証番号を忘れて、自分のマンションに入れなくなるなんてことになる。合法的な活動でも、常に人を出し抜くことを考えていないと、負け組になってしまう。
 性格の不一致は離婚の原因ナンバーワン。夫婦の集まりが国だから、国を2分しても良いのではないかと思う。でも実現しない。体面や国力(カネ)を気にして国が割れないのも、夫婦と似ている。


 

流行と記憶力

 統計的な裏付けは出来ないが、日本人は流行に弱いらしい。これはどんな気質なのか考えてみた.私の住んでいるところは田舎であるが,「はやりすたり」がとても極端である.最近のことであるが、近所に,多種類のお風呂が楽しめる大型銭湯が出来た。開店当時は前の道が渋滞するほどだった.ところが、徐々に渋滞が無くなり,23ヶ月したらガラガラに空いている.それで店では客寄せのキャンペーンを行っているくらいだ.ここは全国チェーンの銭湯であるが、店長は地方は経営が難しいとテレビでコメントしていた。
 人間の記憶には1)感覚記憶,2)短期記憶,3)近時記憶,4)長期記憶の4種類あり,この順番に記憶が強化されていく。1)、2)、3)は時間と共に、無くなる記憶だ.
 感覚記憶とは,たとえば,自分の好みのタイプの異性がいると,一瞬,「ああ,好みだな.」と思うだけで,その記憶は数秒で消失し,あとには出会ったことも忘れてしまう.
 短期記憶とは,感覚記憶が強化されたもので、たとえば一人の男性を見ているとよくわかるが,その男性の近くをミニスカートをはいたスタイルの良い女性が通り過ぎたとしよう.すると,その男性はしばらく目でその女性を追っかけている.反対に女性もハンサムな男性と話す機会があると,じっと見つめていたりする行為がそれに当たる.また印象に残った人について,人に話したりもする.今朝の新聞で印象に残った記事を人に話すのも同じである.
 近時記憶とは,時間が経過して,ある日偶然に会ったときに,その人を思い出す程度の記憶である.もしくは,通販番組を見ていたら,買い忘れていたものを思い出すとか,人に聞いて,今晩の料理を決めるような場合である.この場合は,外部から記憶を引き出す刺激がないと,思い出せない.
 最後の長期記憶はいつでも思い出せる記憶であり,これは知性とつながり,人としての深みが増す.
 つまり,記憶力が弱いと,感覚記憶,短期記憶,近時記憶までしか記憶が残っていないために,宣伝されると,初めて聞いたような気分になり,魅力的に見えるので(長期記憶が有れば同じものだろうと推測できるのだが)、商品を買ったり,お店に出かけたりする.記憶力の弱いお年寄りが地方には多いため,田舎者は珍しいものに惹かれるなんて言われるのかもしれない.また,一般的に日本人は記憶力が他民族より多少弱いのかもしれない.
 記憶に無いから,その銭湯に行ってはみたものの,近時記憶は残っていたから,なんだこれかと言うことになり,すぐに飽きられてしまうのだろう.さらに,何度も通っているうちに,モノトーン効果(人間の脳は単調な刺激が続くと徐々に飽きてしまう)が現れるのかもしれない.
 記憶力が乏しいと,外部からの刺激や流行以外には,自らの記憶で思いつかないために,口コミやマスコミに影響されやすい.それから、ある人(この雑文の作者も含む)の言葉について,前に言っていたのと違うことに気がつかないなら、記憶が弱いと自覚した方がよい.




 

量子哲学

 並行宇宙が存在するなら,人生の或る瞬間の決定に従わなかった自分が存在する宇宙もそこから生まれている.そこでは,今の自分とは違う人生を歩む自分を見ることが出来る(もし出来ればだが).だから,人生では何も決断することは出来ないし,何も決断されていない.
 宇宙の中の暗黒物質のホログラムが,仮想現実を作り出している.時間的分類では過去も未来もなく,原因も結果も存在せず,あるのは関係(縁起)だけが存在している自分を中心にした関係しか,自分には見えないのである.他の事象を把握するには推理,推論が必要であり,重要である.
 パーソナリティーは宇宙の大きな記憶の一部であり,その大きさによって,宇宙の大きさや自分を振り返って見られる.反対に動物など,記憶のこぶが小さいものは自分が何であるかを知るほどに記憶や知識が大きくなれない.
 人間は死を自覚できるほど記憶のこぶは大きくなれるが,それを超えて,大きくなれる人は稀である.それを超えれば,死が何であるか理解できるだろう.たとえ死んでも記憶と知識は変わらず宇宙の中に残される.生きているかどうかは,意識があるかどうかだ.それは,五感から作り出される.たとえ寝ていても,内臓感覚や外部からの体性感覚は意識を作り出す.それならば,全身麻酔はどうであろうか?感覚経路が遮断されているので、たぶん夢は見ないだろう.完全に麻酔されているならそれは死に近い感覚かもしれない.


 

逆転する?
 
 職員に空きが出たので、およそ2年ぶりに募集した。たくさんの人が応募してきた。面接は神経を使うのでとても疲れるが、自分で行っている。いい人を選びたいという目的、すなわち自分の仕事に最も影響があるからだ。採用試験に加えて、心理アンケートも記入してもらっている。他の職員との相性もあるし、私との相性もある。まるでお見合いで相手を選んでいるのと変わりない。違うのは、とても短時間に決めなくてはいけないことだ。
 世間では、雇い主は職員に対して権力を持ち、立場が上だと思われているが、実はその反対で、労働基準法がなかった時代でも、書生、小作人、ギリシャ-ローマ時代には奴隷と言われる人たちがいた。実は、主人は奴隷のようにその人たちに気を遣っていた。例えば、他の貴族から「お宅は何人の奴隷がいますか?」と聞かれるから、稼ぎが少ないのに、無理して、たくさんの奴隷を雇ってみたり、またそれなりに良い身なりをさせないと、周りの評判も悪い。また、扱いがひどければ、奴隷コミュニケーション(現代なら、ソーシャルネットワークサービス=SNSのようなものでしょう)でうわさが広がり、これまた自分の評判が悪くなる。
 日本での社会的関係と言えば、親戚関係、仕事関係、ご近所関係、友人関係である(前者ほど、拘束力がきびいしいように思う)。具体的に言えば、法事は、原始仏教では存在しなかったが、先祖を大事にすると言う儒教が混じって、日本独特の仏教が出来上がり、亡くなった先祖を法要する儀式である。しかし、江戸時代前期まで、ほとんどの庶民は関係が無く、貴族や武士の一部が行事として行っていた。それが、明治以降、庶民が豊かになるとともに、貴族や武士の真似をし始めたのである。もっとわかりやすく言えば、バレンタインデーや、クリスマスのプレゼントや、恵方巻きを食べるなど、業者(この場合は、寺院も含まれるだろう)が庶民にお金を使ってもらうために始めたわけである。しかし、一度始めると途中で止めるのは、かなり勇気が要る。年賀状も同じで、ぼーっとしていると、年々枚数が増えていく。これは郵便局がお金を使わせようとしているわけだ。人との関係を緊密にすることは良いことである。しかし、良心の赴くまま、たくさんの事を始めたら、いつの間にか、行事がになり、心の中は交歓なんか煩わしいと感じているが、だからやめられなくなってしまう。

*     *     *

 豊かになると、庶民は貴族やお金持ちの真似をし始めるが、実際やってみたら、大変なことばかりである。将来が心配だと、貯蓄に励むなら(昔はしたくても出来なかった)今は貧乏を我慢しなくてはいけない。そして、ある程度歳をとったら、お金を使おうと思ったとしよう。でも、実際に年寄りになったら、お金の使い道がない。それで、骨董品を集めてみたり(将来の値上りを期待して)、株式投資を始めたり、今までとやっていることは同じである。お金を使う価値がある時期に節約して、歳をとったら、お金は有るが使い方も分からず、でも減るのが心配。そんな時に他人が贅沢をしたり、浪費しているのを見るとうらやましくなって、「あんな事をしていたら、破産する。」「それ見たことか、だまされて、お金を取られたじゃないか。」と、不平ばかり。一番の楽しみは、破産した知人がお金を借りに来た時に、小言を言うことである。
 この人はお金を上手く使っているだろうか?冷静に見ると、お金に使われているのではないだろうか?気がつかないうちに、主従逆転していることが多い。趣味を嗜(たしな)んでも、実は趣味のために自分を奴隷にしているかもしれない。最初の頃、私も職員にはちゃんと働いてもらおうと気を遣い、毎月、食事に連れて行ったりしたが、そのうち大変になって、中断してしまった。しかし、職員の一人が、「食事に連れて行ってくれないので、みんなの間で不満が溜まっている。」と伝えてくれた(本人は忠告のつもりだろうが)。やはりギリシャ-ローマ時代から、見かけの主従関係と実際とは違っているようだ。見かけにだまされなくなったら、やっと大人になったと言えるだろう。君はどうかな?




 

免疫と癌

 免疫機能は多種類の臓器が関係しているので、一つの臓器の機能を検査して、この人は免疫が強いとか、免疫が弱いとか判断することは出来ない。例えば、免疫と言えば、血液を指すと一般的には考えられ、医者も長い間、そのように教えられてきた。つまり、骨髄機能がすべてであり、血液が途中で通過する脾臓や胸腺や扁桃や虫垂などは、免疫に関係がなく、手術で取り除いても問題は無いと言われていた。確かに、外科的に取り除いても、差し当たっての弊害は無いようである。しかし、他の免疫機能を司る臓器との関連を考えると、少なからず問題がある。
 次に、免疫と疾病の関係を簡単に説明する。

免疫過敏

免疫低下

外部の抗原

アレルギー

感染症

身体内部の抗原

自己免疫疾患



 図に示したのは、身体の内部と外部の抗原に対する免疫反応と疾患の関係である。これを見ると分かるように、免疫は強力であれば有るほど良い物ではなく、アレルギーや自己免疫疾患を引き起こす。中庸が良いのは人間も同じであるが、ちょうど良い塩梅がある。年齢による免疫の変化は周知の通り、20-30歳代をピークに変化する。免疫力が落ちている人が多い高齢者では、感染症や癌に罹る場合が多くなる。若い頃は花粉症がひどかったのに、最近は軽くなったと思う人は加齢のため免疫力が落ちてきたのである。急激に免疫が低下してきたならば免疫の落ちる病気や放射線や化学物質を考慮に入れる必要がある。思い当たらないのならば、今後は癌や白血病に気をつける必要がある。癌も免疫の病気であるが、自己免疫疾患やアレルギー体質の遺伝を持つ人は癌にはなりにくいと考えられる。


 

だいたい、代替療法というものは


 今年の春頃から,人間の自然治癒力を重視した代替療法を行っている.しかし,その人の習慣を変えるのは,なかなか難しい.薬は病気を抑えるだけで,治すものではないと説明し,食習慣を変え,とたばこをやめるように指示しても,余計なお世話だと怒り出す人もいる.薬で治すという,日本の医療習慣はなかなか手強い.欧米では,代替医療が治療として認められているが,我が国では保険点数もない.代替医療を求めてくる人は,今までに西洋的医療をたくさん試してきた人に限られる.最初から,代替医療を希望する人は少ないようだ.おかげで,「ここの先生は食事のことばかり話して,薬を出してくれない.」と受付でクレームがある.おまけに,薬を出さずに検査をすると,患者はお冠(かんむり)だから,検査も少なくなり,点数も上がらない.税理士からは,「何かあったのですか.」と心配される始末.昔のように薬を処方して,「はい,お大事に」の治療が,どれほど効率が良いか,身を持って知らされた.代替療法を行う場合,食事のことから生活習慣や,薬剤の事を話して説得するには,一人30分以上の時間が取られることもある.しかも,点数は加算できない.日本の医療システムに逆らって,代替療法を施すことは,強い意志が必要である.
 糖尿病の治療についても,自分としては断食療法を勧めたいが,ネットで調べると,その評価は低く,そんなことを勧める治療医は,まるで素人扱いである.一般の人でさえ,断食の効果を信じる人は少ない.これが,今の日本の現状である.最新の薬を使って,大学病院で治療して貰うのが,一番良い治療だと思っている人がなんと多いことか.わたしから言わせれば,以前にも前の雑文で書いたように,モルモットにされている.糖尿病が今まで自然淘汰されずに残ってきたと言うことは,必ず,その利点があり,その体質に応じた食事があるはずだ.昔はインシュリンが無いにもかかわらず,生き残ったと言うことは,食事以外に考えられない.穀物を栽培する前は,狩猟が食事の糧だから,食事にありつける日は,非常に不規則であったに違いない.男たちが狩りに出て,何日も家を空けた時,食事は木の実や,果物が食事代わりである.しかし,そんなものでお腹がふくれるはずがないから,何日も飢餓に近い状態が続き,ようやく動物をしとめて男たちが帰ってくるのである.動物の肉を食べることが出来る期間は,腐敗を考えると,23日が限界である.その後は,また飢餓状態が続くわけである.この食事パターンを,糖尿病患者に当てはめてはどうかと考えている.最初から,このパターンをまねるのは体への負担が大きいから,最初は隔日で食事を取り,次の日は新鮮なフルーツと水だけを摂るようにしてはどうかと思う.医者からの血糖下げる薬はもちろんやめなくてはいけない.体重と血糖を毎日チェックしてもらう.しかし、この治療も薬を使わないから,保険医療機関ではどこもやるところはないだろう.


 

取説


 最近の電化製品は、コンピューターが内蔵されるようになったからだが、取扱説明書が無いと操作できない。それくらい複雑であるし、操作方法を間違えると、事故や故障の原因になる。その場合、製品の保証は無い。ところで、人間は最新の器械と比べても、はるかに複雑であるのに、生まれたときから取扱説明書がない。困ったことに、工業製品とは違うから、それぞれ構造が少しずつ異なり、それに伴い特徴や取扱方法も違ってくる。ところが、人間のしくみがすべて分かっていないにもかかわらず、一部の細胞の生化学的な解明だけで、新薬が発明され、市場に次々と登場している。その結果、複雑な人間の機能が分かれば分かるほど、薬も複雑になり、同じ病気を治療するのに、多くの種類の薬を組み合わせる必要がある。病気に陥っている組織以外に対する薬の作用は全く未知であるのに、臨床で使われている。発売後、長時間経過してから、徐々に副作用が明らかになるわけだ。薬の添付文章を見たことのある人なら分かると思うが、最新の薬ほど、取扱方法が複雑であり、副作用、適応症、年齢、妊娠、血中濃度、併用薬剤の相互作用など、一部の薬は原稿用紙にすると20枚以上の文書量である。アメリカでは医者の10人中4人は、複雑な薬の副作用をすべて把握出来ないから、今後、医者は続けられないと考えている。ちなみにアメリカにおける薬の副作用で苦しむ患者数は、年間約200万人以上である。日本の医者も、自分の使っている薬の作用は分かっても、他科から処方されている薬の作用については把握できていない。それが最新の薬となれば、お手上げである。この状態で薬剤が人に投与されているのである。
 取扱説明書のない器械(人)を故障(病気)したからと言って、上司(製薬会社、官僚、患者)からの指示で片っ端から修理(治療)している状態に医療は似ている。実は取扱方法が間違っていたから、故障しているにもかかわらず、調子が悪いから、電池を入れ替えてみたり、油を差してみたりして、寿命を縮めている。医者が行う治療のうち治癒(cure)出来る病気は4分の1であり、残りは、症状を和らげる手当て(treatment)であり、手当てしている内に自然に治っているか(風邪など)、もしくは死んでしまうのである。(言い換えれば、何もしなくても、病人の3/4は治るわけである)
 人の取扱説明書はDNAであるが、それを解読するのは、たとえば、人が書いたコンピューターのプログラムを解読するのが困難なように無理である。それが出来るのは神だけである。人が出来ることは、DNAから作られるタンパク質を一部合成するだけだ。それもタンパク質の立体構造については、まだ複製できない。健康人と病人の遺伝子の違いは、ごく少数例に見られるような一カ所だけの違いではなく、多数の遺伝子の違いがあり、それが相互作用している。だから、同じ病気でも、遺伝子レベルでは同一ではないことがある。これ以上、DNAを分析して高次医療を目指しても、治療がますます複雑になり、医者の負担や生産コスト増、つまり医療費の高騰と副作用が増えるだけである。これに対して、手術や人工臓器(臓器移植や再生医療ではない)など進歩が望まれる分野も有る。
 人の取扱説明書があったら、良いのになー、と思うけれど、本当に有ったら、誰も読まないと思う。全部読むのが大変だし、自分の欠点なんて知りたくないからだ。その証拠に、欠点を指摘すると気分を害する人が多いでしょう。


 

リサイクル

 最近、私の住むアパートでも分別ゴミとしてプラスチック回収が始まった。以前に福井市の収集されたプラスチックの行方を調べたことがあるが、東京の業者に渡され、その先は追跡不能であった。なぜ、追跡調査をしたかと言えば、他の県で収集したプラスチックゴミを不法投棄していた例があるからだ。どうして、不法投棄するかと言えば、プラスチックのリサイクルにはたくさんの費用が掛かるので、予算が無くなり、不法投棄されたからである。プラスチックをまた元のプラスチックの原料に戻すには、原料の2倍以上の原油を使い、更に人件費や輸送費を考えると、無駄なことをしていると昔から思っていた。石油の埋蔵量がそろそろ無くなりそうだという不安から、リサイクルという考えが生まれた。特にほぼ100%の原油を輸入している日本では、心配で何かしていないといられない。そんな人間の心理が生み出したリサイクル。矛盾が多くて、更にきれい事ばかりで胡散臭い。「今度の新車はリサイクル率20%達成!」とか、古紙で作られたコピー用紙など、コスト高から売り上げは伸びていない。善良な人の良心に訴えて、更に強制的に高いリサイクル料を徴収しているが、中古車や使わなくなった家電製品は実際にリサイクルしているのか、それとも海外へ売りさばいているのか不明である。海外へ転売した場合は、リサイクル料金を返さないとならないが、そんな話は聞いたことがない。たぶんリサイクル公益財団法人の隠し金になっていると予想される。天下りも人間のリサイクルだから、物のリサイクルはコストが掛かるのは間違いないと思う。
 つい最近まで、燃えるゴミと燃えないゴミだけだったのに、今では、分別ゴミの種類が増え、資源ゴミの日が増え、お年寄りにはゴミの分別は無理じゃないかと思うくらい複雑になっている。更に、ゴミ出しがほぼ毎日になっている。自治体にしても、ゴミの種類は増やさないほうが収集コストや人件費が掛からないから、本心は分別ゴミなんて止めたいだろう。ゴミの焼却で発生するダイオキシンによって、癌患者が増えたという研究報告はなく、すべて実験動物に直接高濃度のダイオキシンを投与し、癌が発生した報告しかない。つまり、どんな薄まっていても毒は毒であるという潔癖症が日本人には多い。薬だって、濃ければ毒であるし、醤油もアルコールだって大量に飲めば毒なのです。おじさんの汗も1000倍に薄めれば臭わないのです。歪んだ人間心理が科学的な根拠もなく、法律を作り、社会を変えていくのは、とても興味深いことである。大衆の情報操作は今の所マスコミが行っているが、もっとネットが普及すれば、このようなへんてこなリサイクル法は見直す時期が来るだろう。


 

ボランティアの心理

 確か、阪神淡路大震災の頃から、ボランティア活動が盛んになったように思う。ボランティアを行う人の心理としては、困っている人を助けてあげたいという基本的な人間の仲間意識、自分は恵まれているから人を助けることで得られる優越感、普段から、生活のためと称して、隣人を搾取しているのでその罪滅ぼしなど、いろいろな理由が考えられる。特に生活に余裕が出来たことが、最も大きな理由だと思う。
 天災を宗教的な事に結びつける人もいるが、宗教は道理で理解できないことを信じることであり、大天災が神の成されたことと考えるならば、多くの教祖、予言者(モーセなど)と同じように、それは何か理由があると考え、布教を行うのである。その場合、教祖が神を信じている場合と、信じている振りをしている場合があるが、実務に長(た)ける人ならたぶん大人であるので、信じている振りをして、教団のお布施や信者を増やすことに腐心すると思う。反対に、私のように学歴はあっても、どこか大人じゃない人は、神の存在を信じるわけである。同じような人がいるかと、患者を観察すると、音楽家や研究者にどこか大人になりきっていない人が多い。どちらも人間だから、良い悪いは決められないが、教祖や住職が実務的だと、偽善的に感じるのは何故だろう。
 近所には、日之出小学校があり、一時期、全国で小学生が事件に巻き込まれる事が相次ぎ、一声運動がはやった。一声運動というのは、リタイヤ後のお年寄りが、小学生の登校を見守り、一人一人に声をかけるのである。その時、返事をしないと、注意されるという大人からの一方的な部分もある。しかし、今はもう廃(すた)れてしまったようだ。これも一つのボランティアであり、いくぶん流行があるように思う。次は何がはやるか、一寸楽しみである。15年くらい前から、県立病院の受付案内にボランティアが働いているが、これは未だに続いている。
 ボランティアの3原則として、1.相手が弱い立場である。2.感謝される。3.自分に時間的、金銭的余裕がある。一般的にボランティアする方と、受ける側で利害が一致している。これより厳しい条件があれば、慈善事業となるかもしれない。1.相手が助けを希望するからではなく、自分の意志で行う。2.感謝されない。もしくは、自分の存在が相手には知らされない。3.自分に時間や金銭的な余裕が無い。以上の3原則を実行できるならば、あなたは、宗教的だと言えるだろう。キリスト教にも「汝の隣人を愛せ。」という言葉があるが、見ず知らずの他人を愛することが、どれだけ不条理であるか、長年、生きてきた人ならよく分かると思う。しかし、不条理を信じることが宗教であるから、なかなか俗人には難しい。
 私も自分の仕事をボランティアだと思っていた頃もあるが、その場合、相手の言葉や行動で傷つくことが多い。喜ばれようがそうでなかろうが、自分が良いと考えていることをしている。最も傷つかないのは、他の商売と同じように医療もカネだと割り切るのが良いと思うけど、そこまでは出来ない。どう考えればいいのか、なかなか難しい。


 

貧富の差について

 現代社会は自由競争であり、先祖の財産による差がほとんど無くなったのに、先進国では貧富の差が開いている。特に、先進国の中でも、大衆の力が強く、改革がドラスティックなアメリカと日本で著しいようだ。前回、相対的貧困率で述べたように、この原因は、仕事のコンピューター化(自動化、ロボット化)が進んで、単純作業が無くなったからだと思う。昔は、学力や、家の都合で学歴のない人たちが、金の卵と言われて、3K(危険、汚い、きつい)と呼ばれる仕事を請け負っていたわけだが、それなりに高賃金を得ていた。しかし、表面的な倫理観と企業経営者の利益の追求によって、3Kと言われる仕事が、徐々にコンピューターが行うようになった。
 もはや人間が行う3Kの仕事は、より過酷か賃金の安いものしか残っていない。だから、介護などその手の仕事は未だに人手不足である。要するに、適度に簡単な仕事は機械が行うようになった。例えば、インターネットによるキップの予約や、通信販売、銀行業務によって、受付や伝票業務に関わる人々がリストラされたと思う。最近、私の医院でも、ネットから薬の注文が出来ますよと、薬の卸が宣伝に来た。しかし、今まで注文を取ってくれたり、伝票を起こしてくれた人がリストラされないか心配なので、ネット注文は控えようと思う。
 インターネットがもっと一般的になれば、詳しい情報はいくらでも手に入るわけだから、次は営業職が減らされると思われる。最終的には役所、法律、医療、教育など、人と接する最前線の仕事と、大きな建設機械が使えない小規模な土木しか残らないかもしれない。あ、それと経営者も残ります。


 

いい子病


 この病気を初めて報告したのは、小説家の里見とんである。子供の時分、他の子供とけんかをして、気持ちが収まらず、親に報告したとしよう。自己の落ち度は伝えないで、子供は相手の悪い所ばかりを伝える。親は子供の言い分をそのまま信じて、「それは○○ちゃんが悪いね。お前はよく我慢したね。えらかった。えらかった。」といい子ちゃんの肩を持つ。
 しかし、いい子病が大人になっても治っていない人が、最近、目に付く。お役所の答弁はいい子病であるし、ブログは一般人のいい子病の症状が見て取れる。自分に不利なことは書かないし、華やかな暮らしぶりを書いても、本当かどうか分からないから、半分フィクションのような文章である。ところが、おもしろいことに、自分では都合のいいことしか書いてないつもりでも、判断基準が自分だから、時に、とんでもないことを書いてしまう。それ結果が、ブログの炎上だ。コメントが1000も超えれば、いかに鉄面皮でもこれ以上ブログは続けられない。本来ブログは、日記であるが、自分を対象に書いている私的日記と異なり、不特定多数を対象としている。これが自分には不思議な感じがするので、未だにブログに何を書いていいのかよく分からない。
 反対に、悪い子病は自分のことを低く評価してもらいたい病気だ。なんでこんな病気が流行るのか、奇妙に感じる人がいるかもしれない。人は他人の成功を嫉んだり妬んだりする。例えば、ある人が総理大臣になると、急に多く人たちが、悪口を言い始めるのは、うらやむ気持ちが混じっているだろう。だから、人から悪い子だと思われている方が、嫌がらせや、貶(けな)されることも無く、平穏な人生が過ごせる。子供の頃は、私もいい子病だったと思うが、中年になったら悪い子病に罹っている方が楽に感じられる。本来は自分の実力が10だとしたら、せいぜい8,9くらいに評価してもらうのが、正常な人の考えだろう。ところがそれでも楽じゃないから、変っている人だとか、あいつは悪いと思われていたほうがのんびり過ごせるのは、私自身がおかしいのか、この世がおかしいかのどちらかだろう。


 

免疫抑制剤

 長年、当医院に通っていた患者が、最近、亡くなった。夫の話では、死因は急性心筋梗塞らしい。剖検をしたわけではないが、医者が言うには、死後の全身CTでは死因は不明であるから、消去法でその診断名になったそうだ。しかし、今まで心臓が悪いと言われたことがないので、夫は納得していないようだった。その患者は、整形外科で慢性関節リウマチでステロイドとメトトレキセート(商品名:リウマトレックス)を何年も飲み続けていた。短期間での関節痛や関節の変形は防げるのだろうが、その人の寿命は縮まる。一ヶ月前に、免疫抑制剤の副作用として、重症の口内炎が発生し、某病院に入院していた。急変したのは、退院して、一週間後の事であった。食事療法など、身体に優しい治療法を患者に話していた矢先だったので残念だった。
 私の母も、ベーチェット病で長期間ステロイドと免疫抑制剤を飲み、最後はその副作用で血が止まらなくなり、亡くなった。免疫抑制剤は多くの症状をよく抑えてくれるが、病気を治すわけではない。やがて、副作用への対処に追われるようになる。病気が落ち着いても、免疫や骨髄がめちゃくちゃになっている。
 亡くなった患者は、足が悪くて、杖をついているから、待合室から診察室まで移動に時間が掛かった。私の母は、脳梗塞で半身麻痺があり、杖をつきながらそろそろと歩いていた。痩せた姿が、重なっていたのかもしれない。訃報を夫から聞いたとき、声が詰まってうまく話せなかった。


 

医療費削減


1.薬価切り下げをやめる。
 
切り下げをするから、製薬会社は、代わり映えのない新薬や、開発期間が短いので、安全性の低い新薬を承認申請する。官僚は、将来の天下り先が確保できるし、薬のことに詳しくないので、新薬の承認は100%である。

2.慢性疾患の新薬開発をやめる。
 
動物実験において、死亡しない安全性は確かめられているが、新薬で人間の寿命が延びるかどうか不明。すべての新薬は副作用がわからないまま処方されている。

3.予防医学を治療医学より重視する。
 
さんざん不摂生をして、病気になったら、薬で治してもらおうと言う考えを改める。ひどい人になると、薬を飲みながら、まだ不摂生を続ける。病気になる前に、生活習慣を見直せば、薬は必要なし。

4.集団保育をやめる。
 
保育所、幼稚園が休みになると、明らかに、風邪の患者が減る。特に免疫力の弱い3歳未満の子供を保育所に預ければ、罹る必要のない病気をもらってくる。

5.公衆衛生を学校の授業に取り入れる。
 
避けることが可能な悪影響のある薬品や習慣や食物を幼少時から教わる。マスコミからの情報は企業の広告費がほしいので、本当の事を知らせていない。


 

男社会、女社会

 50代の女性が、耳が聞こえないと言うことで受診した。重症の突発性難聴だったので、入院を勧めた。しかし、夫の世話をしなくてはいけないので、入院はできないという。てっきり夫は病気で、寝たきりかと思い、社会的入院で夫も一緒に入院できると教えた。しかし、彼女の答えは予想外だった。「夫とは入院したくないのです。同じ部屋では気が休まりません。」彼女は話し続けた。「いいえ、夫は病気じゃありません。でも、世話をしてあげないと、酷く怒るのが辛いのです。」
 入院を勧めても、夫の世話が欠かせないとの理由で、断ってきた女性は多い。最初は愛情から自分の病気よりも、夫の身の回りのことをしてあげたいのかと思った。しかし、入院が必要だと説明のために訪れた夫は、傲慢で横柄な人物であることが多い。その夫の前では入院したいの一言が言えないのである。男性の場合は、仕事が理由で入院を断る人が多いのとは、対照的だ。
 女性の地位が高くなったと言っても、未だに結婚前までである。結婚前のちやほやされていた立場から、結婚後は育児や家事を義務づけられ、更に家族の世話までさせられる。運が悪いと、女性にとっては我慢を強いる閉鎖的な夫かも知れない。そんな風潮が未だに日本には残っている。
 女社会は主に北欧に多く、成果を上げるよりも、人と人との調和を大事にしている社会である。この点でも、日本的な縁故関係や上下関係による人との繋がりとは違うのである。おそらく、教育を受けてない人たちを対象にした標語のような儒教が原因だろう。(例:お父さんお母さんを大切にしよう。確かに正論だが、殺人鬼の親でも大切にしなさいとか言えるのだろうか?それぞれ時と場合により判断が重要なのに、標語みたいな教えを守る単純な人が多い。)更に、規律にも厳格で、それから外れることを許さない社会である。
 たとえば、欧米の会社が自動車を150万円で販売したので、日本は同じような自動車を100万円で売り出し、一時は好況だった。でも、他の国が80万円で売り始めた。日本は対抗して、コスト圧縮を決行、失業率が上がろうが、工場の海外移転を行う。こんな具合に、社会の調和よりも、目標に向かって手段を選ばないのが男社会である。
 何事も中庸が良いなあと思ったら、理想はおかま社会かもしれない。


 

講演会の工夫
 
 補聴器をつけている人から相談を受ける時がよくあり,主に,やかましいとか,使いにくいとか,思っていたほど聞こえが良くならないとの感想が多い.補聴器の使い方は以下の様に段階を踏んで使いこなしていく.@静かな居間で2人で話す Aテレビでニュースを見る B食事の時に使う C公園で使う D近所を散歩してみる E買い物で使う F会議、会合で使う G車で使う H演劇、講演会で使う.Eくらいから,急激に難しくなる.それで,今までは,「必ず最後まで行かなくても良いです.楽しみながらやりましょう.」と励ましていた.
 私も講演会が好きで、聞きに行く機会が多い。出来るだけ会場のエコーのかかり具合などに注意している。音楽用のホールを講演会に使うと,エコーが強すぎて,健常者でも聞きにくい事がわかる.エコーの強さとはエコーの音圧と残響時間が関係している.大きな会場や音の反射の強い壁ほどエコーは強くなる.皆さんもお風呂ではうまく歌えると思います.その理由は,自分の声がこだまして,返ってくるので歌いやすく,コーラス効果で上手に聞こえる.しかし,言葉の聞き取りは,エコーが強いほど悪くなる.更に、会場が広くなると,話す人と,聞く人の距離が離れてしまう.すると,壁からの反響音が多くなり,直接聞こえる音と混じってしまうのである.一般に反射した音は,進む距離が長くなるので,直接聞こえる音より,遅れて聞こえるのがエコーの原因である。
 高齢者を対象にした講演会では,会場は小さく,壁は音が反射しないのが良い.特別に用意する必要はなくて,カーテンを引いたり,本棚を壁に置くことで,音の反射を防ぐことが出来る.それで,エコーが小さくなり,聞き取りやすくなる.また,最近は後ろの人にも聞こえを良くしようと,スピーカーを置いているが,出力調整や設置環境を考える必要がある。聞く人からの距離が違えば,人工的なエコーを作り出すことになり,やはり聞き取りが悪くなる.理想的には,スピーカーは一つで良いと思う.左右に2つのスピーカーを使うと,中央の席では聞き取りは良好だが,壁に近い場所では,やはりエコーが発生して,聞き取りが悪くなる.やむを得ない場合は、スピーカーは前後に一つずつ置き、後方のスピーカーは音が反射しやすいので、前方より出力を小さくする必要がある。
 次に,周波数特性を考えてみよう.高齢者の難聴は高音部の聞き取りが悪くなる.それに対して,低音部はほとんど正常に近い聴力が残っている.こういう場合,最新の補聴器をとはいえ,低音部と高音部で適切に調整するのは,なかなか難しい.大抵の補聴器はフィルターで調整を行う。しかし、アンプは一つしか使っていないので、ダイナミックレンジを低音部に合わせると音が潰れて聞こえて聞き取りが悪くなる.高音部に合わせると,今度は低音がうるさく感じてしまう.折衷案として,1000Hzで利得を計算して,補聴器を調整している.人間の耳は,音圧よりも音の過渡特性に敏感なので,いくら音を大きくしても,聞き取りは良くならない.かつて高品位補聴器の研究がされていたが,大きさとコストの為,ストップしている.

 


図 かまぼこ形の天井

 そうなると,聞く方だけの努力では,聞き取りを良くするのは限界がある.聞き取り環境の整備でもっと聞き取りが良くなるのではと考えている.例えば,講演会に使われる体育館は最悪な環境である.床が板張りで反射しやすく,天井も,屋根まで素通しである.特に天井が,かまぼこ状になっている場合,中央席はエコーが集中して,とても聞きにくくなる.また、会場の大きさは,おおよそ17m以内にすれば,何とかエコーの反響時間を無視できる範囲に納められる.床には,絨毯を敷き,天井は出来れば,平坦が良く,もしかまぼこ形や凸凹しているときには吸音性の材質が望ましい.もし,スピーカーを使うなら,一個だけにして,講演者のすぐ近くに置くことが望ましい.スピーカーの性能を最大限に使うなら,湿度の調整も必要である.高音を効かせるには湿度を下げた方がよい.スピーカーの周波数特性は出来るだけ平坦なものを使う.また,マイクを口に近づけて話す人がいるが,口にあまりに近いと,開鼻声になり聞きづらい.鼻に近いと鼻づまり声になる.人の声は鼻からと口からの音が合わさったものであるから,マイクは,少なくとも口から3cmは離したほうがよい.離しすぎると,マイクが壁からの反射音を拾うので,舞台の大きさを考えて,調整すると良い.また、マイクの角度も重要である。無指向性のマイクでも最良の聴取角度は90度であり、個の範囲内に音源があると良い。マイクを上に向けて話す人がいるが、それでは自声の反射音が雑音になってしまう。アンプも出力よりも周波数特性が高音(500khzくらい)まであるものを選んでほしい.音の歯切れが良いので,聞き取りやすくなる.
 音を目で見る特殊な能力を持つ人がいるが,正常人でも少なからずこの能力はある.聴覚野は側頭葉にあると主張する学者も多いが,動物実験では,側頭葉を取り除いても,音を感じることが可能であり,更に頭頂葉,後頭葉と取り除いても音を感じることが出来るとの研究もある.つまり,音を聞くときには,視覚も重要な役割があり,難聴者では相手の口元を見て言葉を判断している.講演会ではモニターで講演者の姿を映して,聴衆に見せた方が,聞き取りが良くなるかもしれない.講演者も身振り手振りを使って話してほしい.


 結論:
1)講演会はコンサートとは違うので,その環境を変えることが必要である.
2)家庭において,洋間は部屋の四隅にカーテンや本棚を配置し,音の反射を防ぐと良い.畳や襖や障子で囲まれた和室はもともと高音が響くため聞き取りに適している.
3)補聴器のダイナミックレンジはいまだに十分ではない.その理由は大きさとコストである.




 

精神的に健全な人の特徴

1.現実を客観的に認識する。
2.自分自身の特性を受け入れる。
3.何らかの仕事に関わり、専念する。
4.行動は自然で簡潔、自発性がある。
5.独立的である。自立性とプライバシーに
  関する欲求がある。
6.強烈で神秘的な体験、至高体験がある。
7.社会的関心が強い。
8.服従に対して抵抗する。
9.民主的特質を持つ。
10.創造的である。


           
 人口の約1%(少ない!)が実現している。その人たちは神経症でない中年以降の人たちである。
           (アブラハム・マズロー 1908-70

1. あらゆる体験に対して心を開く。
2.
あらゆる瞬間を充実して生きる力を持つ。
3.
他人の意志より、自分自身の意志に従う。
4.
思考と行動における自由、例えば自発性、柔軟性がある。
5.
非常に創造的である。

            (カール・ロジャーズ1902-87





 

寡頭制と民主制

 民主党が政権を取ったとき,貧者たちが勝ち取った政党と言うことで,やっと民主主義が日本でも根付くかと思われた.しかし,蓋を開けてみれば,鳩山氏は父親が総理大臣だったときに,とんでもない大金持ちにのし上がっている.小沢氏は,自民党の集金の方法を踏襲している.その他の民主党の議員たちも,献金を大いに受けていることだろう.根本はギブアンドテイクで,献金した以上の見返りを求めて,一部の有権者の欲望がそうさせているわけだ.これでは自民党時代の,大企業経営者たちを中心とする,寡頭政治と同じであり,少数の富者が,多数の貧者を支配している.民主主義を目指すには,少数の貧者が,多数を支配することが必要で,その場合は,経済の発展よりも,自由の謳歌が優先される.
 だいたい,経済が発展すれば世界中が幸せになるわけではないのであり,一部の国が発展すれば,その他の国は苦しむわけである.それは環境汚染かもしれないし,貿易赤字かもしれない.同じように科学の進歩も,なんら人間の幸せに貢献していないという説もある.中世が暗黒の時代だったという人がいるかもしれないが,それはキリスト教の教会が権威主義に陥ったためで,科学が未発達だからではない.事実,現代は人間の作り出した新しい物質により,苦しめられている.ただ,国家として維持するには,ある程度の経済力と自由が必要だろう.
 民主主義を応援する人たちは,すべてを平等に分配することを望んでいると思う.しかし,富について平等に分配しようと試みるなら,強力な中央集権が必要になる.それは共産主義であり,すべての国が共産主義ならばうまくいくかもしれないが,それ以外の体制の国があれば,紛争は避けられなくなる.また,数で多数の貧者たちが政権を取り,富者たちの資産を分配するのも問題がある.寡頭政治(日本は建国後から続いている)では,不平等こそ正義(道理)である.たくさんの税金を国家に払っているなら,恩恵もたくさん受けたいと考える.だから,どちらの言い分にも正義が成り立つ.しかし,どちらにも抜けているのは,国家としてのりっぱさであり,徳である.国家も人間も,多くの徳を持たない人たちへ,徳を持つ人から徳を分配するのはよい事である.




 

リビドー

 フロイトの言うところの性欲であるが,ユングに言わせると,人間の基本的なエネルギーの元になっているらしい.多少の異論はあるが,青春時代にはこれのせいで,無駄なエネルギーを放出し,それに対して、大人はこれを功利的な目的に使えたらなあと考えるわけである.無駄とは言うけれど,余っているわけではないから,使いすぎて,体調を崩すこともある.だから,リビドーが生命エネルギーになるとは限らない.
 エゴを隠すためにもリビドー(エネルギー)が必要である.若いときはエネルギーがあふれているので,好ましくない考えを抑圧することが出来るが,高齢者は,そのエネルギーが枯渇し,もう抑圧することが出来ず,本来の性格が表面化する.もし,その人がエゴイスティックな人であるならば,手がつけられなくなるのである.(エゴイスティックな人とは,良識,道徳の出来上がっていない人である.つまり,他人のことを考えられず,犯罪を犯しても自責の念がない.自分の利益にならないにもかかわらず,他人のことを考えるのはスーパーエゴであり,それは3歳から思春期頃に成熟する.つまりこの点で,名入りの寄付や,人を助けて,有名になろうとする行為とは異なるのである.)
 時折、物を捨てられない人がいるが,リビドーの発達が正常に出来なかったのかも知れない。貯め込みとか吝嗇家とかケチと言われる人々は、幼少時に親からしたくもないことを無理矢理に命令された人に多い.例えば行きたくもないのに,トイレを強要されるなど.そう言う人はどんなものでも捨てられないのである.
 金持ちになるのと,けちん坊とはまったく違う.そして,金持ちになるなら,何をして金持ちになるとか,何によって成功者になるか,はっきりと目的を定めておかないと,お金儲けなら何でも良いと考える人間が出来上がる.そんな人たちが会社を経営すれば、利益追求や名声を第一に、いろいろな事に手を出してくる(軟らか銀行や音ーや林檎など)。
 男性の場合,リビドーは女性よりも性欲と強く関連しているので,性欲異常に結びつきやすい.例として,ポルノビデオやポルノ雑誌に執着しすぎるのは,窃視症の一つである.セックス依存症が男性に起こりやすいのは,性的興奮と,満足感が女性より速いためであり,これは効き目が速いほど中毒を起こしやすい,抗不安剤,鎮痛剤と同じ機序である.




 

車と運転

 お盆のUターンラッシュが始まったようだが(これを書いたのは816日),まだ福井では平日よりも道路が混雑している.その中で,県外ナンバーは比較的おとなしい運転である.県外の運転手は,道に慣れていないからだが,県内の運転手は,道に慣れているから,交通違反が多い.徐行無視,信号無視,一旦停止無視,交差点で速度を落とさないでふくらんで曲がるなど,エコブームで安全よりもガソリンの節約をしているのかもしれない.それなら法律でブレーキ禁止にすればいいと思う.妊婦が子供の手を引いて,車の前方を横断していても,すべて惰性で止まること.もし,ブレーキを使ったら,再加速のガソリン代をその妊婦に請求するといい.
 違反の光景を目の当たりにすると,つい,どんな人が運転しているのだろうか,観察してしまう.一見したところ,連続殺人犯には見えない.多くの凶悪犯のように,近所の評判では,おとなしい人とか,あいさつをきちんとすると言うことで通っていると思う.
 原付,軽自動車,商用車,高級車に乗っている人は,違反をすることが多いように思う.車種から言えば,移動目的や見栄のために乗っているから,車はあまり好きではないタイプだ.車が好きじゃない人は,たぶん運転も好きじゃないと思う.彼ら(彼女ら)の頭の中には目的地に早く着きたい思いでいっぱいだ.気持ちはレーサーと同じである.異なるのは走っている場所だけだ.
 普通,車はどこでも走れるから,電車やバスより自由だと思うかもしれないが,時間を優先して運転すると,信号の少ないルートや,車の少ない脇道など,通るコースと時間は路線バス並みにしっかりと決められている.それに,通勤や子供の送り迎えなら,勢い運転は時間との戦いとなる.そうなると,手間のかかる減速や方向指示器や確認動作が省略されるのである.おまけに時間が稼げるなら,多少の交通違反も辞さない.公道では安全運転は運転が上手な事に含まれる.
 次に時間に追われる年代はいつだろう?多くは子育て中の30代の女性である.ついでに言えば,女性のこの時期は,一般的に,一番攻撃的である.男性は60代に多いが,その理由は,人生の残りが少ないから焦るのか,それとも普段の抑圧されたストレスが,高級車に乗ると,つい出てしまうのか.あるいは,家のトイレに急いでいるだけかもしれない.
 外車に乗る人は大抵は車好きなので運転も好きだと思う.頑張りすぎて,大ベン○に乗る人もいるが,お抱え運転手が,ご主人の車を勝手に乗り回しているような気もする.
 料理が好きな人は料理が上手なように,車好きは運転好き,そして運転好きは運転が上手というのが私の学説だ.そんな人たちを仮にマニアと名付けてみよう.マニアは運転中には,常に車の調子を感じとろうとしている.ステアリングの反応,アクセルに対する加速感,エンジン音,特にこれは重要で,トンネルに入ると,窓を開けて聞き惚れるらしい.オイルの臭いを男らしい臭いだと自慢するマニアもいる.車の一つ一つの動作に対して,神経を集中しているのだ.そして,上級者になれば,車の加速で同乗の人の体重がわかるらしい.
 車がきれいに磨かれているからと言って,車好きとは限らないけれど,突っ込んだショーウインドウのガラス片や,血糊を放っておくようでは,車好きとは言えない.


 

芸術論

 前回に引き続き,手始めに仕事について話しをしてみよう.医者でも生きるための仕事の部分は残っているわけで,全くの人助けならば,無料で診てあげなくてはいけない.実は私は,廃業するときには,すべて無料の出血大サービスをしてみようかと考えている.高い薬も注射も検査もただである.おかげで,医院は大繁盛である.ついでにクレームも無くなる.「ただ」だからと言えば,不平を言う人も無いだろう.薬もバイキング方式で,患者が自由に薬を持って行って貰う.しかし,毎日の仕事に疲れた貴方には,芸術家になる道も残されている.
 芸術家になるのは難しいように思っている人もいるかもしれない.貴方の作った音楽や絵や文章が売れる必要はない.身近の人へ,無理矢理,それらを配って観賞して貰うだけで良いのである.あとは髪と髭を伸ばして,ほおづえを突きながら,外を眺めて考えたり,近所を散歩をするだけでよい.
 芸術は大きく分けて,文学,絵画(彫刻も含まれる),音楽の3種類である.前者が,より知的であり,後者が,より本能的である.知的だから高尚とか,本能的だから劣っていると言うことではない.文学は言葉の意味を知らないと,芸術として味わえないので,知性が必要なだけである.辞書を片手に本を読んでも,芸術を感じる事は出来ない.それに,頭が疲れているときなどは,みんなも小説よりも音楽を聴きたいでしょう?
 音楽やダンスは知性の不十分な子供は,大好きである.たとえ赤ちゃんでも,心地よい音楽は,泣きやむほどだから,十分に観賞している.対して,視覚からの情報はかなり大脳皮質が関係している.おかげで,音を消して映画の悲劇やスリラーを見てみると,感動が伝わらないどころか,音が無い分,冷静に観賞できるので,喜劇かと見間違えるほどだ.
 聴覚は大脳辺縁系(人間の脳みその中で,サルの部分)のいろんなところへ情報を送っている.つまり本能的な感覚だから,現実感を伴って,貴方に迫ってくる.文学については,観賞する人が知的であれば,最も現実感が強いはずだが,そうじゃない場合は,全く感動は無いどころか,途中で読むのをやめてしまうかもしれない.たとえば,次の「真実の私」はどうだろう.つまらないから読み飛ばしても結構だ.私の口座番号は0874167で暗証番号は3412でキャッシュカードと貯金通帳は洋服ダンスの中にある.さらに噂では,台所にこもって,コーヒーとタバスコで爆弾を作ろうとしているらしい.他の噂では蟻(アリ)を使って,深夜に自宅を掃除をさせているらしい.つまらない文章でも,ある人(泥棒,暇人)には,興味があるかもしれない.
 ただ言語は人間の重要な能力なので,知性を磨くためには文字が読めるようになったら,文学作品に触れてみるのがよい.テレビの司会者にもなれるし.
 




 

閑暇(かんか)随想

 公衆衛生が向上した現代では,夏は患者数の少ない時期であるが、それでも多少は賑わう。

 耳に違和感があると言う患者が来た.診察の結果,異常がないと伝えると,突然,顔がこわばり,「調子が悪いから来たのに,異常が無いとはどういう事だ.だったら、他の医院を紹介しろ。」と怒り出した.商売気がある医者ならMRIでも撮ってみましょうとか言うのかも知れない。仕事や家庭のストレスだから、精神科を紹介しようとも考えたが、更に怒りそうなのでやめた。

 面と向かって怒りをぶつける勇気がない人は,悪口を言いふらす場合が多い.耳がかゆいという男が診察を求めて来た.最初に,詳しく症状を聞こうとしたら,いきなり前医の悪口を言い出した.何度か通院したが、ちっとも治らないらしい.初対面の人から,他人の悪口を聞かされるのは奇妙な感じがした.悪口を言いふらす人たちは,当該人をおとしめることで,聞き役を持ち上げようとしていると思う.こっちはそんな気持ちは全然無いから,嫌な気持ちになる.もしかしたら、その人は,次の医者の前では,私に対する不平を並べるかもしれない.

 次の医者が増長した例も経験した.その医者から,「こんなに成るまで放っておくとはとんでもない医者(私)だ」と言われて,患者はその場では怒りが収まらず,かわりに夫が、私のところへ文句を言いに来た.自分では落ち度は無いつもりだったし,診察では不満そうな様子を見せなかったので,突然のことでびっくりした.

 鼻の手術を希望して、20代の男の患者が来た。その手術は出血が多いから出来ないと断ったところ、23日後,その父親から電話があった.「子供に,手術をしたら出血すると脅かすな.」との抗議であった.あまりに理屈が通らない話なので,最初は,おかしな人だなあと思って聞いていた.しかし,電話の途中で何度か,「ちょっと待て」と言う.自営業らしく,客を相手にしているようだ.その口調は平身低頭,電話での態度と極端に違うので,だんだん腹が立ってきた.その後も,長々と文句を言い続け,私が「患者が待っているから.」と電話を切ろうとしたら,「これで終わりだと思うな.」と言葉を残して切った.とてもしつこいので,女みたいな怒り方だと思った.自営で商売をしている人は,上の立場になると,ずいぶんと変わるものである.

 そんな事があった後に、なじみの患者が来ると、緊張が解けて、顔が緩んでしまう。気難しい人には無難に対処できなくて、我ながら未熟だと思うが、生まれついての馬鹿だから、どうしようもない。

 ストレスを抱えていると,脳の中のエンドルフィンが枯渇して,他人の言動やちょっとした騒音や痛みに敏感になる.大抵の人は,自分の外にストレスの原因があると考え,その障害物を取り除けば解決すると考えているが,実は自分の内部に原因がある.普段からのストレスの積み重ねが,突然の憤怒(切れる),悪口,性格が優しい人なら,体調不良となって現れる.


 

麻薬中毒(こども版)

 みなさんの中には昔のことだから、知らない人もいるかもしれません。1960年頃に、アメリカという国とアジアのベトナムという国は戦争をしていました。戦争の原因はここで書くと、長くなるので自分で調べてみてください。戦争はとても長く続いたので、アメリカの兵隊たちはとても疲れてしまい、戦争が嫌になりました。それでも、国の命令には逆らえないので、しかたなく戦争しました。ある時、兵隊の一人が近所でケシという麻薬を手に入れました。それを使ってみたら、疲れもなくなるし、戦争をするのも怖くなくなりました。それで、仲間に教えたところ、みんなが麻薬を使い始めました。そのうち、戦争も終わり、やっと自分の国へ帰ることが出来ました。アメリカに帰国すると一部の人を除いて、ほとんどの人は麻薬をやめました。やめられなかった人たちは平和な社会でも、ストレスがありました。

 私たちの国には今、戦争はありませんが、大人たちの心の中には戦争時と同じ様な気持ちがあります。もしかしたら、会社がつぶれます、会社をクビになります、犯罪に巻き込まれます、病気になります、交通事故に遭います...

 もう良いです。結構です。これくらい数え切れないほどの心配事を抱えています。ネズミを使った実験ですが、足に電気を流す場合よりも、隣で電気を流されたネズミの鳴き声を聞く方が、ストレスになるそうです。ネズミにとって、次は自分だ、なんて考えると、とても怖いと思います。人間でもきっと同じでしょう。起こっていることよりも、これから起こすかも知れないと脅される方が、ストレスが強くなります。

 疲れや心配事が無くなるという甘い言葉に誘われて、麻薬を試してみる人もいるかもしれません。子供だからって、安心してはいけません。みなさんはどうですか?学校は楽しいですか?いじめっ子は居ないですか?お父さんやお母さんはあなたの言うことを黙って聞いてくださいますか?もし、悪い友達がいれば、「シンナーを吸うと楽しくなるよ。」なんて言ってくるかも知れないですね。
 世の中はおもしろくないことが多いし、大人になればなるほど、我慢したり人に合わせなくちゃと思う気持ちが強くなります。でも、それで良いのでしょうか?小さい頃の自分はどこへ行ってしまったのでしょう?自分を隠せば、もしかしたら、楽に暮らせるかも知れません。でも、自分を押し殺せばむしゃくしゃした気持ちが、ずっと心の中に残ります。

 次のお話はちょっと難しくなりますが、許してください。でも、何度も読み返すことで、わかってくると思います。

 人間は大きな仕事はみんなと力を合わせなくては出来ませんが、それ以外は、孤独を好む動物なのです。
 「そんなことないよ、お友達と一緒にいたときのほうが楽しい決まっているじゃないか。」と、怒り出す人もいるかもしれません。気持ちは分かります。でも、それはあなた自身をお友達の中に写しているだけです。その証拠に、そのお友達はあなたとよく似た考えでしょう。お友達は同じプロ野球チームを応援していますか?同じ趣味ですか?同じ部活ですか?いずれにしても、あなたは自分をお友達の中に見ているだけなのです。
 わかりましたでしょうか?ずいぶん先になるかも知れないですが、世の中の仕組みや人間の考え方を理解する人が増えれば、自分をさらけ出すのが楽になるかもしれません。


 

麻薬中毒

 1960年のベトナム戦争以降,麻薬を常習する人が増えたらしいが,その背景には危険な任務や,いつ敵が襲ってくるかもしれない恐怖を紛らわせるために,麻薬が使用されるようになった.毎日がストレスの連続であり,ひとときのリラックスも出来ない兵士たちには麻薬の使用は必然的になった.これを現代社会に置き換えてみよう.今や,日本国内では,自然相手の第1次産業は減少し,ノルマを課せられ,機械のように働くことを要求される第2次産業か,風船のように不確実な人間を相手にする第3次産業に勤めるしかないのである.文明が高度化するに従い,人間同士のストレスが高まり,麻薬を常習する人々が増えるのは避けられない.その人たちを意志薄弱であるとか,現実逃避と断罪するのは容易だが,根本は社会の構造変化にある.
 たとえ,麻薬を興味本位に使用したとしても,健全な生活を営み,ストレスがない状況であれば,常習者になることはない.それは,ベトナム戦争の帰還兵が証明している.彼らのほとんどが戦争中には麻薬を使用したと証言しているが,帰国後も麻薬を常習したのは,ほんの一部であり,更に常習者たちは深いPTSDを負ったか,平和な社会になじめなかった人たちである.
 果てしなく続く競争や事業拡大など,戦時中と比べて,優るとも劣らないストレスが現代人には降りかかる.仕事や日常生活のストレスを解消する方法を知らない人たちは,もし麻薬を使用する機会があれば,たちまちその簡易なストレス解消方法から逃れられないであろう.
 麻薬に日々の緊張の緩和を求める衝動を個人の責任に押しつけるのではなくて,現代社会の構造変化を考慮し,唯物主義や既存の古い価値観や絶対性(昔はこうしたもんだ、なんていう)を考え直す時期が来ていると思う.
 エンドルフィンは人間が自分で作り出す麻薬である.心理生理学的には,これを増やすことがストレス解消になる.脳内麻薬では足りずに,外へと麻薬を求めることが悪ではなく,それにふけるような環境を作り出している社会や人々の価値観が,問題である.
 そして,日本は戦後の右肩上がりの発展をいまだに望み,より快適な生活を追い求めれば一体どれだけのコストが必要になるのだろうか?世界中の人々が同じ事をはじめれば,地球は人間の住めるところではなくなるに違いない.それよりも,麻薬中毒者*や自殺者を減らす社会を目指した方が人間的に思える.

*麻薬の購入できない青少年におけるシンナー等の有機溶剤中毒も、規制法は異なるが動機は同じである。


 

相対的貧困率

 昭和60年には12%だった相対的貧困率が平成21年には16%に拡大した。数字上も貧富の差が開いている(この算出方法に問題があるとは思いますが、大目に見てほしい。ついでに、普段の私も大目に見てほしい)。
 簡単な仕事はコンピューターや機械が取って代わった。その結果、今までのような肉体労働や単純労働が減っってしまった。これを是正するには、政府は昔のように贅沢品への物品税の復活や、所得税の負荷を上げて再分配を考える所だ。しかし、それで福祉が充実すれば、働く能力のない人は何もしなくてもお金がもらえるので、更に働かなくなる。現実でも生活保護を受ける人たちが増えている。かくして、貧富の差は広がるのである。富者も貧者も働かず、忙しいのは中間層である。その中間層が減っているらしい。どうやら、働かずに暮らせたら良いなと考える人が結構いることが判明した。
 根本は日本がお金持ちになって、企業も家庭も自動化の設備投資できる余裕が出来たためである。昔なら、洗濯機や掃除機や炊飯器が無いから、女中を雇っただろうし、自家用車もないから、公共機関やタクシーや、籠や人力車を使った。農業はたくさんの人手を必要とした。能力のない人にもそれなりの働き口は用意されていた。
 昔は生活保護なんて無いから、どうしても困ったときは、出家した。寺には寄進された田や畑があり、出家者はそこで働き、自給自足したが、今はそんな受け皿もない。
 ......どうすればいいのか悩んでいたら、いつの間にか、私は80歳になってしまった(ウソ)。贅沢な生活に執着せず、新しいことに挑戦し、困窮に耐え、剛毅と並べてみる。新しい宗教が出来そうだ。将来、イギリスから独立したアメリカのように、既得権にしがみつくお金持ちチームと、どんどん新しいことにチャレンジしていく中間層チームで別々に国を作るかもね。




 

スポーツ論

 今は高校野球の地区予選の真っ盛りであるが、相変わらず、熱中しすぎる人が多い。スポーツで一生残る怪我を負うことも有るにもかかわらず、根性がないとか、努力しろとか監督の声が聞こえてくる(いまでも、私はそのように注意されている)。
 スポーツの基本は健康増進だから、人と競う必要はない。競うのはギリシャ時代では奴隷たちの役割だ。その昔、奴隷たちは裸で競技場でその肉体の能力と美を競い、市民たち、特に女性だが、その目の保養にしていたいわれがある。だから、競技場で競うのは、市民ではない。それを見て楽しむのが市民である。奴隷たちは先のことをあまり考えないで、闘争本能の赴くままに、そして、報酬の富と名声を手に入れるために、競技していた。現代でも、報酬がなければ、スポーツ界は成り立たないだろう。表面的には国のためとか、国民のためとか、最近では、自分が楽しむためと言うことになっている。うーん、なるほど。それなら本音を隠せる。運動選手の活動期間は短い。引退後の生活とか、ほとんどの運動選手の平均寿命が短いことを彼らは知っているのだろうか?サッカーのヘディングは脳障害を起こすことを知っているのだろうか?
 オリンピックや世界選手権を廃止すれば、もっと人材を有効利用できるはずだし、無駄な投資も防げるはずである。一流運動選手を育てるのに必要な費用は、たぶん億単位でしょう。更にそれを維持するのに、お金が掛かるわけです。遠征費用も、無駄なドーム球場を建設しなくて済むのです。人と競うスポーツをこの世から無くせば、その分を他の福祉や教育に回せます。
 中学校から部活が始まるわけだが、それを全廃して、フィットネスのように体育の授業の延長みたいなクラブを放課後に行えば良いと思う。授業中に居眠りしても、成績が悪くても進級させるようなどこかのスポーツ学校のようなとんでもない所は無くなるだろう。本人たちにとっても、より多くの教育を受ければ、今後の人生でも役に立つはずである。
 競輪選手の眼窩骨折、野球選手の側頭骨骨折、バスケット選手の十字靱帯断裂など、私はスポーツ外傷で一生、障害を負うことになった若者をたくさん見ている。運動選手の中には、怪我や病気をたくさん抱えた不健康者が多いのです。
 スポーツ産業の利権を貪る人たちと、スポーツで倫理観や社会性が養えると思い込んでいる単純な人たちが今のスポーツお祭り状態を作っている気がする。スポーツも明治以降に西欧から輸入したものなので、伝統は無いし、本来、競う考えは、日本人に合わない。「和を持って貴しとする」っていうでしょ。




 

自由が無い

 戦後の日本では,生活水準の向上を目指して,多少の不自由には目をつむり,集団で一つの方向に向かった.おかげで,今では世界の国なかで、かなり上位の生活水準が得られている.更にトップを目指そうとして、国民や政府はがんばっているわけだが,その歪みが現れてきている.これ以上官民一丸となって国力を上げ,見かけ上のGDPを増やせば,個人の自由が徐々に侵害されるだろう.戦時中の日本程ではないが,輸出している大企業では,国からの奨励もあるので,社員が一致して,勤勉に働くことを暗に求められている(終身雇用の崩壊後は、海外移転や日雇いでコスト削減を一番にしているので、生活水準も下がっている)。また昔のギリギリの生活から解放され、生活の心配が無い人たちは,社会正義を強く求めるようになる.厳罰化と法制の緻密化である.ちょっとしたことで,法律違反を訴える人が増え,自由が無くなる.例えば,道に迷って車を止めても、場所によっては,防犯カメラがそれを見つけ、警備員が駆けつける.散歩でも、服装によっては、不審者と間違えられて通報される.町内会に入っていないとゴミ出しをさせない。通勤電車では痴漢に間違われないように気をつけるなど,過失に対する厳罰化の傾向がある.社会正義が過剰になると,かつて関東大震災後のように,正義を守るという理由で自警団が結成され、日本語のしゃべられない人を密告したり、私刑にすることもあった.
 生活水準,安全保障,社会正義,それと自由はバランスがとれていなくてはならない.どちらかが突出しても,その国は住みにくくなる.失敗例は,ソ連や中国や北朝鮮である.国民全員の生活水準や安全保障を重視したために,自由が無くなった.おかげで不満を訴える人が多くなり,まとまらなくなり崩壊,もしくは今後,崩壊するだろう.ローマ帝国時代において,市民以外は,自由が無く,生活水準も低かった.そんな時代にはキリスト教が現れた.同じような状況が日本でも起こった。鎌倉時代は庶民は貧しく自由もなかったが、それで、貴族のためだけの仏教から、日本固有の大衆仏教が作り出された.しかし,現代のように生活水準や安全保障や社会正義が高いレベルにあると,自由が無くても,なかなか宗教は発展してこない.
 科学とは数式ですべて表される学問である。そして、人間はその分野に関してはすばらしい力を持っている。よっていずれ自然の摂理は解明されるだろう.皮肉なことに,人間自身の行動や心理は数式には変換されないので、いつまでも謎として残りそうである.その解決には宗教が更に高度化する必要がある.「神は存在します」と頭から信じ込ませる方法では,現代人の中にはついて行けない人もいるでしょう.「死んだらどうなるの?」とか形而上的な事柄を現代人にも納得できる解決策や説明が出来る高度な宗教の出現が待たれる.


 

うつ病と物欲

 私は自分自身も含めて、人類のほぼ全員がうつ病にかかると思っている。特に物欲の強い人は典型的である。うつ病には必ず、躁状態が伴う。しかし、軽い躁状態だと見逃されてしまう。そして、うつよりも躁状態が心地よく感じる人が多い。物欲の高まった状態は軽度の躁状態じゃないかと私は予想する。うつ病患者たちは、調子の良い状態を保ちたいために、次々と商品を買ってしまうのである。目の前の商品が、どれもすばらしいものに思えるので、前に購入したものには急激に興味が失せてしまい、寝ても覚めても新商品のことから、頭が離れない。これの繰り返しが、電化製品、車の買い換え、骨董品、靴、バック収集、旅行好き、リフォーム好き、多数のペットの飼育などに現れる。
 ネットで「うつと物欲」でブログをググってみた。予想通り、うつ病の人は調子が良くなると買い物を始める。本人はそれに気がついていない。一般的にはそれを趣味と考えている人も多いが、うつの物欲の特徴としては、新製品を手に入れたくなる、古いものには愛着や思い出がない、高額なものほど手に入れたくなる、購入すると興味が失せる、購入するまでは大いに下調べや比較をするが、その後は全く調べない、ストレスが掛かると、それ程ほしくもないのに購入する、自尊心をくすぐる勧誘に弱いなどである。特殊な例では、肩書きの収集も同じと考えられる。名刺に肩書きをたくさん書いている場合や、既に退職した肩書きも書き連ねている場合もある。「元○○○委員長」など。更に特殊な例になると、友達をいろいろと作りたがる場合も、それに含まれるかもしれない。テレビや雑誌は物欲を煽るようにコマーシャルを流しているが、それを見てすぐにほしいと思ったり、全く興味が持てないを繰り返す人は、要注意である。本人には被害は無いけれども、まわりへ迷惑をかけるので治療すべきかもしれない。


 

物心


 皆さん!これからお話しすることは誰にも話さないでほしい。声に出して読んだりしてもいけない。ある人物の秘密が暴露されているからだ。心して続きを読んでくれ。


 4歳 くもり,砂利道を歩いている.近所ではない,どこか旅行に来ている風景.
 5歳 小鳩幼稚園.思い出たくさん.地面に,箱のようなものが埋まっているのに気がつく.友人に手伝ってもらい,全部を掘り返した.宝物を期待したが,汚いゴミが詰まっていた.たぶん彼の名前はこうだったと思う.藤田君が転園するので,ブランコで揺れながら,寂しくなるよと,話した.その時ライバルだった某君.私は体が弱かったので,幼稚園を休むと,某君が幼稚園を支配していた.しかし,病気から回復すると,また私がボスザルだ.そのくりかえし.小学校1-3年まで,勉学は何となく出来た.読む本は親から与えられた偉人伝を好んで読む.プラモデル,玩具,漫画に興味が出てきて,学力の低下.学校で習う以外のことに興味を持つと,学校嫌いになるようだ.プラモデル好きの友人も影響を与える.これ以降,嫌なことやストレスがかかると,趣味に逃避する生活が続く.働き始めてもそれは変わらず,うつ状態かなと思う.同時に戦後の技術的な進歩をかいま見る機会を得たので,唯物主義に傾く.中学生時代のあこがれの職業は科学者であった.高校生になっても唯物的な考えは変わらず,技術が人間のすべての困難を解決すると信じていたので,技術者や科学者にあこがれる.高校1年生の頃に第1次オイルショックが起こり,単に工学系は就職が難しいと言うことで,医学系に進路を変更.元来,精神的な救いが必要な医療にはなじめなかったため,技術的,薬理的な解決だけで,診療を行う.その中でいかに技術を駆使しても救えない患者がいることを経験し,魂の救済を重視するようになる.
 医者になったら,封建的な考えから自由になり,古い伝統や因習に縛られることが無くなり,家から離れて,素直に社会を見られる様な気がした.動機は現在の自由が侵される心配があったのかもしれないが,現実の社会の中に起きている不正や不平等が目に付くようになり,社会正義に目覚める.共産主義において,たとえ富を平等に分配しても,それをどう使うかは個人の力量にかかっているので,有効に使われるとは限らないと気づく.富者,貧乏人含めて,無駄にお金を使い,それでも彼らの心は満たされていない.それよりも,魂の救済が無ければ,争い事は無くならないという想いに至る.原因は,大抵,他者から,自己の自由や正義への妨害である.協調が大事である.解決手段は哲学,宗教が中心であるが,医学的な介入の余地もあるかもしれない.

 どうだろう?読んでいてドキドキしてきた人は、脈を取ってみてくれ、脈が速くなっていなかったら、隣の人の腕かも知れない。大丈夫か?しっかりしてくれ。それでは、また。



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