あい工房金沢

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2005年(H17) たづ日記



平成10年にスタートしたあい工房金沢。
そして、2005年にあい工房のHPがスタートしたのと同時にたづ日記も始めました。
あい工房であった事、日々見聞きして心に残った事など気ままに書き留めていき ます。 
皆さんのお便りなども載せていきたいと思っていますので、どんどんこちらまで送ってくださいね。
                          こちらまで 
たづ日記  トップへとり      2006年へ 

大雪に昔を思い出す 思いを伝える って 文化祭 2 ありがとうの言葉 第5回文化祭を終えて
しぼったスポンジのように? セミナー あ・い・さ・つ   本当の友達って 姉からの絵手紙
左脳と右脳のはなし 戯れ句がFAXで届きました Yちゃんのお母さん 可愛い人形が絵手紙で
もう秋 祖母の法事を終えて 三国観光ホテルにて  笛の仲間の事 
食育セミナーを振り返って 車椅子の不自由さを知る 利尻、礼文島を訪ねて 戯れ句す愛の投句箱って
メガネの販売、修理を始めて 橋幸夫さんの介護の話より 認知症の母を看て思う事 うれしかった事
ありがとうのー 頂いた年賀状より ボランティアについて 行動を解ってあげる事の大切さ
ヘルパーを体験して ボランティア訪問を振り返って バリアフリーにしてよかった あい工房の名前は?
あい工房を作りたい



一足早い?大雪に
昔、雪道を歩いた時の事を思い出しました


 平成17年も暦1枚になったとたんに、思いもしない大雪に見舞われ交通の便がマヒし、大慌てをした師走もあと数日を残すだけになってしまいましたが、一年が過ぎて行くのって本当に早いですね。 
今は雪が降っても、除雪車が1日に何度も通り、車が通るのに支障が無い状態にして頂いてとても助かっていますが、今の様に自家用車が普及していない昔は除雪も今より遅く、馬の背中の様な道を歩いたのを思い出します。
私は小学校の4年生迄は分校に通い、5、6年を本校に通うという、田舎に生まれ育ちました。普段は自転車かバイクで通いましたが、雪道だと1時間はかかる道を歩いて通勤通学しました。
・・・ こんな事も今は懐かしい思い出です・・・朝、除雪してない道を友達のお兄さんの後について歩き、その足跡を追っ駆けながら歩いた事もありました。あの時は雪が20センチ位降った時の朝だったと思います。一生懸命歩いても、歩幅が違うので大変でしたが、それでも足跡の無いところを歩くのよりは楽だったと思います。そんな日はいつもより早く着きました。汗をかいてポッポの顔をして・・・
豪雪の時の帰り道は、馬の背中の様な道を歩くのは大変でした。うまく歩かないと馬の背中からスッテン、スッテンとこけて、それはそれは疲れました。そんな時は家に着くのに1時間以上はかかったと思いますが、でも今は懐かしく楽しく思い出されます。
今のように便利じゃ無かったから、良い思い出としてよみがえって来るのでしょうね。
                                                    
思いを伝えるのって
  難しいです



 昨日、お仏壇のお花を買いに言った時の事です。報恩講さんでお寺さんが参られるので、何時もより少し豪華な花にしようと、花屋さんで作ってもらう事にしました。その間に買い物をして花屋さんに戻りお金を払う時、少し高いかな?と思ったが、特別に作って貰ったんだからそれ位はするかも・・・と思い帰りました。
朝、包んだ花を開いたら、アレッ二個分あると不思議でしたが、田舎用の大きな仏花をお願いしたので、気を利かせて一対分の二個を作って下さったんだと、さすがーと変に感心していた私でした。(仏事の時には一対(二個)飾るときもあるので・・)
でも、暫らくして、そういえば花屋さんが白い大菊を一本持って作り始めていた時、私は二本入れてねとの思いで指を二本出して言ったつもりで、伝わったものだと思い、中のスーパーへ入ってしまったのでした。
今年は、そのお陰で立派に一対の花をお供えする事が出来ました・・・が、自分がこう思っているから相手も解かるだろうと、日常のいろんな場面で勝手に、一人よがりな思いをする事ってありますよね。
あー相手に思いを伝える事って難しいなーと、あらためて感じた出来事でした。
                                               
  文化祭パート2

 うれしい
 
ありがとうの言葉





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 いつも私のお手伝いをして下さる Y・きみ子さんの協力で、今年の文化祭では、もう一つ新しい事をしました。
当日の皆さんの表情をデジカメで撮り、パソコンに取り込んでもらって、それぞれの素敵な表情をハガキに印刷し、2日後にはお疲れ様でしたと参加者の各ご家庭のポストに配達されるという早業はYちゃんのお陰で出来ました。
当日、懇親会終了後に一人でパソコンに向かい、教えて貰った通りに一人ひとりの名場面を選び印刷し、翌日には宛名を書きポストに入れるという、今までの私には信じられない進歩でした。
その後、「ありがとう、このハガキ記念に大事にしておきます」「金澤さん洒落た事するねー、びっくりしたー」など等の電話や、当日の想いを俳句にして送って下さったり・・・
皆さんの温かいお気持ちで、文化祭の疲れは何処かへ飛んでいってしまいました。
本当に私って幸せ者です。ありがとうございました。
いい思いを独り占めしてゴメンネ。Yちゃん。

第五回文化祭を終え


林千恵先生書
 11月20日、心配された空模様も、朝から好天に恵まれてまずまずひと安心。
今年は発表の部が始まる前に、水墨画の実演と体験コーナーを設けましたが、各教室の方が一緒に肩寄せ合って描く様子はとても和やかで、皆さん少年少女のようなとっても素敵な表情でした。
私がこの文化祭を始めたのは、月曜、火曜、水曜・・・とそれぞれの教室に、遠くは三国や清水町、鯖江など等、各地域から参加してくださる皆さんとの交流の場が持てたらいいなと思ったのがきっかけでした。
こうして、皆さんが一緒になって絵を描き、カラオケ、大正琴や篠笛の発表に拍手を送る姿を見て、本当に始めてよかったと思います。
まだ5回ですが、みなさんと協力し合いながら続け、帰られる時、「楽しかったー」そして「疲れたやろー、ありがとねー」とねぎらって下さるその言葉が、私の元気の源だと思います。
皆さん有難うございました。そして、お掃除など準備に来て下さった友達にも、感謝します。

                                          
セミナーに参加してA

絞ったスポンジのように


 いつもスポンジの状態でいよう!!                 
ギュッと絞ったスポンジの状態でいれば、街角でも、どこでも吸収するものがいっぱい
商工会議所主催の実践クラブでのお話で、会社や、店舗関係の方を対象にしたお話の中の1部ですが、私達の普段の生活でも、そのような意識で常に周りを見渡していれば、どんどんといろんな事が自分の身に付いていくんですね。
人と接する時でも、自分が100わかっている人でも、101ケを教えてもらおうといった姿勢が大切だとも教えていただきました。
本当にその通りで、お話をお聞きしていて、高野豆腐を思い出しました。お湯で戻した豆腐を煮含める時、やはりギュと絞りますよね。寒くなって、これからの季節に欠かせないおでんもそうで、大根も他の具材から味をいただいて美味しくなります。それも、微笑むようにやさしく、じっくり煮る事によって味が沁み込んでいきます。
穏やかに、されどたくましく常にアンテナをはって生きていく事を学びました。
                                        
セミナーに参加して@

あ・い・さ・つ



 カリスマ店長が明かすお客様とのコミュニケーションづくりで大切な事は、お客様の為に接する事。そしてお客様にストレス0の売り場づくりを目指す事(お客様に気を使わせない)だそうです。
どの様なお客様でも、良いところをさがす達人になる事だとも言われました。
常に口角を上げて話をすると、話し掛けやすい人になるそうです。そう言われてみると口角を上げると、目じりが下がって、やさしい感じになるみたいですね。
そして、お見送りのあいさつ。気持ち良く帰られる時は、お客様も振り返られるそうです。 その時、見送って貰っていると嬉しいですよね。
講師の先生のお父様は「見送ってくれる母さんがいてくれたから、頑張れた」とおっしゃったそうです。そのようなご両親の元で成長されたから、気配り、心配りが自然に身について、数年で、大手百貨店で売上ナンバー1の店長になられたんでしょうね。
日々の暮らしでも大切なことだなーと感じた、とっても良いお話でした。
                                            
本当の友だちって?






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 第5回目の文化祭をひかえて思い出す事。
あい工房が出来てしばらくした頃に大きなイベントをした時の事です。準備に掃除に草取りetc・・・一人でこなすには大変な毎日でした。そんな時、つい友だちに忙しい、大変だと愚痴った時、「それって自分が好きでやっている事やろ」って言われました。十数年来の付き合いで気持ちの通っている友達だと思っていた私はその言葉に、帰りの車の中で情けなく、悔しくて涙が出そうでした。
でも、その時の愛のムチの言葉が、今の私を支えてくれていると思います。忙しい時や、落ち込んだ時など「そうだ、自分がやろうと思って始めた事だ。甘えちゃダメだ」と・・・
そのともだちとは、数年たった今も大事な友達として付き合っています。夕方、訪ねた時など、 「晩ご飯、できているんか?カレー作ったけど」、「おでんあるけど持ってくか?」と言って助けてくれ、「欲しい」と言える良きともだちです。
人が言ってくれない事を言ってくれる、それが本当のともだちなんだと思います。
私も、本当に相手の事を思った時、やはり言いにくい事であっても、言ってあげる勇気を持ちたいと思います。

姉から絵手紙が届きました
 今年の春から絵手紙を始めた主人のお姉さんから、ステキな季節の便りが届く様になりました。
時折、整骨院の先生に体調を整えてもらい、最近では、「2〜3時間座っていても大丈夫になったのよ」と、嬉しそうに話す姉は、60才半ばを過ぎて絵手紙との出合いがあり
「届きましたよ、ありがとう」の私の声に、受話器から弾むような元気な声で「どうだった?」と少女のような声が帰ってきます。楽しみを見つけた姉はとっても可愛く、生き生きとしています。

     

 家庭菜園で採れたトマト、最後の花がしぼまないうちに朝早く描いたというオクラの花、そして さわやかな秋風を感じさせるしゅうかいどうの花・・・   
 ・・・次は何の花?果物?やさい?・・・楽しみに待ってますね。
                                              
左脳と右脳の話


 あるセミナーに参加して、男性と女性の考え方や行動特性の違い、つまり左脳と右脳の話になりました。男性は生れた時から右脳に比べて左脳が大きく、まず左脳に入るそうです。女性はと言うと右脳と左脳の大きさはほぼ同じで、二つの脳をつなぐ廊下が、男性に比べて女性は太いのだそうです。
男性からみれば女性の会話は、今この話をしていたと思ったら、途中で別の話になり、又元に戻るといったふうに話の内容がくるくる変わるので理解出来ない時があるのは、この広い廊下のせいだそうです。・・・わたしチョッと安心。きっと私の廊下って人より太いのかも・・・(えー身体だけにしてくれってー、チョッとムリかもね)
結果を重視し、拡大思考の男性に比べ、女性はプロセス重視で充実志向が強いのだそうです。
もちろん個人差はありますので、あくまでも一般的な話として・・・との前置きがありましたが、私は結構ナットクで楽しいお話でした。この話になったら眠気が飛んでいってしまいました。

さくら草さんありがとう








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 9月18日、スルスルーとFAXから流れてきた一枚の紙は、昨年の文化祭から始めてきた戯句が皆さんに親しまれ、あいされて来たんだなーと嬉しくなりました。一部ご紹介しますね。
  
なら燈火会
に参加し、1万数千個の燈篭による炎の演出に感銘をうけて詠んでみました。
情景1  
猿沢の池からライトアップされた興福寺五重搭を眺めています。
         燈火会の 祈りとともにあふれくる
                   心の灯り 万灯篭 

情景2   
平城京左京三条二坊庭園を見学し、今から1300年前の優雅な貴族生活を想い、万葉集の世界にタイムスリップしています。  
         万葉の 水の流れに時重ね
                   酒盃を浮かべて 曲水の宴


前夜の感動を、朝の宿にて書きとめられた句だそうですが、教室の日まで少し日数があるので、FAXにて送って下さったのですが、あー気持ちってかよっているのだなーと、とてもうれしくなりました。有難うございます。
あい工房の掲示板でご披露させて頂きますね。すばらしい句に、戯っ句なんて言えませんね。

Yちゃんのお母さんの

       手作り作品展示
          
  80歳になられた今も、地区の公民館の手作り教室などに通われて、可愛いわらべの人形や、パッチワークや染めのバック、手まり等など・・・常に新しい事に挑戦されていらっしゃるそうです。
あい工房の各教室に来て下さる皆さんは、もっと若い方もいらっしゃいますが、50、60、70才代の方々が殆んどです。そんな私達にYチャンのお母さんの元気を分けて戴こうと、今、作品を展示させて貰っています。
これを80歳の人が作んなったんかーと、感心しながら手に取って見ていらっしゃいます。私もがんばろーっ・・・そんな心の声が聞こえて来そうです。 

           
           いつまでもお元気で、又いろいろ見せて下さいね
可愛い人形が         
 絵手紙で届きました

 Yちゃんのお母様の作られたお人形が、とっても可愛いいと買って行かれた、しの笛の宮永晴美さんから、うれしい絵手紙が届きました。
お人形の持つほのぼのとした温かい表情が彼女に伝わってこのようなステキなお便りを戴いて、私もとってもうれしいです。
そして、まだ出逢った事の無いお二人ですが、作品の展示を通しての出合いもうれしいですね。
おーい、あい工房へおいでよーって、本当にありがとうございました。

もう秋


 今日は8月20日です。コンバインの音と共に南風にのって、乾いた稲穂のにおいがしています。毎年、秋を感じる最初のにおいです。そして故郷を思う懐かしい臭いなのです。
昔、学校から帰るとはさばには、母と祖母がその日に刈り取った稲束が下掛けしてありました。 田んぼに残った稲をリヤカーで運びましたが、父も勤めていたので、運ぶのは何時も夜でした。そして、夕食後、家族みんなではさ掛けをしましたが、今となっては、懐かしい思い出です。
月の明かりに照らされながらの夜なべ仕事は、家族の団欒の場所にもなっていて、大変だったけど、イヤだとは思わなかった幸せな秋の思い出です。
まだまだ残暑厳しい日が続きますが、数年前に頂いた心に残ったお便りの一節をご紹介しますね。
       あと一息、山の向こうに秋がある

祖母の法事を無事終えて






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 明治21年生まれの祖母は、私が嫁いだ時は84歳でしたが、毎日、新聞を読み、母と一緒に畑仕事や草取りに明け暮れる毎日で、家の周りはいつもきれいでした。そんな祖母の元気の源は、晩酌に飲む湯のみ一杯のぶどう酒でした。
当時としては数少ない女学校を出た祖母は、自分の子供や孫達に自分の身につけた学問は誰も取っては行かないと、貧しくても本人が望めば教育にかけるお金は惜しまなかったと聞きます。S21年に主人と息子を相次いで亡くし、23年には福井地震で家は全壊しました。主人達二人の子供を育てる為に、祖母と母は苦労の連続だったと思います。
今、母は認知症になり、法事で家に帰ってもここが何処だか解らない状態ですが、きっと心のどこかで、苦労を共にした母の事を想い、感じていたと思います。
祖母の25回忌に、叔母さんたちは勿論、主人のいとこの皆さんも遠方より来て下さって、とても良い法事が出来ました。
法事の案内をして、皆さんが喜んで来て下さる、そんな幸せな家庭を主人や息子と共に大事に守っていきたいと思います。
                                              8月13日

8月6日(土)
三国観光ホテルにおじゃまして


 7月23日に引き続き、再度、しのぶえの演奏で三国観光ホテルにおじゃました時の事です。参加者の予定には入っていなかった寺井さんが僕にも一曲吹かせて下さいとゆかた姿で元気に来てくれました。
実は彼のお母様が7月の初めに亡くなられて日が浅く、7月の例会(17日)の時には、まだ笛が吹けないけど、皆さんの顔と笛の音を聞きに来たんですと言われ、笛とその仲間である私達が彼の心の中に占めている部分にとてもうれしく思ったものです。(思い出すとこみ上げてくるものがあったのでしょうね) 予期せぬお母様との別れから、少しづつ立ち直り、元気に参加して下さったのが、仲間一同、とてもうれしかったのです。

笛の仲間とのうれしかった事  おととしの秋、例会の後で寺井さんとしばらく話をしていた時に、母に何か楽しめる趣味を持って欲しい。その為に、私に大正琴か何か、家に来て一緒に相手をして欲しいとお話があり、私でよければお伺いしますとお返事をしました。
後日、「母に言ったら一喝されました」と話されましたが、凛としたお母様の姿に、彼も内心うれしかったと思いますし、その話を聞いた私もうれしく思いました。年老いたお母さんを気遣いながらも、まだまだ元気なご様子にホット安心する、親孝行な息子さん。
お母様との出逢いはありませんでしたが、こんな私にお母さまの事を話して下さって、とてもうれしく思いました。
                                            
為永麻記子先生の
 食育セミナーを振り返って



        
 毎日の食生活がいかに大切であるかは理解していても、自分の勝手な理由で良くないと思いつつも、つい便利な食材や加工品に手が伸びてしまう・・・・・少々後ろめたい気分で手抜きをしている私。
毎日3度の食事となると、考えて作っている時と、どうしても惰性で作ってしまう時がありますので、時どきこの様なお話は聞かないといけないなーと思います。
あらためて日常の食事と、主婦の役割の大事さを考えさせられた一日でした。
                                          7月30日
車椅子生活の不自由さ
  あらためて知る





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 母を訪ねた日の事。実家の庭に咲くアジサイの花がとても綺麗で、押花にしようと思い何輪かもらってホラ、綺麗と母に見せた時、その花はどこに咲いていたの?と聞く母にエッと言葉に詰まった私でした。
車椅子生活にはなったが家族と一緒に暮らし、我が家でヘルパーさんに介助してもらい入浴し、私たち娘も入れ替わっては訪ねて行く日常の生活は、不自由さはわかっていてもまずまず幸せだと思っていました。
車椅子で家の中を移動出来ても、窓越しに見る視界はせまく、ああ-
さみしいんだなーと、心底思いました。又、寝たきりの生活を余儀なくされている人にとっても、見える外の風景は空だけなのです。桜が咲いても山々が紅葉しても、空だけでは何もわからないと寂しげに話した友の気持ちを、健康な私には解って上げられなかったと思います。
外に出ようかと言うと遠慮して出たくないと言う母は、幾つになっても子を思う母であり、50、60を過ぎても母にとって娘は娘なのだとありがたく、感謝の気持ちいっぱいで帰路につきました。わかってあげられずにごめんね。そして、散歩に行こうね。
                                             
利尻、礼文島をたずねて


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 40年来の念願がかなって、7月初めに稚内から船に乗り、利尻島、礼文島へと旅してきました。連日こんなに良い日が続くなんて珍しいですよとガイドさんに言われ、内心、日頃の行いが良いからだと仲間達と顔を見合わせてにっこり。
島の大自然にふれ、手を加えていない花たちが厳しい風雪を越え、しっかりと、しかもけなげに季節の移ろいと共に咲く姿はとても美しいものでした。忘れかけていた、たくましくも温かい日本の心を呼び起こしてくれた、そんな旅でした。
そこで一句
     大自然 礼文の花につつまれて
            日々の暮らしを しばし忘れて  (osomatu)

戯っ句す愛の広場って
 なあに?





 毎月1回、女性が参加するネットワーク燦燦での平成16年4月の例会で、短歌の手ほどきを受け、たどたどしくも1句詠む機会をえました。
その後、7月の福井豪雨の時、私は実家で床下から運ばれてくる泥のついたバケツを洗っていました。あの時は、どの作業も大変でしたが、土砂で埋まった川を掘って作った水溜りで、次々と運ばれる泥のついたバケツを洗う作業も腰が痛く大変でした。
でも、手をとめて腰を伸ばした時、むくげの花がふーと目に止まり、1句浮かんで来て作業の辛さも消えたのです。
      何事も無かったように咲くむくげ 梅雨前線大暴れ
字あまり、字足らず等の決まり事にとらわれず、思いつくままに言葉を楽しむことも良いのでは?と思います。
4月の例会でのチョットしたきっかけから、第4回あい工房文化祭では戯っ句を提案し文化祭の当日から、用意した投句箱は一杯になりました。
難しく考えず、お孫さんの成長や、その時々に感じた事や季節の草花等など・・・・・頭をチョット一巡りさせ、頭の体操をしてみるのも楽しいものですね・・・
季節の移ろいにあわせながら、投句箱をあけてご披露しています。
作者名は好き好きに、ご自分の名前で出す方あり、好きな花の名前ありと、自由なところが続いている秘訣でしょうか・・・

メガネの販売、修理等を始めて良かったなと思った事・・・


 ある日、近くの80歳位のおじいさんがメガネの修理をして欲しいと訪ねて来られました。拝見したところ修理不可能の枠であり、又お聞きすると老眼も進み見ずらいとの事でした。
そこで検眼をして目にあったメガネを作り、お持ちすると「こんで よー見えるわの!」と、とても喜んで下さいました。
又、「近くで作ってもらえて助かるわねー」とのご近所の方からのうれしい言葉などもあり、この地域にあって、近くでメガネの販売やレンズ加工、修理の必要性を感じました。
新しいメガネ作りは勿論のこと、ネジや鼻受けが取れたとか、掛けている間にずり落ちる等の調整や修理など気軽に利用されるようになり、あい工房でのメガネ販売、修理等を始めて本当に良かったと思います。 

テレビで橋幸夫さんがお母さんを介護された話を聞いて・・・


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 NHKテレビで認知症のお母様を介護された時の体験を話されていましたが、現在認知症の母を介護している私にとって、とても興味深いお話でした。
とても良く看てさしあげた奥様が、宇宙人だと思えば腹もたたないし辛くもない。
そして、母は私達に何を伝えたいのか、何を教えようとしているのだろうか?と思いながらお世話をしていると辛くないとおっしゃっていたそうです。きっと橋さんが奥様に感謝されている気持ちが伝わっていたから一生懸命看てさしあげられたんでしょうね。とっても良いお話でした。

認知症の母を看て思う事


アレ?と思ってから10年余り。自分では食べる事も話す事も勿論歩く事も出来ない母は、数年前から施設にお世話になっております。洗濯物の交換もあり週に数回母のもとを訪ね、自宅で母の着替えを洗濯させてもらう事が、唯一家族としてつながりを保っているといった状況です。
そんな私が思う事、そして出来る事。それは認知症の初期家族以外の人にはほとんど気付かれない頃)が家族にとって本当に精神的に大変な時期だという事を、体験されていない方に知ってもらう事、そして介護に直面されている方のお話を聞いてさし上げる事だと思います。
勿論,症状が重くなればなったで又大変なのですが、介護の苦労を解ってくれる人がいるというだけで、頑張る事が出来るのです。母と関わっていて自分がおかしいのか、母がおかしいのか訳がわからなくなった時期もありました。肩でため息をし、涙がポロポロあふれたりもしました。
たぶんその頃の私って、すごい顔していたんだろうなーと思います。
「先にボケた方が勝ちだと思ったことがある」と、以前体験された方から聞いた事がありますがその気持ちも解かります。
自分の事が出来なくなって行く母に対し、何時しか私が上になって母にものを言っている自分に気付き怖いと思いました。そんな私を一度も責めなかった主人に感謝しています。
でも、今の私は母と一緒に一つのプリンやアイスを同じスプーンで分け合って食べています。介護を通して母を義母と思わなくなったんだと思います。どんな事も必要な事なんですね。今はそう思えます。

                                                      
うれしかった事

 数年前の三国沖重油流出事故のボランテイアに参加した時の事ですが、その日家へ帰ると町内の方が我が家の夕食を届けに来て下さいました。私が行っている事を伝え聞いて「私は今は子育てで行く事は出来ないが、せめて疲れて帰って来たあなたに食べて欲しい。私にもこんなお手伝いならできるから・・・」私はビックリしましたが、本当にうれしくて数年たった今でも忘れる事は出来ません。かたちは違っても気持ちさえあれば出来るんだという事を若い彼女から教えて頂きました。
家族と一緒に美味しく頂き、とっても幸せな気分でグッスリ眠る事が出来ました。本当にありがとうございました。

ありがとうのー
 夜の教室が続いたり、文化祭の準備で疲れた時など、そう言って下さるのが何よりのごほうびで明日への活力の素になります。
また、美味しいお漬物や煮豆、茹でたての枝豆やお餅、ジャム等など頂いたり、私って本当に幸せ!!
皆さんありがとのー。私には何人もの母がいるみたい。

頂いた年賀状より・・1
 ある講演会に来られたのがご縁で、その後暑中見舞いや年賀状を下さる方がいらしゃいます。為になるお話や心に残るお話など、そのまましまっておくのが勿体なくて、あい工房の掲示板に頂いた年賀状よりとして皆さんにご披露しています。ご紹介しますね。
かまどの薪も1本では燃えません。薪は寄添い合って燃えます。人も同じでお互いに暖めあうと燃える様です。今年は皆様と寄添って燃えようと思います。」大きな紙に書き換えて貼リ出しますが,皆さん納得といった表情で喜んで下さいます。
勝手にご紹介させて頂いておりますが、いつも有難うございます。 

                           
ボランティアについての
私の思い






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 教育改革の一環として、ボランティア活動を義務づけようとしている事について、賛否両論があるようですが、きっかけは何であれ機会があれば体験してみる事は良い事だと思います。ともすれば、行ってあげる、してあげると感違いしがちですが、させて頂く側の私達も元気を貰い、喜びをもらう事を体験の中で知りました。
ただ、押し付けと自己満足には気を付けないといけませんが・・・
私が経験して思う事ですが、大変な事体の中でボランティアの人達の食事作りなどに、婦人会の方や地域の方が一生懸命お世話して下さる姿に感謝しながらも、これで良いのかな?と疑問を感じる事もありました。
寒い時、暑いとき、その時どきに出して下さるものは、本当に美味しく、遠慮せずに頂いた私が生意気に言うのもでおかしな話ですが・・・・・。
昨年7月の豪雨の時、私の実家は床上浸水になり、猛暑の中を手弁当で、床下にもぐり懸命に泥出しに精を出して下さる皆さんの姿を見て,有り難く涙が出そうでした。山からの鉄砲水に橋は流され、池は土砂で埋まり、家の前も土砂で山が出来ていました。機械の入らない池に水が張られ、鯉が泳ぐ姿など想像も出来ませんでしたが、おかげ様で復興する事が出来ました。機械は勿論ですが、人の力の偉大さもあらためて知りました。
そして、この次はお返ししなければと感じました。

  当時を振り返って

解ってあげる事の大切さ




 介護の勉強をして、当時の母の行動が少し理解できました。
夕食を終え、「もう寝るわ、おやすみ」と言って部屋に入った母が、しばらくしてトイレに入った後、あちこちの部屋の戸を開けては閉め、又開けては・・・を繰り返している姿を、居間でテレビを観ていた私たちは、何をしているんだろうと不思議に思っていました。
でも、その当時は解りませんでしたが、母は自分の部屋に戻れなくて、探していたんですね。
そうと解っていれば、部屋へ連れて行ってあげたのにと思いますが、きっと母は不安で、戻れない自分にパニックになっていたのでは無いかと思います。
又、こんな事もありました。
朝、まだうす暗い頃、玄関の戸が開く音がしてそーと中から見ていると、道路に面した所で立っていた事がありました。しばらくすると家に入り、又出て行くといった事もありました。朝と夕方を間違えて、学校から帰ってくる孫を待っていたんですね。
少し物忘れが始まると、徘徊では無いかと思いがちですが、母には母の思いがあっての行動であって、息子を想っての気持ちは逆にありがたい事なんですが・・・
その当時の私にそんな余裕はありませんでした。デイサービスの車に乗るまでは戦場でした。肩で息をしながら走り回っていた私って、きっとすごい顔をしていたんでしょうね。
認知症と一口に言っても、その人その人の歩んできた人生が違うように、その状況も千差万別だと思いますが、私は母を看てその様に感じました。

ヘルパーを体験して
思う事





 3年前ヘルパー2級の資格を取得し、訪問ヘルパーを体験してみて思う事。 
それは、日々の過ごし方や時間の進み方が、それぞれに皆んな違うという当たり前の事が、恥ずかしながら体験してわかりました。
訪問させて頂いた利用者の方はご高齢でしたが、ご自分の事はさほどお手伝いしなくても出来る方でした。何でも遠慮せずにおしゃって下さいねと言いますと、「人の手を借りるようになったら何も言わない事にしているの」と言われる立派な方でした。
蕗のとれる頃、私が皮をむくと言われるのでむいて頂きましたが、「若い頃は手が黒くなるのでイヤだった」と昔を思い出し、二人顔を見合わせ微笑んだり、又、秋には大好きな干し柿作りもしました。私も皮をむくといってエプロンを出してこられて、昔話をしながら二人で柿の皮をむいている時って、とても生き生きとしていて楽しそうなご様子でした。柿を紐に吊るしてもらいましたが、とてもお上手で感心しながら見ていました。
昔とった杵ずか・・・と言ったことわざがありますが、歳をとったから出来ないではなく、出来る事はして頂く事がいつまでも元気を保つ秘訣なんですね。
ただ、家族となると、私が母のペースに合せて同じ事が出来ていたかと言うと出来ませんでした。私がするから良いですよと言葉は親切でも、母のことを思ってではなく、私の都合で言っているだけなのです。頭では理解出来ていても、気持ちの上ではどうにも出来ない事ってたくさんありますね。
認知症の母を介護し、又ヘルパーを体験してみて、利用者さんの為にその時間伺うヘルパーの役割の大切さを再認識しました。
今、私は共に米寿を過ぎた二人の母との時間を大事にしたくて、ヘルパーはしていませんが、いろんな事を学ばせて頂きました。

介護施設でのボランティア訪問を
振り返って
 あい工房の教室の皆さん達と一緒に、昼食後のくつろぎの時間に訪問させて頂きましたが、利用者の皆さんに喜んで頂きたい一心で私が用意したものは、今思えば少々欲ばりメニューではなかったかとチョッピリ反省しています。今になって、職員の皆さんの「そんなに頑張らなくていいのよ」ってやさしい声が聞こえる様です。
一緒に参加して下さった教室の皆さんもとても喜んで、その日を楽しみにして下さっていました。良い経験をさせて頂きました。施設の皆さん有難うございました。

 
バリアフリーにして
良かった





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 簡単に言えば建築用語でバリア(障壁)を除くと言う意味だそうです。
スロープが有り建物の中まで車椅子で入れる事、車椅子専用トイレを造る事等が、あい工房を建てる際の私の第一の希望でした。そんな思いはあってもバリアフリーについての私の知識は少なく、いつもメージャを持ち歩き、病院や公共施設で車椅子の方がトイレに入られる様子を見ていて、寸法と使い勝手なども調べて歩きました。
トイレ内の手すりも下地からの補強が必要であり、大工さんの進行状況に合せ、相談しながら進める毎日でした。
身内を見回しても健常者ばかりの私が、なぜそれ程までにこだわったのか、それは高齢者や障害等を持った人達と共に生きがい作りと互いに支え合う老後を目指す為には不可欠のものだと思ったのです。しかし生意気にも専用トイレといっても、本当に必要な方にとっては、まだまだ不便な部分もあるかと思いますが、一昨年前から車椅子生活になった私の母が、自分の好きな時に人の手を借りずに入る事が出来て、「おまえの処は楽や」と言ってくれる母の言葉を聞き、本当に良かったと思っています。
 
「あい工房金沢」の
名づけ親はだあれ?
 主人と私の合作です。
主人は家業のメガネからあいを、そして私は人と人との出逢い、ふれ愛を大切にとの想いから あいを選びました。
そして、あい工房を利用して下さる皆様が、それぞれの想いを心に描き、創りあげて頂ける様にとの思いが一致して、「あい」とひらがなにしました。


 この工房の顔である「あい工房金沢」の文字は主人の自筆を元に造ってもらいました。
めがねのデザインも可愛く入れました。
主人が「ドラッ」と簡単にマジックを持ち、描いてくれたその字体がとっても温かく、主人の人柄がそのまま文字になっているようで、私は大好きです。
自然に、そして流れにまかせていきたいと思います・・・

あい工房を作りたい


 平成の初め頃、知人に誘われて覗いてみた水墨画教室。私よりずっと人生の先輩の方達の絵に対する情熱や生き方、立派な作品に圧倒されました。結婚して20年余、ただひたすら自営の仕事に追われる毎日の私にとって、自分の為に時間を使うという事の初めての素晴らしい出逢いでした。
そして、出展した後に片ずけられている力作をみて、もったないなー、人の目に触れる場所に飾りたいなー等と生意気にもそう思ってしまったのです。しかし、次第に記憶がまだらになっていく義母の姿と、今までお任せだった畑仕事などが全て私の肩に掛かって来て、思いの実現は諦めていましたが、主人が後押しをしてくれました。
寄せてくる不況の波に、夫の温かい理解が防波堤となり平成9年12月に完成し、地域を越えて親しまれています。
超高齢化社会に突入する今、人恋しくなった時、雨が降って畑仕事も出来ず退屈だなーと思ったとき等、心のよりどころの場として、又自己啓発の場として愛され元気な声が飛び交う場になります様に・・・・・
いつまでも初心を忘れないで、NPO団体として仲間と共に頑張って行きたいと思います。


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