あい工房金沢

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2013年 (H25) たづ日記

平成25年がスタートしました。
巳年(へび)は何度も脱皮を繰り返して成長することから、商売やお金に関係する神様として崇拝されています。
昨年末に再び自民党に政権交代し、期待感からか株価上昇のニュースが流れていますが、今年一年が明るく希望の持てる年になって欲しいと願います。
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1年を振り返ると、個人的には本当に大変な年でしたが、健康な身体を授けてくれた両親のお陰で乗り越えてこられました

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あい工房金沢文化祭 宮永さんの新盆に・・ これも そう? 同質の原理
島津亜矢の曲。
感謝状・・・母へのメッセージ
母との別れ−B 母との別れ−A 母との別れ−@
あい工房の庭でバーベキュー 音楽の交流会を開きました 富山、高岡まで 心に残る曲・
丸山明宏さん時代の懐かしい思い出 美輪明宏さん 平成25年巳年はどんな年?        

あい工房金沢文化祭


あい工房も活動を始めて16年が経ち、地域を越えて集まってくださる皆さんに支えられながら、今年で13回目の文化祭を12月15日の午後開催しました。都合によりクリスマスを間近に控えた時期になった為、皆さんと相談して12時開始でバイキングの昼食としました。
16年という事は、60歳で始めた方は76歳に、65歳からの方は80歳をこえています。病気や年齢で車の運転が出来なくなり辞められた方や、不幸にも亡くなられた方などを思い浮かべればこの歳月の重みを感じますが、今年の文化祭にはこの曲を唄おう、大正琴ではこの曲を弾こう・・・と楽しんでこの日を待っていて下さる声に支えられながら、バイキングの料理を手分けして準備し楽しく過ごした一日でした。
昼食の後はそれぞれに練習の成果を発表しあい、最後のティータイムで終了し、「ありがとう。楽しかったわー」と帰路につかれる頃には、あい工房前に飾られたイルミネーションが花を添えて心地よい疲れを癒してくれます。ありがたい事と皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

宮永さんの新盆に・・ 8月17日の一周忌を前に、笛の仲間と一緒にお参りさせて頂きました。笑顔の彼女の写真を前に涙があふれてとまりませんでした。ただただ、ありがとうの言葉しかありません。  初めてお目にかかるご主人も、突然の病気で奥さんとの別れに、思い出を話される目には涙があふれ心が痛みました。このやさいいご主人がいらっしゃっての彼女のきめ細やかな心くばりだったのだと思いました。

これも そう? 笑いとかユーモアは心に余裕があるときにうまれるものだとか。感情をコントロールする不思議なちから。想いをつむいで いまを生きよう。ゆるやかに、ゆっくりと・・・

同質の原理 元気な時はどんな曲を聴いても良いが、悲しい時には悲しい曲を聴くほうが良い。それが同質の原理なのでしょうか。悲しい時に元気な曲をきくともっともっと落ち込むそうです。 美空ひばりの「みだれ髪」はモーツアルトにそっくりだとか。モーツアルトの曲をじっくりと聴いてみたくなりました。

島津亜矢の曲。
感謝状・・・母へのメッセージ


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なぜこの曲が耳に入ってきたのか覚えはないが、今の私には母への想いが伝わってくる大切な曲です。母が亡くなった事が実感としてわいてこない、人ごとのような気持ちが自分でも不思議でしたが、
「ひとりだけの時、誰もいない時、そっとこごえで呼んでみる、お母さんおかあさん・・・」
この唄を口ずさんでいると、なぜか、心が落ち着きます。いつまでも大事にしたい曲に出会えた事が嬉しい私です。

母との別れ−B


明日8月3日(土)は我が家の法事を控えていました。ここ数日は母の看病に通っていたので明日の準備をしていました。そんな中、母が息を引き取ったとの電話が入ったのは昼の12時でした。「なんで今日なの?」電話を切って思わず出た言葉でした。眠っている母に「2・3日来れないけど、4日には来るので待ってて」と言って帰ったのに・・・。それは私の勝手な思いですが・・・
明日の法事の為に、東京から姉達家族が途中まで来ているし、家には法事の引き出物も届いている中、法事は予定通り行う事にして母の元に駆けつけました。
3日は無事に法事を済ませてお通夜に駆けつけ、夜は姉達と一緒に母と過ごしました。
もし別の日に亡くなり、3日がお葬式と重なったら・・・と思うと、これで良かったのかなーと思います。

母との別れ−A 今まで何度も体調が悪くなり、そのつど入院し、時には手術もしましたが回復は驚く程の速さでした。そんな母と突然このような日が来るとは思ってもいませんでした。歳もとっていることだし、体調をこわして入院し徐々に最後の日がくるまで母の世話が出来るものと思っていたのでショックでした。その日は施設で流しソーメンをして頂き、美味しい美味しいといって食べた後だった事と、職員の皆さんがいらっしゃる中での出来事で、すぐに対応して下さった事がせめてもの救いでした。
只、母はグーグーといびきをかいて寝ているだけでした。

母との別れ




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それは突然やってきました。夏休みに入った頃の7月24日夕方、お世話になっていた施設で夕食を終えてまだ食堂にいた時、母がぐったりし意識がなくなり、救急車で病院に運ばれました。連絡を受けた私たち姉妹は病院へ駆けつけましたが、母の意識は戻らずスースーと眠っているだけでした。以前に脳梗塞になり、気がつかないくらいの兆候があったので、今回おきた脳梗塞が致命傷になったとの事でした。90も半であっても、しっかりと私達と話のできる母でしたが、奇跡が起きない限り意識が戻ることはありませんとの担当医師からの説明にただ呆然とするだけでした。
少し前、いろんな出来事があったので、先生にストレスが原因でしょうか?と聞くと「寿命です」とはっきりおっしゃったその言葉に、ホッとしたものでした。この時の私達にとっては、ただの慰めの言葉は辛く心が重くなるだけですから・・・

あい工房の庭でバーベキュー 今年もカラオケ教室の皆さんとの楽しい集いを行いました。夕方、太陽が西に傾き始めると、自家製の野菜を手に集まり、準備にかかります。80歳を超えた信子さんも「あーえらー。やっと歩くのー」と言いながら、楽しそうに一緒に野菜を切って下さっています。
8人家族で賑やかで幸せな信子さんは、家族の応援があって元気にカラオケ教室に通って来られます。

音楽の交流会を開きました

6月のある日の午後、私達しの笛の山田さんと交流のある、ギター、オカリナ、にこ、初めて見る楽器、そしてしの笛の約15名がそれぞれの練習の成果を披露しました。気負う事なく楽しく集うことを目的とした初めての交流会でした。
演奏後、一品持ち寄りのティータイムでは話が弾み、時の流れの速いこと。又の再会を約束して第1回目が終了しました。
富山、高岡まで しの笛奏者の鯉沼氏の演奏会があると聞き、主人の運転で出かけました。あいにくの雨でしたが、今年に入り家庭の事情で例会には参加出来なかった仲間との久しぶりの再会に、皆で話しに花が咲き「高岡ってこんなに早く着くのね」。さて、素晴らしい演奏を聴く前に美味しいお寿司で腹ごしらえをして、由緒ある国宝級のお寺さんへと向かいました。
同じ笛の音を愛する仲間と一緒に聴ける幸せを感じた一日でした。

心に残る曲・・




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「1964(昭和39)年1月に発表された約7分の雪村いずみさんの「約束」も忘れられない曲の一つです。私が初めて買ったレコードです。プレーヤーも無いのにレコードを買い、この曲が聴きたくてプレーヤーを買った記憶があります。たぶんラジオで聞いて感動したのだと思います。

 その日 ぼくが石けりしてると パパが家から出て来て言った
 「坊や いそいで帰ってくるんだ ママがお前に会いたいそうだよ」
 ぼくはパパに小声で尋ねた
 「そいじゃ ママはもう死んじゃうの」・・・・・・6分40秒の歌詞が続きます。
この曲を聴きながら涙が溢れたのを思い出します。今はCDで持っています。
もう一曲、ニニロッソの夜空のトランペットも大好きで、昔レコードを買いました。雄大なトランペットの音色に心があらわれるような気がします。


丸山明宏さん時代の
懐かしい思い出
今から40数年前の話。私が高校3年の頃だから、ヨイトマケの唄がヒットした1966年頃だったと思います。武生の文化センター?に来た美少年の丸山明宏さんのコンサートを聴きに友人4〜5人で出かけました。学校の帰り、武生駅にカバンを預けていこうという事になり、それぞれが預けようとしたら駅員さんが、「紐をあげるからカバンの持ち手に通しなさい。そうしたら1個分の料金でいいからね」とお金のなさそうな女子高生に粋な計らいをして下さったのが嬉しくて「ありがとう」といって元気に会場に出かけました。
入場料がタダのはずもなく、その頃はコンサートに行く事など殆ど無かった私達が、なぜ出かけたのかは全く記憶に有りませんが、そこで丸山明宏さんの唄う「ヨイトマケの唄」に感動した事を今も思い出されます。きっとラジオから流れるこの曲を聴いて感じるものがあったのでしょうね。
懐かしく楽しい若い日の思い出です。

美輪明宏さん 昨年暮の紅白歌合戦に美輪明宏さんが初出場されました。普段テレビ等で拝見する衣装とは違い黒で統一された中から聞こえる約6分の歌声に、息を潜めながら聞き入りました。 「ヨイトマケの唄」は、美輪さん自らが作詞作曲した1966年のヒット曲で、幼少時に一緒に育った友人の、亡き母を回顧する歌。 ワークソングなので、色がついていると邪魔と全身黒ずくめの男装姿で「ヨイトマケの唄」を熱唱されました。

平成25年巳年はどんな年?

平成25年(2013年)の干支である巳は胎児の成長の始まりの時のまだ頭と体がはっきりとした形を表していない時期の姿を現しているといわれています。
また巳(へび)は再生の象徴として生物の成長の中で最高潮に達している事を意味し、次の生命が作られ始める時期ともいわれています。新たな何かが生まれる時期というところでしょうか。
年の初めにこの言葉と出合って、今年が嬉しい年になりそうな気がして来ました。

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