クローズアップ ひと
杉良太郎さん |
芸能生活を続けながら、日本ベトナム親善大使、ベトナム日本特別友好大使、法務省名誉矯正監など48年間にわたり個人としてボランティア活動を継続。赤十字からは81年に銀色有功賞、95年には金色有功賞を受賞。俳優であり歌手の杉良太郎さんと言えば二枚目スターで、流し目で女性の心をくすぐる・・・そんな印象を持っていましたが12月1日の新聞を見て、へーいろんな事をされている人なんだーともう一つの一面をみました。
これまでに福祉活動に投じた私財は30億円で、芸能界デビューする以前の15歳から刑務所の慰問を続けていると言う。「長くボランティアをしていますが、阪神大震災以前は芸能人が福祉に関わると、何となく売名行為のような言われ方をして、正当な評価を受けにくかった」と言う。今後も本当に続けたいのは「誰もやらないような隙間を埋める仕事です。自分自身が原爆症の人やハンセン病の人と実際に語り、ふれあい、私が感じた真実を根拠に支援を続けていきます」ベトナムのハノイに日本人学校も建設されたそうです。立派なかただったのですね。
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猫が我が家にやって来ました
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10月の始めごろ知人から、ケガをした猫がいて今入院中だけど、飼ってくれる人を探しているとの話がまい込んできました。20年以上も昔、犬と猫を別々な時期に飼っていた事があったので、引き取って育てる事にしました。初めて知人が我が家に連れて来た時のこと、彼女が帰ると私達に警戒して約1日かくれんぼうをして出てこなかったのが、今ではウソのように家の中を駈けずり廻っています。
朝起きたときなど、私の足にまつわりつきニャオ、ニャオ、ニャーオと甘えた声で鳴き、だっこするまで鳴き続けます。猫なで声とはよく言ったもんだと主人。可愛がって貰う仕草には感心します。可愛がっている私をみて、過保護やぞと少々やきもち?ぎみの主人も、やっぱり可愛くて抱っこしています。二人の会話が猫中心になり、家の中の空気がまーるくなった様で幸せな気分です。
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母と同じ事をしている私
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母は元気な時、朝と夜の一日2回、真夏や寒い冬の間でも毎日お仏壇に参りお経をあげることを欠かした事の無い人でした。母が出来なくなり、私が参る様になりましたが、御前さまを供え、お花や花の水を替えるのが精一杯で母のようにお経をあげるところまでは出来ていません。でも、ふと気が付くとお仏壇に参る時には必ず手を洗っていた母と同じような事をしているなーと、可笑しくなる時があります。
こうしなさいと言われた訳では無いけれど、いつも見ていると自然にそうなっているのですね。いろいろあったけど、同居も良いものですね。
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母が育てた人
(私の夫のこと)

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嫁と姑と言うものは、元気な時はいろんな事があります。結婚する迄の20数年を全く別の生活をしていたのですから、あって当たり前。冷静に考えれば当然の事であり、自分が良しとして結婚した相手を育てて下さった母であり家族なのだから、本当は文句なんて言っちゃいけないのですが、それを忘れて自分中心の考えになってしまい、母や親戚の事で文句を言ったことがありました。その時の主人の言葉に目からうろこでした。 「しかし、俺はお前の家族の事は言わんなー。何も言うことが無いでやけど・・・」その言葉を聞いて「しまったー」と反省したものでした。でも、長い年月にはその言葉を忘れて、生意気な言葉が出てしまう事が多々あるのですが・・・
ご主人ってどんな人?って聞かれたらやさしい人という表現は、なんか軟弱に聞こえて好きではなく、「温かい人。思いやりのある人」その言葉がぴったりの人だと私は思います。
友達からもいいご主人ねって言われると、ハイ、いい人ですと言える私は幸せです。これって、おかあさんに感謝ですね。
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母を見送って
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10月末、突然?母が亡くなりました。
行動にアレッっと思う様になって約15年、ディサービスから始まり、老健施設、そして今年の6月には自力での嚥下(飲み込む力)が出来なくなり病院でお世話になっていました。数年前からは会話も無くなっていましたので自然の流れではありましたが、突然、尿が出なくなり手当ての甲斐なくアラアラという間の一日の出来事でした。
主人も私もいろんな予定を済ませた後の事で、「おふくろは俺達に何の負担も掛けずに逝ったなー。俺達の行動が解っていたかのように・・・ありがとう」お葬式が終わってからの主人は、朝起きて顔を洗うと、お母さんのところへいって、お参りするのが一日の始まりになりました。28歳で夫に先立たれ90歳までの62年間の母の人生を思うと、「有難うございました。お疲れ様でした」の一言につきるように思います。昭和21年にお父さんを亡くし、昭和23年の福井地震では、この地域一帯の家は全壊しました。おばばさんと一緒にとは言え、二人の子供をどの様にして育ててきたのかと思うと、ただただ感謝の気持ちです。
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ふしぎな花倶楽部全国大会に
初めて出かけました

杉野会長(押し花で) |
2年に一度の押し花の祭典が今年は押し花発祥の地である九州の大牟田で開催されました。現会長の杉野俊幸先生が、今から約30年前に考案され、81歳になられた今も毎月8点の新作を製作され、ご自分の美術館に展示されています。今まで平日がからむ事もあり、私は無理と思っていましたが、今年は行ってみたいなーとの思いが実現しました。
九州での3日間は、杉野先生の押し花の原点に触れ、又、全国から応募された作品に触れ、それはそれは充実した毎日でした。
自分の趣味の為に3日も家をあける事に抵抗がありましたが、家族の協力で行くことが出来てとても幸せでした。これからも許される範囲で出かけ、刺激を受けたいと思います。
今までも、自分で無理と思って行かなかっただけで、主人の反対があった訳では無いのですが・・・元気な間にいろんなとこへ行かせてもらおーっと。宜しくね。
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大人の習い事・・・3
チョットひ・と・こ・と

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あい工房で各講座を初めてから約10年が経ちました。事情でしばらく休みの時とか、辞められる時など、殆んどの方は始める時と同じように、先生や仲間の人達にご挨拶がありますが、ごくまれにですが、知らない間に来られなくなる方がいらっしゃいます。「連絡をする余裕もなく気が付いた時は時間が経っていて今更」といった場合もあるでしょうし、「辞めると言うのも言いづらいから、行かなければそのうち辞めたと思うだろう」その気持ちも解りますが、でもその事ってとても寂しいですよね。先生への礼儀として、又、お世話をさせて頂く身として、たった一言が(電話でいいから)欲しいなーと思います。悪気があってでは無いのだけれどついつい後回しになっているのでしょうが・・・
夕暮れが早くなった季節のせいでしょうか。それって寂しいなーと感じる事があります。
でも、そう思っている私自身にも同じように不義理をしている事ってあると思いますので、生意気な事は言えないのですが・・・
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大人の習い事・・・2
ボケたらあかん 長生きしなはれ
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「ボケたらあかん その為に何か一つ趣味を持ち
せいぜい長生きしなはって ええ年寄りになりなはれ」
大人が習い事を続けることはなかなか難しい事だといわれます。子供の習い事の場合、休みたいなーと思っても余程でない限り親が休ませてくれない。クシュン。
それに比べて、忙しい合間をぬっての私達大人の習い事の場合、休む口実はいくらでもありますし、又、家庭を持っていると本当にいろんな用事が出来て来ます。そんな時、家族の用事を優先して休んだり、又、時には自分を優先したりと、家族の協力なしでは続かないのが大人の習い事。どなたかが「始める時より続ける事の方が大事であり難しい」と言われましたが本当ですね。元気で長生きしていく為に好きなことを続けさせて貰いましょうね。
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大人の習い事・・・1
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ふしぎな花倶楽部のインストラクターを対象にしたセミナーが年に数回開催されます。講師として認定された先生が全国各地から来られ、新しい技法やそれぞれの先生の得意分野のデザインセミナーがあります。その時習った事を自分のものにする為、必死でメモを取ったり、日頃の疑問点を先生に質問しながら受講しますが1日の時間の経つのの早い事。その時により仕上げる額の大きさは違いますが、先生のアドバイスを頂きながら、必死でデザインを考え額の密封をし、仕上げて帰ります。セミナー会場は終日熱気に溢れていて、私達は充実した満足の笑顔で帰ります。
この日の為に数日前から準備をし、終わってからも習った事を自分でおさらいをして、生徒さんに教えます。受講者の年齢は30才代から80才代と幅広く、県内各地から参加されますが、学校を卒業して○○年経った今、一生懸命になれる時間がある事って、なんて幸せなんだろうと思います。押し花に限らず、打ち込める趣味を持てること。それは、家族の理解、健康、幸せなくしては考えられない事だと、有難く思う年齢になりました。
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私の存在を認めて・・・
老いると言う事
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元気な私達は日々、存在を必要とされているし、自分を主張もします。しかし、年をとり身体も弱くなり、家族構成も変わってくると、自分の存在を認めて貰ったり、ほめられる事がどれ程嬉しい事なのか・・・きっと私たちの想像以上だと思います。
でも、その事って元気な時は気がつかないんですよね。自分達に日々起きる出来事を消化していくのに精一杯で・・・・・私も自分の母を見て、時おり見せる寂しさ等を分かっていても、母の納得のいく、満足する言葉を掛けてあげられない事もあります。電話がかかって来ても、少々耳の遠くなった母との会話は通じにくく、あー今飛んでいって話相手になってあげられたら・・・・・と思うことがあります。
訪問ヘルパーとして働いたわずかな経験からですが、若い頃の話を何度も何度も楽しそうに話されるのを、初めて聞くかのような返事が出来るのは、その方のために伺うという仕事だからこそ出来る事だと思います。私もそうでしたが、認知症が進み何度も何度も同じ事を繰り返し話す義母の話を、他のことをしながら、時には面倒くさそうに返事をした事も多々あります。
一人暮らしではなくても、話し相手になって下さるヘルパーさんの訪問ってとても良い事だと思います。今の介護制度について、難しいことは解りませんが、本当にありがたいですね。
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ディサービスに通い始めた母

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ことしの6月から週2回、ディサービスに通い始めた母。今まで何度か進めたが、気が進まない様だったが、私のいとこから、「父も母も喜んで行っているのよ。叔母ちゃんも行ってみたら?」と進められその気になり、今ではリハビリを主にしたそのディサービスに行く日を楽しみにしています。車椅子生活が殆んどだから膝は曲がってしまったけれど、お迎えの人に手を引かれ送迎の車まで頑張って歩いているそうです。その姿を見てお義姉さんが私たちに「お母さんね、前よりも上手に歩けるようになったの」と話すのを母は嬉しそうに聞いています。ディサービスでは母よりもずーと若くして病気になり、歩行困難になっている人に「頑張ろう」と励ましているそうです。
義姉や孫夫婦にも大事にされ、経済的にも恵まれている母であっても、ヘルパーさんや顔なじみになった人、お互いが若い元気な時を知っている人達らと過ごすディサービスでの様子をはうれしそうに話す母。施設でいろんな行事をして下さるのもとても楽しみにしています。家族と過ごすのとは、又違った刺激もあり、それを仕事としている職員の方たちは、家族では出来ないプロの接し方ですね。
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夏越の大祓いとは?
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私達日本民族は祖人もそうであった様に、常に己が身心の清浄無垢である事を理想とし、毎日の生活に惜しまぬ努力をします。しかし、けわしい現世では、知らず知らずの間に人を嘆き悲しませるなどの罪をおかし、時として汚いものを目にしたり、触れるけがれも受けてしまいます。
意識、無意識のうちに重なる罪と穢れをさやけく、祓い清める儀式が水無月の大祓いだそうです。
* 水無月の 夏越しの祓いする人は
千歳の命 延ぶといふなり
* 母のぶん も一つくぐる 茅の輪かな
一茶の句からも先人の真の姿に立ちかえり度いと願うひたむきの心がうかがわれます。
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石川県白山市
白山ひめ神社にお参りして

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6月30日、氏神様であるこの神社の夏越の大払いにお参りに行きました。ここ数年は、この時期にお払いをして頂き、御札をいただいて帰ります。
神社拝殿前には半年間の罪・穢をお祓いし、元気に夏が越せるようにと 夏越の大祓の茅の輪が準備されていて、午後四時から神事がとり行われます。お参りに来られた人がこの輪をくぐりお祓いをするために7月の3,4日ごろまではそのままにしてあるそうです。
白山ひめ大神:
白山ひめ神社は、白山ひめ大神【しらやまひめのおおかみ】(菊理媛神【くくりひめのかみ】)・伊弉諾神【いざなぎのかみ】・伊弉冉神【いざなみのかみ】の三柱をご祭神として、遠く神代の昔より霊峰白山を神体山と仰ぎまつってきました。その創立は今から2000年以上も昔の祟神(すじん)天皇の時代と伝えられ、927年に記された『延喜式』にも名社として挙げられています。古来「下白山(しもしらやま)」と呼ばれた本社は、霊峰白山の「まつりのにわ(祭事を行なう場所)」として設けられた白山本宮で、「加賀一ノ宮」として尊敬され、「白山(しらやま)さん」として多くの人々に親しまれている北陸鎮護の大社です。
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叶匠寿庵・
寿長生の郷を訪ねて

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6月も終わりの週末、天気予報では ・・・注意報の出ていた日ではありましたが、参加者の日頃の行いヨロシク、福井では断続的に強い雨が降っているというのに私たちの行く所、殆んどの行程で傘の必要の無い一日でした。
滋賀県にあるこの寿長生(すない)の郷は、以前から一度行ってみたいと思いながら、初めて訪れた処でした。
車から降りて、季節の草花が咲く広大な庭を通り案内されたお茶席で、叶匠寿庵特製の和菓子とお抹茶を頂きました。一通りお抹茶が行きわたった頃、80歳を越えたとおっしゃるご婦人(おかみさんでしょうか?)のお話をお聞きしました。
そのお話に合せたように、雨が降り始めました。「雨どいを、あえて付けて無いこの萱葺き屋根から落ちる雨音を、心静かにお聞きください。そして、一年の丁度半分が終わるこの時期に、半期のいろんな嫌なこと等を「夏越の大祓」でどうぞ綺麗にお捨て下さい。捨てたつもりでも思い出そう、思い出そうとするのが人間です。その思いを沈めて、雨音を聞く心のゆとり、広さをお持ちください。」その様な内容のお話を静かに聴かせて下さいました。このお話をお聞きする為に出かけた小旅行だったような気がします。 この時だけ降った雨。しずくが落ちるところには墨が置いてあり、落ちた雨が建物にはじかない様にしてある・・・心配りの大切さを教えていただきました。
この寿長生の郷の入り口にも、「夏越の大祓」の為の茅の輪が用意されていました。
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ありがとう・・・そして
さ よ う な ら

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あい工房が出来て早いもので10年の歳月が流れていきました。その間、多くの人達との出逢いがありました。そして楽しい思い出も沢山でき、今もその流れの中にいます。
出逢いがあれば別れがあるのは仕方の無い事ですが、最近、なんとも言えない寂しい別れがありました。いくつもの講座に来て下さっていた方との、悲しいお別れでした。
車に乗れないその方は、あい工房が出来たことを、とても喜んで下さいました。
私とはひと回り程年上の方で、教えていただく事も多く、これから先も、もっともっといろんな事をご一緒にしたいと思っていましたがご病気になり、この1年余りはお休みがちでした。
そして、若葉の芽吹く、爽やかな季節に旅立たれました。
丁度意識がなくなられた頃だったようですが、夢の中でお会いしました。自転車を引いた彼女は、お元気そうな姿で、久し振りにお逢いした私は懐かしく、少し会話をした後、彼女は軽やかに自転車に乗り、振り向いて○○○○○、そして、○○○○○と私には聞こえた様に思いました。最後のお別れのとき、溢れる涙をとめる事が出来ませんでした。
最後の押し花教室の時、皆さんにピンクの千鳥草を分けて下さいましたね。その時の千鳥草は私達の押し花額の中で微笑んでいます。そして、千鳥草を見るたびに優しい貴女の笑顔を思い出しています。
ありがとうございました。そして、さ よ う な ら。
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バリアフリー
母と出かけて思う事


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母と出かける時、ショッピングセンターにもよく行きますが、必ず数台の車椅子が用意されているし、トイレも十分なスペースが取られていてとても助かります。でも、万が一の時の事を考えて車椅子は必ず持って行く事にしています。室内で使っているものを持っていくので、いつもは用意されている物を使わせて頂いていますが・・・
母はハイカラさんでピザやパスタも大好きで、できるだけいろんなお店へ連れて行ってあげたいと思うのですが、トイレの事を考えると何処へでもという訳にはいかないのが実情です。
入り口はスロープになっているのに、食事をするテーブルやトイレはチョット・・・といったお店があります。入り口のスロープは何の為?と思うのですが、足の少々不自由な人の為なのでしょう。広い駐車場があるのにスロープの勾配がきつく、とても女性の介助者には危険なところもありますので、私たちは味の事より不便さが無いかを最初に確かめてから入ることにしています。ここは★★★★★、ここは★★といったふうに・・・
今、私は車椅子生活の母をみているから、その事に関しての不便さなどはわかりますが、それはごく一部の事でしかないと思います。目や耳その他いろんな不自由さを抱えている人が加齢と共に増えて来ると思います。気になった事や体験した事などを伝える事によって気づき、不具合な点がどんどん改善されて行くとよいと思い、生意気なようですが私なりに気がついた事を書かせて頂いています。
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母の日に思う

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5月11日、金曜日の朝、母から電話が入る。用事があって掛かってきたのだが、電話の終わりに「今日来れる?」「今日は仕事だから、明日かあさってには行くでね」「分かった、待ってる」・・・
土曜日の朝、明日かあさってとは言ったけど待っているだろうなーと思い、行く準備をしていると9時過ぎ、案の定、「今日来れる?どこへ行こうか?」母からの電話が入る。
数年前から車椅子生活になった母を、平日は姉たちが訪ねたり、一緒に出かけ、休日には私が来る事を楽しみに待っていてくれる。お姉さんや甥夫婦に囲まれて幸せに暮らしていても、娘と出かけるのは、又、特別に楽しいようです。
お姉さんの仕事の関係で病気になる迄、平日の夕食の支度をしていた母は、食料品売り場に出かけるのが好きで、ひ孫や家族の好きなものを買うのを楽しみにしています。
買い物の帰り道、「連れて行ってくれるのは楽しいが、世話になるね」と言う。
母が居てくれるお陰で、今も実家との距離を近く感じていられる私たちの方こそ、母に感謝しています。
「お母さんね、この頃コーヒー飲めるようになったの」と言って、母の為にクリープを入れてくれるお姉さんの姿を、本当にありがたいと思います。
90歳を越える母との別れが何時来ても仕方のない時期に来ています。その日まで、私たち娘は出来る事を一つでも、多くしてあげようと思います。
洗濯物を取りに行っても、話す事も出来ず、訪ねる家族も分からず施設にお世話になっている義母には申し訳ないと思いながらも、待っている母の方を優先している私を黙って見ていてくれる主人に感謝しながら・・・
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母の日?のプレゼント

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5月8日。今日はとってもうれしい日。
「宅急便でーす」の声にハンコを持って出て行くと、大きな箱の上には花束と書いてあるではないですか。すごーいと言ったら、配達のお兄さんもすごーいといい、二人でにっこり。
青梅に住む主人のお姉さんと姪たちからのプレゼントでした。「いつも心遣いありがとう」のメッセージをつけて・・・
先日出かけた先で、水ようかんを見つけ、あーそうだ、お姉さんこれ好きだったなーと思い送ってもらう事にしました。そこには、かまぼこにラッキョウ、ごま豆腐、蕎麦など等お姉さんの大好きなものがイッパイ。あれもこれもと詰め込んでもらい、送ったのが嬉しかったのでしょうね。昨年の夏に体調を崩した姉は、今まで以上に福井が恋しくなっているようです。
年と共に恋しさは募っても、里帰りをして母に逢いに行っても、娘の顔も分からない。そんな母の姿が哀しく、寂しい思いをして帰って行くだけに、故郷から届く荷物は何よりも嬉しいのでしょうね。
そんな想いが花束になって届いたのだと思います。母の変わりに私が頂いた?思いがけないプレゼント。家の中は甘ーい花の香りで一杯です。有難うございました。
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♪うぐいす♪
今年も春を届けに来てくれました
  
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3月も終わりに近づいた頃、ある女性の会での話。「うぐいすがね、チチ、ケキョケキョと鳴く練習をしているのよね。頑張れと思って聞いていたら、今日上手に鳴いているの。うれしくってね、そこで一句詠んでみました。」と短歌をたしなむ彼女が披露してくれました。すごく心に余裕があって、いいなーと感心したものです。
私もうぐいすのさえづりで春の訪れを感じ、うれしい気分になり心躍るのですが、あー鳥たち、練習しているのか、頑張っているんだなーと思う心の余裕はなかったですね。
同じ福井市でも、うぐいすの鳴く時期は少しずつ違い、その話を聞いてから我が家にやって来た鳥たちのたどたどしい鳴き声に耳をかたむけ、心の中で頑張れと応援しながら聞き入っていました。そんな思いで鳥たちの鳴き声を見守っていると、ホーホケキョって聞こえた朝は、今まで以上にうれしい気分になりました。
そういえば、今から2〜30年ほど前の事、友達から、「白山が雪化粧したねー。たづちゃんのとこからは見えるやろ」と言われ、エッ白山?雪化粧?
その頃は、朝から晩まで眼鏡の仕事に励んでいた頃で、子供がいないと散歩や遊びに出かける事もなく、ただひたすら手を真っ黒にして働いていたので、電話ごしの彼女の声にハッとした時の事を思い出しました。
心に余裕を持つ生活って大事だなーと思います。幸せって、思い方次第で何処にでもあるものなんですね。
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文殊山で乾杯!!

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連日の穏やかなお天気に誘われ、今年初めての文殊山登り。
YちゃんのHPに、ご主人と文殊山に登り、あったかーいうどんを作って食べたと書いてあったので、私もうどんが食べたーいとメールを入れたところ、不慣れな私に気を使って、綺麗に整備され、ゆったりとした大村コースを案内して貰いました。
これまで、二上コースでしか登った事の無い私でしたが、又、別の山に登っているようでした。大文殊でお参りを済ませた後は、山本家特製のみそ味のうどんに舌鼓を打ち、そして、ご主人の温かい日本酒を横から少し頂きながらのんびりと過ごしました。
昨年の今頃だったら、深い雪に埋もれていたであろう、この季節にこれほどゆったりとした時間を持つ事が出来て、幸せな一日でした。H19.2.24
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文化祭のビデオを鑑賞して |
昨年11月に開催された、第6回あい工房文化祭の様子を編集し、みなさんとお茶を飲みながら見ました。今回は三谷文化振興財団様から頂いた助成金でプロジェクターを購入し、大きなスクリーンに映し出される自分の姿に歓声やら、反省やら・・・賑やかな冬の夜のひと時でした。以前は文化祭の様子を25インチのテレビ画面に食い入る様にして観ていたものですが、今回は盛り上がり、今まで気づかなかった事もあり、「今度はあーしよう、こーしよう」と話に花が咲きます。
なかなか自分たちの力ではプロジェクターは買えませんが、小さな画面で観ていた事を思うと、どうしてもこれが欲しくて申請しました。本当にありがたく思います。
これからも、介護や福祉その他いろんなビデオ等をお借りして、皆さんと共に楽しみたいと思います。
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YちゃんのHPを見て
40年前の社員旅行を思い出す

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花も恥らう?二十歳の頃に初めて出かけた社員旅行での懐かしい思い出が、YちゃんのHPを見てよみがえって来ました。彼女が新春初登山で眺めた富士山の美しさに感激した様子が伝わってきて、私も40年前にタイムスリップしました。
3月も終わりに近い頃、富士山の5合目までバスで登り、その後、伊豆、箱根、熱海をめぐる旅でした。
車窓から見える富士山の雪化粧が太陽の光でまばゆく輝く中をバスで登っていく時、手を合わせて拝む年配の人の姿がとても印象的でした。今と違って旅行に出かける事の少ない時代でしたから、会社から出かける旅行は、それはそれはみんなが楽しみにしていたものです。
製造の会社でしたから、現場で働く人たちが怪我をしないようにと、旅行などの行事の前には特に気を付けていると、工場長さんが言われていました。
私も富士山の姿を近くで見たのは初めてだったのと、太陽に照らされて、はじけるような真っ白い富士の姿に感動しました。
富士山は見るものではなく、見せて頂くものなのだと、テレビであおい輝彦さんが言われていましたが、その様な気持ちで自然と向き合っていらっしゃる姿はとってもステキで穏やかな表情でした。
拝む・・・それほど富士山とは神々しい存在ですね。
富士山の姿に感動する心は、時代がどのように変化して行こうとも変わりは無いのですね。
へご招待(山日記。長者ケ岳)
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今年の抱負
めがねで快適な生活を・・・

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10年ほど前、美術館などでの署名の時、バックからめがねを取り出して名前を書かれている人の姿を見て、その頃は、なんで自分の名前を書くのにめがねが必要なんだろうと思ったものですが、今はその事が良く分かる様になりました。
今、ちまたでは団塊の世代と言う言葉を良く耳にしますし、私もその中の一人です。
これから先の人生を楽しく、快適に過ごす為には、やはりめがねは必要不可欠の物となります。見えればいいの老眼鏡から、最近では、ブティックにもめがねが置かれるようになり、ステキなお洋服を引き立たせてくれるめがねへと、意識がどんどん変化してきた事が、永年めがね製造に携わって来た私たちにとって、とてもうれしい事です。
新しいめがねが顔に馴染むには、掛け心地のフイッティングがとても大事になってきます。40年、めがね作り一筋に歩んできた主人の魔法の手はチョットお勧めですよ。
多くの人におしゃれなめがねと共に人生を快適に楽しく過ごして頂きたい。
今年はそんなお役立ての道を広めていきたいと考えています。
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2007年はどんな年?
猪突猛進・亥年のスタート

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平成19年は丁亥で、猪は勢いがあることから、縁起の良い動物といわれています。
又、九星気学では二黒土星の年となりますが、二黒土星は女性の星で、お母さんであり、主婦であり、おばあさんを表しています。又、家庭を表してもいます。
昨年は子供の問題が多く取りざたされましたが、この子供を守るのが家庭であり、女性の役割です。今年は家庭のあり方、子育てのあり方を今一度見直して、明るい家庭がいつまでも続くように気配りをする事が大事だと言われています。
九星気学から見ると、この様な事に気をつけて一年を送るとよいようです。
占いでは、よく大殺界とか、空亡とかの言葉を耳にしますが、その時期は3年ないし2年で過ぎます。その間は行動を起こすのではなく、自分自身の内面を磨く時期だとも言われ、特にその時期は迷ったり悩んだりする事も多いのですが、その時期が過ぎれば以外とケロッとして、あれはなんだったんだろーと思う事が多いとか・・・
ゆっくりと自分を見つめる時だと思えばいいのでしょうね?
占いに興味があるので、いま勉強中です。
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穏やかな新年を迎えて

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晴れ間ののぞく、穏やかな新年を迎える事が出来ました。
元旦の朝は、毎年同じように家族でお仏壇にお参りし、主人のたどたどしいお経で始まります。(私も生意気な事は言えないのですが・・・)
その後、座敷でお屠蘇やおせち料理を頂くのが慣わしとなっています。
一年、一年何事もなく、こうして新年を迎えられる事が何よりの幸せと感じられる様になったのは、やはり年のせいでしょうか?
今から20年ほど前の事、姉と一諸に幼い息子を連れて、だるまや西武の初売りに出かけたのを思い出します。10時の開店前から長い列の中を並んで待ち、開店と共にドッと中に入り福袋を買った時の様子は、今思い出しても懐かしいですね。2〜3年は出かけたでしょうか?
正月に実家へ行った時、デパートの初売りの様子がテレビで放映されるのをみて、「お前も昔あーやって出かけていたけど、もうそんな元気ないやろー」と母が笑いながら言っていましたが、ホントあの頃は若かったんだなーと思い出します。
寒い中を連れて行かれた息子は、チョットかわいそうだったかな?
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