EBMの弊害
何でも外国から取り入れたものが良いという考える輩は、厚労省と大学病院にたくさんいらっしゃる。EBMは根拠に基づいた医療(Evidence-based medicine)といわれ、これに逆らって診療する医者にはお上は保険報酬を払ってやらないと言うし、医療事故を起こせば有罪は確実だよと脅迫している。もちろん学会でもEBMに基づかない報告はバカにされるだけである。だが待てよ。誰もやっていない治療には根拠はどこにも転がっていないから、新治療なんて医者はやれないことになる。昨今の治療方法の開発とは、人を相手にしたことのない頭でっかちの科学者たちが次から次へと動物実験をして、やがて人に試すことである。せいぜい臨床の医者が新しく考えるのは手術方法くらいである。EBMに従えば従うほど、公務員的診療になり、公務員的医者が作り出されるのは仕方がない。やはり治療方法が科学的でなかったヒポクラテスの時代を思い出し、病人の前に立たされたときはEBMを当てにしないで、まずはつぶさに観察して注意深く治療する心がけを忘れちゃいけない。動物実験や大がかりな統計結果ばかりを重視すると、それに当てはまらない症例を見落としたり、治療に失敗してしまう。それでも大部分の患者が救えて、効率よく治療が出来て良かったと考える医者がいるかもしれない。そうだとしたら、国民を一人の人間としてみていない官僚たちと同じではないだろうか。まるでEBMは民主主義にそっくりだ。最大多数の最大幸福。だけどEBMがすべてように掲げるのは止めてくれるといいな。
ニセ医者出没
時々忘れた頃にニセ医者がマスコミを騒がす。それを知ってドキドキするニセ医者が全国にたくさんいることでしょう。私も医者らしくないと言われているので、疑われると困るから、しばらく受付に医師免許証を掲示していたが、無くすと大変なことになるので、今は自分の部屋に置いてある。
問題は偽物でも医者の世界では通用すると言うことである。放っておいても治るような病気を、重病のように思わせて薬を飲ませているケースが何と多いことか。しかし、この原因は医者だけの問題ではなく、保険で認められない治療は、間違った治療であり、もし副作用や事故を起こしても、責任は国も製薬会社も取らない、という厚労省の指導が大きい。そう言われると医者も人間だから、萎縮して、保険で認められる薬や治療しか施せない。そのうち医者の仕事はオートメーションのように安楽な仕事になり、興味は自分の生活を守ることだけになる(公務員型)。大学や大病院に多いのは文献だけが興味の対象であり、その新しい治療を早速患者で試してみたい医者もいる(学者型)。あるいは、たくさんの論文を書き、権威を上げるために留学をする医者もいる(出世型)。すべてがそんな医者ばかりではないが、大多数が求める人生のゴールを医者も追求するなら、みんなと同じような医者が現れてもやむを得ない。つまり医者ばかりに倫理を求めるのは無理である。ついでに相撲が強いからと言って、朝青龍に品格を求めるのも無理である。
ニセ医者になりたい人は、何年か医者の仕事ぶりを見学すればよい。いやでも覚えてしまう。むしろ知識よりも経験が重要であるため、医学部を出たての若い医者よりも、長年ニセ医者でいる人の方が、的確な診断になることさえあるだろう。
本当の医者の仕事は不治の病になんとか治療を試みることであり、それは患者に対する愛情が無くてはいけない。苦しんでいる人を目の前にしてなんとか治療法を探してあげるのが医者の仕事である。しかし、それには確かな知識と技術の裏打ちがないと、自分勝手な思いつきで治療を行えば呪い師や祈祷師と同じになってしまう。そこら辺を見れば、ニセ医者(きっと公務員型が多いと思う)か、本物の医者か、わかると思う。
「特定健診・保健指導」制度の問題とは
平成20年4月1日から、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)に着目した新しい「特定健診・保健指導」制度がスタートしたが、今のところ医療界での反応は乏しい。私の周りの内科医の話を聞くと協力しないと言っている。官僚は、開業医が増収のチャンスだと思うことで、もっと広がりを見込んでいたのであろうが、医師が他の業務で疲弊しているので、そこまで手が回らないのが実態である。
しかしこの制度の問題は、もっと違うところにある。病気を予防して医療費を減らすのが、目的であろうが、国がプライベートな事柄である生活習慣まで規制しはじめたと言うことである。人には生まれつきの体質もあるし、仕事の環境によってはお酒たばこをやめられないストレスが、あるのかもしれない。いろいろな人や社会問題があるにもかかわらず、それを解決しないで安易に健診によって国民の健康を管理するのは、まさしく全体主義の始まりである。かつてナチスのヒトラーが、ドイツ国民の健康を管理したように、同じことを日本が、やろうとしている。ちなみに外国では健康は、自分で守る事柄であるので、大勢をひとまとめにして健診を行うことはあり得ないし、個々で体質が違うため一律な検査は、非効率的だとしている。 「統治者は、できるだけ民に関わらないのが、良い統治である(老子)」
後期高齢者医療制度について
小泉内閣が作った新しい医療制度が、平成20年4月からが始まった。マスコミの間では、かなりの不満が出ていると報じられている。今までは全く保険料の負担が無かった後期高齢者にも、一割を保険料として年金から徴収することになったからだ。低所得者に対してはかなりの軽減制度もあるが、頭割り分の保険料は、必ず天引きされる。官僚の言うように、医療費はタダじゃないということを高齢者に知ってもらう意味合いがあるのだろうが、この法案を通した時期が、郵政民営化を問うた第44回衆議院議員総選挙で初当選したいわゆる小泉チルドレンを使った強行採決によるものであることを忘れてはいけない。これは明らかに民主主義を無視した独裁政治である(ヒトラーも同じ方法でナチス党に有利な法案を作った)。これについてマスコミは何も反対意見を述べてない。にもかかわらず今頃になって反対するのでは先が見えない大衆と同じで「困ってから考える」レベルである。もし「今日も元気だ。タバコがうまい。」などと考えるマスコミなら全く生活には必要が無く、どうでも良い芸能や娯楽番組だけ作っていればよい。もしそうでないなら、当時は政府に反対意見を述べる勇気がないほど、小泉内閣をおそれていたのかもしれない。何しろ小泉首相は議会政治を無視して官僚べったりであるため、それに逆らえば行政から不利益な通達や検察の嫌がらせもあり得るからだ。
誰かが負担しなくてはいけない保険料を75歳以上の人にもという考え方は、正論である。しかし国民に説明が不十分で、保険機構の赤字を理由に強行に法案を通したのでは、国や保険機構は残っても、肝心の国民が滅んでしまう。それは、戦時中の日本や現在の貧しい国々での行われている政治と同じである。どこの国でも官僚の国民を馬鹿にした独善主義には困ったものである。
ともあれ次々と問題がでてきますが、ギリシャ時代のように病気で死ぬのは臆病者で戦死か自殺が尊ばれたのと比べると、現代はそれなりに個人が尊重される時代になりました。
医療制度をいろいろいじって医療費の節約しようとしても、あるところをいじれば別などこかで不満が出るので、このやり方ではもう無理です。医療目的税として不健康税と称して今のたばこ酒だけではなく、健康に悪い様々なものに拡大すると良いと思う。たとえば霜降り牛肉、お菓子類、バター、ファーストフード、パチンコ、麻雀、風俗店、24時間稼働の工場など。
医療改革
最近、厚生省から医療事故の報告について因果関係が不明でも報告するようにとの指示がありました。今後の医療事故の対策のためといっていますが、医療事故は特に最近増えたわけでは無く、昔からほとんど変化していないのでは無いかと思います。こういうように懲罰的な対策をしても医療事故は減らないでしょうね。罰を重くすれば犯罪が減るという発想は簡単すぎないでしょうか?やるならなぜこういう事故が起きたかということを無記名で報告させ、今後の防止策を採った方がいいですね。もちろん安全義務違反による医療事故は懲罰の対象になるでしょうが、何でも報告させようという考えでは医療側の評判の低下や罰せられることを恐れて本当の予防にはならないと思います。
あと、医療事故の発生原因を見ていると研修医が関与していることが多いようです。決して研修医の出来が悪いわけでは無く、卒業して1−2年の医者にいろんな仕事を押しつけるその病院の体制が原因と思います。でも、これは決して病院だけが悪いのでは無く、経営面から安い労働力として研修医を使わざるを得ないのです。ベテランの医者1人を雇うコストで4人は雇えますし、看護婦と比べて時間外労働も文句を言わずに無料でやってくれるからです。だから、病院は研修医を雇うことをやめられないのです。F医大では研修と称して看護婦の仕事もやらされています。アメリカでもレジデント制といって病院の奴隷が存在します。やはりレジデントの起こす医療事故が問題になっています。この問題打開には適正な数の医療スタッフと処方箋書きなどの雑用に研修医を使うことをやめるのがいいかと思いますが経営が厳しい病院はなかなか改善できないですね。
今年(平成14年度)の医療改革で大学病院の独立法人化やさらに入院期間の短縮を目指す様に医療点数が変更されましたが、これで、またやらなくても良い手術や、無駄な検査入院が増えるのでさらに医療費は増大すると思われます。病院に対してせっぱ詰まった状態へと追い込めば、悪いことをするようになります。これは規則を厳しくすれば、それをくぐり抜けるようにさらに、悪くなると言う悪循環ですね。金持ちから税金を取るのでは無く、寄付という形で病院の債権を買えるようにしてほしいですね。
医者について
公務員が自分自身を律することが出来ないように,自分で自分の職業を批評するのは難しいことである.つい甘めになるか,大向こうを張って,一般受けの良い辛口の批判になりがちである.しかし,人間は誰でも人に良く思われたいと思いがちだ.宗教の起源者(キリスト,釈迦など)を除いて.これらの宗教家のように,この世は無であると思えば,自分を客観的に認識できると思い,自分が医者に成り立ての頃よりは少しは客観的に自分をみれるようになったと思っているので,医者という職業について考察してみたい.
直接人間の健康や生命に関わるため,責任が大きく、なおかつ病気や老化や死は避けられない出来事であるので、それを患者に納得させるのも医者の重要な仕事である。しかしそれ以外の専門家として治療技術については現代ではEBMやガイドラインになっている.現代の医者に比べて昔の医者は度胸が良いとか,おおらかだったと言うことは決して無く,医療行為の結果が過酷であろうその人の運命であったと受け入れる考えが昔の患者や家族には強かっただけである.科学や情報社会(インターネット)が発達すると普通の医療結果に満足できなくなり,最高の結果,もしくはそれに近い結果でないと満足できなくなっている.
医者は科学者に徹すれば検査結果だけを信じることになるが,それでは手遅れになることもあるし、患者の満足は得られないことは明らかである。人間を相手にするため,いわゆるカンを働かさないと,手遅れや見落としがあるのは,誰も言わないが事実である.つまり医学とは完全に科学的数学的に解決された領域ではなく,運やカンなど神から与えられた能力みたいなものがある.しかし,それでは自分たち(医者)と医療水準を守れないため,ガイドラインを作り,カンの働かない医者にも,安心して診察できるようになっている.しかしガイドラインが医療水準を示す計りになり、医療訴訟で医師を苦しめるのは皮肉である.
医師の接遇について
1.患者の性格の判断
最初はお互いに初対面であるので、少なからず緊張状態にあると思われる。しかし、何人もの患者を診ている医者に比べれば、患者の緊張は医者よりも大きいと言える。この場合患者自身の性格によって、多彩な第一印象を示すこととなる。
(1)怒り
緊張が高度に達すると、自己を守るために相手に対して威嚇のために怒りを示すことがある。この怒りを患者自身が自覚している場合と、自覚していない場合があり、自覚している場合は、自尊心を守る力が強く、今までにもこの方法で自尊心を守り得た経験があるため、対処は時間と技術を要する。反対に自覚していない場合は、医者の態度や検査や治療に対する不安が大部分を占めているため、医者の優しい言葉や態度で変化することが多い。また、怒りを示す患者の大部分はこの後者にあてはままる。
(2)慇懃(いんぎん)
患者の自己の利益を最大に得るために、相手(この場合は医者)に丁寧な態度を取ることである。言葉が丁寧なために自己の症状を率直に言えないことが多く、また、持って回った言い方が医者の判断を迷わす原因になる。加えて、こういう気質の患者は概して苦痛に対して耐える力が強く、治療方法の選択の間違いや治療開始が遅れる危険がある。患者の気が弱くて丁寧な言葉を使っている場合は、問診による病状の把握は容易であるが、後から述べる治療には苦慮するかもしれない。
ただし男の老人の場合は短気な性格を隠そうとするので、表面的な丁寧さのことがある。この場合は痛みを伴う治療には耐えられない。(見分け方は会話の多様性が無く、相手の話を聞かないとか、その場にふさわしくない話をするなど)
(3)寡黙
年少者や教育程度の低い人や老人では自分の病状を的確に伝えることが不可能な場合があり、「つらい」としか説明できない人もいる。患者の理解レベルに合わせて、問診の言葉を選択するべきであり、別の言葉で言い換えると、患者の理解を助けることもある。問診に時間をかけてじっくり行っても病状の理解は低いままであるので、早めにいくつかの診断を付けてそれに即した問診を手短に行うべきである。これも後で述べるが患者の理解力が低いので治療への協力が得られないことが多い。
(4)多弁
病気の説明以外のことが多いが、概して病状の訴えは的確であるため、医者の問診の出来不出来が左右する。
2.治療方針の説明
1.で述べた各々のタイプで説明した方が良いかもしれないが、医師の考える治療と患者の考える治療に対する溝をいかにして埋めるかと言うことでは共通であるのでまとめて説明をする.昨今の医療訴訟が増えてきていることから,今まで漠然とした医者と患者の関係から医療行為は契約に基づくとした考えに移行している.医者優先の治療から患者優先の治療になっているがその根底には自分の人生の決定権は自分にあることにある.しかし,治療に対する理解が不十分な人や,専門知識に欠ける大部分の患者にとっては,いくら医者からの説明を重ねて、治療法の選択を迫っても,患者が自分で選択をするのは困難である.また商人のようにもっとも利益率の高いものを選ぶように,治療に関しては治癒率のみで選択することは出来ない.また,その治療の効果や危険性を説明することについては,医者の公平性が問われるときである.医者も人間であるため,利益の高い治療,最新の治療で評判や権威を高める治療を選びやすい.しかし、まずは古くから確立された治療法を選択説明するのが好ましい.それ以外の治療法については,患者の期待を持たせるような言い方は避けるべきで,新しい治療は効果がいかに優れたものでも,またいかに考察を重ねても,古い治療法に比べて経験が不十分である.
治療について納得したように見えても,医者の前では否応なく了解した場合もあるし,双方が考えている治療について誤解が生じていることもある.その場合は治療を続けながら,確認をとるしかないだろう.いかに優れた問診技術を持つ医者であっても,患者が意識していない本心,これは往々にして,治療結果が患者の望むものと異なるときに明らかになることが多い.それを避けるためには予想される悪い結果を恐れずに伝えておくことが必要である.気が弱い患者や若い女性患者であっても気遣うことなく説明するべきである.つまり知らない方が患者の生活の質を上げると医者が自分勝手に判断することは避けた方がよい.病気の状態や予後を知って良かったかどうかは患者が判断することで,医師が判断することではないからだ.
医者から見た医者の性格
1. 診断や治療が紋切り調である場合,臨床経験が少ないが知識が多いタイプである.医療について問題はないが,冷たい感じや,話しにくい印象を患者に与える.
2. 1と似たような感じであるが,技術に不安があるため患者を避けるか,または議論を苦手とするため冷たい態度を取る.医者のプライドを保たなくてはいけないため自己表現が曲折してしまうのである
3. 話し方はやさしく丁寧であるが,自分の知識や技術のなさを補うために装っている結果である.
患者に対する接遇や医療技術に問題のない医師は少ない.これは医者が神ではなく人間であることの証であるので,特に驚く必要はない.歴史上のすばらしい偉人が,社会的には孤独であったり、家庭では凡人であるのと同じことである.
以上簡単ではあるが患者と医者の性格から接遇のあり方を説明した.清潔な服装ややさしい話し方,柔らかな身のこなしは基本的なことに含まれるのでここでは省略する.