「国家資本主義の限界」~中国崩壊の危機

 「中国農民工調査」に見る中国経済の危険信号

中国崩壊

 2013年5月、中国国家統計局は「2012年全国農民工監測調査報告(以下『中国農民工調査』という。)」を発表した。「農民工」は、安価な労働力として中国の労働市場を支え、「農民工」の存在なくして中国の驚異的経済発展は成しえず、今なおその動向が中国経済の将来を左右するといっても過言でない。

 その労働市場に、異変が起きた。出身農村部から他省都市部に流入していた農民工(外出農民工)の流れが変化してきたのだ。

 2012年「中国農民工調査」において、これら外出農民工が流入していた中国東部の沿岸部での農民工は全農民工数の64.7%と前年より微減しており、当時の7%以上の経済成長率を誇っていた中国の統計数値から見れば、生産活動の活発化に伴い労働資源へのニーズが増加しなければならないにも拘らず、これと背離した数値を示した。

 これら要因としては、中央政府による中国中西部の開発施策によって経済発展の進んだ地方都市における労働市況が改善され、その省内で出稼ぎする「本地農民工」が増えたことも事実であるが、中国の経済的大発展を牽引してきた東部沿岸部の工業地帯での「民工荒(労働力不足)」の再来は、中国経済の行方に暗い影を落とした。

 文革以後、鄧小平の指導の下、中国流の市場原理に基づく徹底した「国家資本主義」体制により世界第2位の経済大国に台頭した中国の内部で何が起きているのか? この動きが「中国崩壊」の危機にどのように結びついているのか? 検証したい。

中国の「国家資本主義」とは?

 中国は、いわゆる「国家資本主義」なる経済フレームを採っている。
 1991年12月のソ連崩壊は、第二次世界大戦後、世界を二分してきた西側の市場原理に基づく自由主義経済と東側の計画経済との相克に終止符をうち、誰もが共産主義国家の経綸を支えてきた「計画経済」という経済制度の瓦解は、共産主義体制という統治機能そのものの崩壊につながると考えていた。

 しかし、中国では1977年の「文化大革命」の混乱の後に復活した鄧小平が実権を握っていたが、その後「改革・開放」路線に基づく経済改革を進めた鄧小平が領導する中国共産党は、旧ソ連が犯したソ連共産党の一党独裁の放棄とそれに続く国家の混乱を見て、引き続く「中国崩壊」という危機を避けるため、政治面での中国共産党の指導的地位(共産党の一党独裁)の原則を堅持しつつ、経済面で市場原理を重視した積極的な開放政策を採る「社会主義市場経済」と称する「国家資本主義」の道を突き進むこととなった。

 国際政治学の俊英 イアン・ブレマーは、その著書「自由市場の終焉ー国家資本主義とどうたたかうか」で、このような「国家資本主義」の本質について、

○ 「自由市場経済」では、政策当局が国家資本主義的施策を採っても経済再建・景気回復等一時的措置を意図しているが、「国家資本主義」では国家戦略に根ざした長期的な政策判断として決定される。
○ 「国家資本主義」は、市場から国民に果実・機会をもたらすものとしてではなく、主として国益、あるいは少なくとも支配者層の利益を増進させる手段とみなしている。
○ 「国家資本主義」は、国内と国際舞台の両方でその政治・経済面の影響力を拡大する狙いから、市場を活用する。

と定義し、これらが中国共産党一党独裁体制をとる中国の統治と危機を管理するツールとして存在し、その結果如何が「中国崩壊」の危機を防ぎ、中国支配層の生き残りを決定づけると指摘している。

自由市場を席巻した中国の「国家資本主義」

 1991年のソ連崩壊により、西側の市場原理に基づく自由主義経済は、世界を経済繁栄に導くドクトリンとして揺るぎないものとなったかに見えたが、2007年のリーマン・ショック等金融危機において国境を越えた市場の巨大化に十分に対応できない「金融グローバリズム」的側面の脆弱さが世界を混乱に導き、今もなお有効な対処療法を世界に提示できていない。

 その一方で、政府主導の資源等の輸出拡大を図るため、基幹産業に対する人事・経営への直接関与など経済活動の統御に国家権力が全面介入する国家資本主義を採る国々が増加している。この現象は、「計画経済・統制経済」の理念は放棄したものの、自由市場に基づく経済活動の効率性や安定性等に懐疑の念を抱く国家的支配者層が世界に少なからず存在していることを示している。

 世界的に台頭する「国家資本主義」国の中でもひときわ異彩を放っているのが、急激な経済成長によりGDP世界第2位の経済大国に成長した中国の存在である。
 中国は1993年の憲法改正により、その経済制度を従来の「社会主義公有制を基礎とする経済制度」から「社会主義市場経済制を実施する」に改めた。

 ここでいう「社会主義」とは「経済的資源、天然資源等(土地・労働・生産設備等)の公有制」を意味し、「市場経済制」とは市場の需給と価格の調整機能により経済運営を行うことを言う。
 そして、このような公有化されている各種資源こそ「中国崩壊」の危機を回避し、「CHINA MIRACLE(中国の奇跡)」という中国の発展を支えた原動力となった。

中国の「国家資本主義」の繁栄を支えた「農地」の強制収用

 中国の急速な発展(工業化、都市化)は、大量の農業用地を建設用地に転換したことにより成り立った。このような建設用地への転換は、1984年以降の「対外経済開放区」開発、1992年の鄧小平の「南巡講話」以後の沿海部を中心とした外国企業等誘致する工業区の開発ブームにより拍車がかかった。

 加えて、1992年発出の「不動産業の発展に関する若干の問題点についての通知」、1998年改正された「中華人民共和国土地管理法」および2001年発出の「国有地資産管理の強化に関する通達」の一連の流れのもと、農村部の集団所有地に対する土地開発権限(収用・認可権)が地方政府に一元化されていき、沿海部以外の地方でも集団所有地の転用が急激に増加した。

 地方政府による集団所有地の「土地使用権譲受・譲渡」名下の「強制収用」は、集団所有地を地方政府が土地開発権限に基づき収用し、これを制度上「国有化」した後に開発業者等に有償譲渡する手法として多くとられたが、収用に際して支払われる補償費が低く抑えられた(補償基準に農地転用による価値増加分が反映されない。つまり、地価上昇分の利益は農家に配分しない。)ため、十分な補償のないままに農地から追い出される「失地農民」が急激に増加した。

 地方政府の無制約な「土地収用」は、中国国内の各地方政府が互いに競合する「外国企業誘致工業区」の開発に拍車をかけたが、それ以上に財政難に陥っていた地方政府に膨大な収入(土地使用権譲渡収入)をもたらす「錬金術」として多用された。

 改革・解放が始まった1978年からこれまでに1,000万haを超える耕地が消失し、「2011年中国都市発展報告」(中国社会科学院)によれば、その失地農民数は四千万人を超えると言われており、地方政府によるこのような「土地の強制収用」は、全国的な「群体性事件(集団抗議活動)」の高まりの誘因となっており、中国政府の統治機能を脅かす社会問題となっている。

中国の「国家資本主義」の繁栄を支えた「農民工」の低賃金

 世界を席巻した中国製品の市場支配を支えたのは、「農民工」による低廉な労働力であった。

 このような「農民工」を生んだ社会的背景には、農村部における「三農問題」があった。「三農問題」は、具体的には中国「農業」の低収益制と低生産性、「農村」の荒廃、「農民」の低所得と高負担の問題をいう。

 この「三農問題」のもともとを辿れば、毛沢東の大躍進政策の失敗と人民公社の崩壊に端を発した農村部の飢餓と困窮にたどり着くが、「三農問題」の根源に深く関わる「生産請負制」・「郷鎮制」・「農村戸籍」等は、農村の人・モノ・金という資源を都市化・工業化に傾斜配分するための施策として逐次制度化され、長年にわたり、農業からの搾取や農民の差別が行われてきた。とりわけ農民の都市への流入を制約する「農村戸籍」は社会的・身分的差別として、中国社会の歪みの象徴となった。

 また、80年代半ばのいわゆる「先富論」による沿岸部での特区制定などにより繁栄する都市部に比して農村部はますます立ち後れることとなった。2004年当時の農民一人当たりの耕地面積約0.4haは十数年後の現在もほぼ変わらない。このため、農業の集約化・大規模生産等による生産性の向上や収益性の改善、国際競争力の強化等は見込めない。

 必然的に、零細な農業収入で生活できない農民は現金収入を得るため都市部へ出稼ぎに行かざるを得ないが、2003年中国国務院白書「中国の雇用状況と政策」によれば、当時その数だけでも9,800万人を超えていた。以来、「農民工」の総数は右肩上がりで増え続け、2013年「中国国家統計局・中国農民工調査監視報告」発表では、2012年現在の農民工総人数は2億6千万人に達した。

 中国の経済発展の原動力となったアパレル・各種組み立て等の産業は製品の付加価値が低い反面労働集約型で多数の労働力に依存するため、結果として企業活動面での賃金コストの割合が高い。
 「農民工」の低廉な労働力はこれら企業の生命線と言っても過言でなく、加えて「農民工」という身分的に脆弱な立場は、企業内における低賃金・賃金不払い問題や劣悪な労働環境を生み、多くの雇用主は「農民工」に対する各種保険(養老・医療・失業・障害等)の加入をサボタージュしている。

どこに消えたか?「農民工」

 上述の「中国農民工調査」のとおり、外出農民工が流入していた中国東部の沿岸部での農民工数の減少は、経済活動の活発化と背離した数値を示した。

 このような背景について、沿海部都市の象徴である上海を参考にして見てみたい。

 1992年の鄧小平の「南巡講話」を契機とした広東省など沿岸部における特区制定などにより、上海は「農民工」の低廉な労働力に着目した外資系の労働集約型企業の大規模な設備投資を受けて驚異的な経済成長を果たしたが、2003年頃からいわゆる「民工荒(労働者不足)」が再び顕在化していった。

 労働者不足による労働力の需給バランスの偏りから、上海における最低賃金は2004年(400元弱/月)と2013年(1600元弱/月)を比べるとこの10年で4倍の上昇を示し、その上昇した最低賃金額は、中国国内でもトップクラスであった。

 それにも拘わらず、中国内陸部からの農民工(外出農民工)が減少傾向に転じているのだ。

その減少傾向の背景には、

○ 上海の製造業の多くが未だに労働集約型産業の域を脱しておらず、これら企業は「長時間・単純労務」に耐えうる15~39歳の生産年齢人口を主体とした「農民工」に依存していたが、この年齢層に該当する農村部の家族労働力が枯渇し「民工荒(求人難)」の状態となり、必然的に既存「農民工」の高齢化が加速
○ 上海などにおける急激な都市バブルにより「農民工」の住居費や生活コストが上昇し、中国中西部の開発施策によって経済発展の進んだ地方都市の「農民工」に比べ生活収支的に割が合わない。
○ 「都市戸籍」を有しない「農民工」は、かつて都市住民から「盲流(当て所なき流民)」の蔑称で社会的・身分的に「二流市民」扱いを受け現在に至っており、「都市戸籍」者が享受する各種制度の恩恵を受けることもなく、企業における社会保険(養老・医療・失業・障害等)の加入率も10%台と差別されている。
○ 「農民工」の「都市戸籍」の取得は容易でないことに加えて、万一「都市戸籍」を取得した場合、「農村戸籍」を前提に農村小組・村人民委員会から借り受けている農地の使用権を喪失する。

など挙げられ、長江デルタ(上海、南京、杭州、蘇州、無錫、寧波等諸都市)、珠江デルタ(広州、東莞、深セン等諸都市)の東部沿岸各都市も共通する問題を抱えている。
 
 長江・珠江デルタの先進都市における「民工荒」の現象を捉えて、一部の論者は中国が労働搾取型経済を脱却し、近代的工業化社会へ移行するいわゆる「ルイスの転換点(発展途上国を構成する農業部門と工業部門の中で、工業部門の発展により農業部門の過剰労働力が工業部門に完全に吸収される転換点)」を通過しつつあるとしている。

 しかし、農村の現状は、農地の使用権という既得権益を守るために「農村戸籍」に固執した農家の世帯主などが零細規模(一人当たり平均農地面積0.5ha)の営農に多く従事しており、その労働生産性(生産面での労働の効率)の低さから、農村部の労働資源は未だ過剰と言ってよい。

 このように、中国経済は「ルイスの転換点」を通過する以前に、農村部に過剰な労働力が存在しているにもかかわらず、都市部において労働力の枯渇に直面している。

中国の「国家資本主義」を脅かす「戸籍制度」の制度的疲弊

 「農村部」から「都市部」への労働力の移動を妨げている大きな障壁は、中国の社会的・経済的な二重構造を形作っている「都市と農村の分離」を目的とした戸籍制度にあった。

 1949年の中国共産革命後、中国共産党は中国全土の大部分を占める農村を支配し、中国人民の大多数を占める農民を中国共産党の指導のもとに統治するための「装置」として、「合作社(中国の協同組合)」の組織化(「農業合作化運動」)を農村部において急激に推し進めた。しかしその農地改革の性急な取り組みと自然災害の多発により多くの農村部で凶作・飢餓が生じ、飢えた農民の群れは都市部に流れ込んだ。

 1956年中国政府は、このような飢餓農民の都市部への「盲流(当て所なき流民)」を阻止するため、「中華人民共和国戸口登記条例(以下『戸口登記条例』という。)」を制定した。このため農村部公民が都市に転出しようとしても、都市部就労先の採用証明書、修学先の入学許可証等がなければ転出手続き申請が出来なくなり、農民の都市への転出が困難となった。

 あわせてこの条例を担保するため、都市部での「都市戸籍者」のみに対する食料分配制・就業制度・社会福利補償制度が整備され、都市における「農民戸籍者」は「都市戸籍者」が享受するこのような各種制度の恩恵を受けることもなく、都市住民から「盲流」の蔑称で呼ばれ、社会的・身分的に「二流市民」扱いを受け現在に至っている。

 だが、これら「戸口登記条例」等による「農村戸籍者」の都市流入抑止対策は、その後の東部沿岸都市部での急激な経済発展による労働力不足とこれを受けて都市に流入する大規模な「農民工」の現実の前に、制度的に形骸化してしまった。

 東部沿岸都市部における労働力の枯渇を解決するためにも、「戸籍制度」による農民の都市転出規制の緩和や都市部における「農民工」への食料分配制・就業制度・社会福利補償制度の拡張整備などが喫緊の課題となっている。

 しかし、中国の指導者は、都市と地方との経済格差が約3倍の中での都市空間への移動の自由等がどのような事態を招くか焦慮しており、政策的転換に手を拱(こまね)いている。
 その背景には、中国の「戸籍制度」が中国共産党の一党支配体制維持のためのツールとして存在し、行政的側面・経済的側面から「戸籍制度」を改編することは、中国農村部の壊滅以上に中国共産党の消滅や「中国崩壊」という体制崩壊にもつながる可能性を彼らが理解しているからだ。

 この「戸籍制度」の制度的疲労に対し有効な手立てを講じることも出来ないままでは、中国東部沿岸都市部の労働力の枯渇は労働賃金の高騰の押し上げ材料となり、そして、賃金コストの上昇は「農民工」の低廉な労働力により成り立っていた中国の労働集約型産業の輸出競争力を弱化させ中国経済に大きな影響を与えていくことになる。

 労働生産性に見合わない賃金コストの上昇は、企業の単位労働コスト(賃金/労働生産性)の上昇をまねく。
 日中を対比すると、それまで日本の下位であった中国企業の単位労働コストがはじめて日本を上回り(2014年比較、SMBC日興證券推計)、以後、逆転した位相は年々拡大し中国の労働市場としての魅力は失われた。

 以上のような、戸籍制度改革の逼迫性と改革に伴う中国農村部の破滅的混乱に対する生存本能的な恐怖感のジレンマの中で、中国指導部は、2013年11月に「改革の全面的深化における若干の重大な問題に関する中共中央の決定」を発出し、その中で戸籍制度改革の必要性とその一層の推進を強調した。

 これを受けて、中国国務院は2014年7月「戸籍制度改革のさらなる推進に関する国務院の意見」を発表し、農業人口の都市への移転促進や一億人の農民工への都市戸籍付与などの方針を打ち出した。
 しかし、その中身は、中国農民の都市への移動の自由を保障したものでなく、移動先の都市の規模に応じ、都市移転の条件を定める裁量権を都市に委ねたものである。
 このため、労働力の枯渇する中国東部沿岸都市部にとって、都市戸籍を条件として、農村の優秀な人的資源(専門性の高い知識・技術を持つ)確保が容易になる反面、生産性が低く経済的に疲弊した農村部での人的資源の劣化がさらに進み、都市と農村部の相対的な格差はますます広まることとなる。

 中共建国以来の歴史を振り返ると、中国共産党指導部の「中国農民の犠牲の上に、都市化・工業化を図る。」という目的の誤謬が、「人民公社」・「生産請負制」・「郷鎮制」・「農村戸籍」・「先富論」等の手段の誤謬を生み、この手段の誤謬により農村・農民の悲惨な結果が生まれているのだが、この「戸籍制度改革」も新たな「誤謬」として中国農民を苦しめることになるだろう。

 中国の指導者は、中国経済の外需中心の経済構造の脆弱さを理解しており、中国国内の経済発展を促進して中国国内に成熟した消費型社会を構築し、各種産業の内需志向・拡大を図り、内需中心の経済構造へのソフト・ランディングを目論んでいる。

 だが、2015年の中国の一人当たりGDPを見るとドル換算で8,140ドルとアフリカ・ガボン共和国(7,692ドル)を若干凌駕する程度の中進国並の数値であり、加えて、中国GDPについても、米誌「Foreign Policy:Mapping China's Economic Activity 2014/03/28」のとおり、長江・珠江デルタの沿岸諸都市を含む全国35都市のGDPが中国GDP(9兆1,000億ドル余:2013年統計)の半分を占めた。
 この統計数値を見る限り、中国には経済繁栄を謳歌する少数の都市が点在するものの、中国の大部分の地方では都市部との8倍以上の経済格差を抱え発展途上国並の生活レベルで困窮している実態が垣間見える。
 そして農村部には、農民工を除いても6億人にものぼる農業戸籍を保有する、高齢者など貧困者が多数存在しており、あわせて農地の低収益性から内需を刺激する購買力の萌芽もない現状の前で、消費型社会の構築のビジョンは「画餅」の域にも達していない。

 いずれにしても、「国家資本主義」陣営のリーダー的存在である中国の内情は危機的状況にあり、近い将来において「自由市場」陣営は闘うことなく、中国経済の崩壊を目の当たりにするだろう。
 その意味で、中国とこれからいかには闘うかを考えるよりも、中国経済の崩壊という「spiral(悪循環連鎖)」に入った「china risk(チャイナ・リスク)」をいかに軽減するかを考えなければならない。

世界の「国家資本主義陣営」の行方

 イアン・ブレマーは、著書「自由市場の終焉ー国家資本主義とどうたたかうか」で、さまざまな国家資本主義国を挙げている。

 イアン・ブレマーによれば、大別して

○ 計画経済を放棄し、国家資本主義経済を選択した旧共産主義国~ロシア、中国
○ エネルギーナショナリズムに依拠した反植民地主義国~イラン、ベネズエラ、メキシコ、マレーシア
○ 支配体制維持、権力拡大のためのツールとして国家資本主義経済を採る国~サウジアラビア(王室)、ロシア(権力者層)、中国(共産党幹部)
○ 議会与党の地位確保のため、国家資本主義の手法・手段を用いる国~インド、マレーシア、南アフリカ

などに区分けできるが、この中でも国際政治やグローバル経済に大きな役割を果たしている一部の国家資本主義国が自由市場の将来に本質的な挑戦状を突きつけていると指摘している。

 このような「国家資本主義」強国の例として、ロシア、サウジアラビア、中国を挙げその内実を分析したい。

資源大国ロシアの「国家資本主義体制」の脆弱性

国家資本主義

 2000年新生ロシアの第2代大統領に就任したプーチン施政下でロシアは急激にその「国家資本主義体制」を発展拡充した。
 とりわけ徹底した資源ナショナリズムを背景に、ガスプロム(半国営・天然ガス企業)とロスネチフ(国営石油企業)をエネルギーセクターの独占的な基幹企業に育て上げたほか、2008年には、国家戦略的に重要な経済セクターのロシア企業への外資による出資についてはロシア政府の承認を必要とするとして実質上外資の締め出しを図った。

 このような急激なロシア政府の強権的施策を可能にしたのは、国際的に高騰した原油・天然ガス価格(WTI原油価格:1998年14ドル/バレル→2012年94ドル/バレル)の影響があった。

 「BP:Statistical Review of World Energy 2013」によれば、ロシアは、2012年の世界の原油生産量の12.8%、天然ガス生産量の17.6%を産出したが、国際的に高騰している原油・天然ガス価格の恩恵を受けて膨大な収入がロシアにもたらされ、新生ロシアの経済再生に弾みをつけた。
 そして、経済的な追い風を受けたプーチン政権は政治的安定を確保し、潤沢な財政収入を駆使して外資権益の接収や基幹企業の国有化等に邁進してきた。

 しかし、プーチンの「強いロシア」の野望を支えているこれら原油・天然ガスの収入は、既に連邦予算歳入の50.2%(ロシア財務省2012年資料)と極めて高い比率に達しており、原油・天然ガスの国際価格の高騰に頼るロシアの財政基盤の脆弱さを物語っていた。

 2014年3月に勃発した「クリミア危機」をめぐるロシアとウクライナの緊張関係を背景に、ロシアのウクライナに対する武力的挑発や天然ガス供給停止等の経済制裁も必至の情勢であるが、ロシアのウクライナに対する強硬姿勢は西側の経済制裁(原油・天然ガスの輸入制限、投資抑制等)を喚びロシア経済への悪影響(ロシア原油の70%が欧州向け→原油価格の下落)へとリバウンドされる。

 ロシアは2016年連邦予算の歳入編成の基準となる原油予想価格を公称で1バレル50ドルに想定し、国家予算の収支のバランスを図ろうとしているが、原油価格の急落(1バレル30ドル台)はその足下を大きく揺るがし、歳入は当初予想を大きく下回っている。

 近時、シェールガス増産の余波を受けて、売り手市場であった欧州ガス市場も軟調に推移し、高値のロシア産天然ガスは敬遠され始めていたが、「クリミア危機」を契機にアメリカの欧州向け「シェールガス」供給が本格化し、ロシアの在来型エネルギー資源価格が下落すると、ロシア連邦予算の歳入不足という財政上の危機的状況を迎える虞があり、「シェール革命」の進展はロシア凋落の引き金となる可能性がある。 

サウジアラビアの「国家資本主義体制」~消えゆく「蜃気楼」

 1988年、サウジアラビアは高揚する資源ナショナリズムの流れを背景に、長年の欧米系石油メジャーの石油科学部門の支配を脱するべく、国営石油会社「サウジアラムコ」を設立し、1976年設立の国営企業「サウジアラビア基礎産業公社(SABIC)」とともに原油・天然ガス等の石油化学部門の独占的権益を付与した。爾来、「サウジアラムコ」と「SABIC」はサウジアラビアの国内外における石油戦略を担ってきた。

 このような「国家資本主義体制」により莫大な石油収入を得たサウジアラビアでは、支配層のサウド王家の体制維持のため、国民への果実の分配(納税免除、社会保障の充実、補助金、雇用機会の提供等)に取り組んできた。

 しかし今、サウジの富を生む源泉である原油を取り巻く情勢に異変が生じつつある。

 2011年にサウジアラビアの投資銀行Jadwa Investmentが発表した「2030年予測」では、年々増加するサウジアラビア国内での石油消費量が650万バレル/日まで達し、自家消費分を除いた原油輸出量が450万バレル/日まで減少すると分析している。
 
 原油輸出量の減少は、必然的に国庫の財政収入の枯渇となり、サウド王家の体制転覆の動きにもつながる恐れのある「国民への果実の分配」の停止は選択肢としてなり得ないため、サウジアラビアの歳入不足による財政赤字化が避けられない問題となってくる。

中国の「国家資本主義体制」~「胥吏(しょり)」の国の末路

 2016年3月10日、北京で開催中の全国人民代表大会において、中国最高人民検察院・曹建明検察長はその活動報告の中で、2015年中贈収賄等で立件された公務員数が五万四千余人に達したことを明らかにした。この中には、閣僚級以上の高級幹部四一人などが含まれていた。

 このような腐敗官僚の跋扈(ばっこ)は、中国の歴史的な無形文化遺産と言ってもよい。

 「国家資本主義体制」の中国は、その深層部では、古代中国から連綿と続く歴史的な「胥吏(しょり)」の国であることを忘れてはいけない。

 「胥吏」とは、古代中国から近代中国まで続いた官吏の任用制度で、身分的には官人でなく民間人のままで、一種の徴用的扱いであった。このため、「胥吏」には俸禄は存在せず、職務関係上の手数料名下で庶民から金品を徴収するなどして生活費を得たり利権を獲得していたが、これらは実質的な役得・賄賂として「胥吏」の懐を潤していき、また一族の繁栄にもつながっていった。

 この一千五百年以上にわたる「胥吏」の存在とその「胥吏」の職分が役得・賄賂にあることは中国の常識であり、跋扈する腐敗官僚が今様の「胥吏」であることを中国国民は熟知している。

 そして、このような「胥吏」の一群が近い将来の中国経済の崩壊とそれに伴う社会的騒乱を予見し、不正利得した資産を海外移転したり、海外に配偶者・子女を住まわせ、本人だけが中国国内で単身赴任している実態が明らかになり、問題となっていった。

 2014年1月22日、英国「the guardian」紙のウェブサイトは、同サイトが「中国の政治・軍事面の最高首脳(習近平総書記)の義理の兄弟がカリブ海の租税回避会社を利用していることを明らかにした」21日から、中国国内での同サイトへの部分的アクセスが出来ない状況であることを公にした。

 「the guardian」紙ウェブサイトは、

 中国上層部階級による極秘の財務システムの利用状況の暴露は「調査報道記者の国際的共同体(ICIJ)」による二年がかりの努力によりレポートされ、英領ヴァージニア諸島の二つの租税回避会社からリークされた財務データは200ギガバイト以上のデータ量にのぼり、guardian紙と国際的ニュース機関にもたらされた。
 リークされた財務資料に基づくレポートは、習近平国家主席の義理の兄弟と、温家宝前首相の子息と義理の息子を含む1ダース以上の現在及び元の指導者のファミリーが租税回避地を利用していることを明らかにした
 保有資産に関するレポートの全文はフランスのLe Monde,ドイツのSuddeutsche ZeitungとカナダのCBC Newsのウェブサイトで読むことが出来る。
 中国当局者とそのファミリーの資産については、指導者となった習主席の腐敗防止と質素に向けたキャンペーンの観点から、とりわけ大きな興味の的となってきている。
 資産公開の推進を含めたキャンペーンを展開する中国の活動家達(街頭抗議で当局者に彼らの資産の公開を呼びかけている)は、当局の懲罰的な取り締まりに直面している。新公民運動活動家としてよく知られているXu Zhiyong(許志永)はこの水曜日に北京の法廷に立っている。一方新公民運動の他のメンバー達はこの木曜・金曜日に街頭活動を行おうとするだろう。
 ICIJのデータはカリブ海の租税回避地を利用している中国本土と香港の21,000人以上の顧客を暴露し、中国の血縁関係で結びついてる一族郎党による富と権力の集中についての詳しい調査が求められている。
 しかし、中国政府当局者だけでなく関係している一族郎党も公の資産公開を義務づけられていないため、中国内外の市民たちは、エリート達の租税回避を容易にする海外の仕組みの利用やその海外への送金について大きな闇に取り残されている。
 中国国内においてブルームバーグとニューヨーク・タイムスのウェブサイトは、2012年の習近平・温家宝を含めたリーダー達一族の海外資産の報道によりアクセス不可能になっている。両報道機関はまた新たなレポーターのビザ取得ができないでいる。

旨伝えていた。

 「the guardian」紙ウェブサイトが伝えていたとおり、共産党・政府高官の資産公開などを求めていた「新公民運動」のリーダー・許志永氏に対し、2014年4月11日、北京市高級人民法院(高裁)は許氏の上訴を棄却し、一審判決の懲役四年が確定した。

 許氏は、高裁裁判官が判決理由を開示する際、「でたらめな判決は人類の文明が進歩する潮流を遮ることが出来ない。」と批判し、「共産専制のもやは必ず晴れ、自由・正義・愛という太陽の光が中華を広く照らすことになる。」と述べた。

 中国の最高指導者もまた腐敗官僚と同じ穴の狢(むじな)であり、このような小「胥吏」の類いを指導者として戴く中国国民に憐憫(れんびん)の情を感じざるを得ない。

「国家資本主義」の限界~「自由市場」に未来はあるか?

 上記のように、勢威を振るっていた「国家資本主義」体制も、イアン・ブレマーが洞見しているように、主として国益、あるいは少なくとも支配者層の利益を増進させる手段として機能しており、市場経済から享受する果実や機会を国民にもたらすものでない。

 このあたりの「国家資本主義」体制の基本的性格については、インド出身の歴史学者 ヴィジャイ・プラシャドもその著書「 The Darker Nations:A People's History of the Third World(褐色の世界史:第三世界とはなにか)」(水声社刊)でその歴史的変遷とともに詳述しているが、その序に要約した形で

○ 植民地主義、帝国主義勢力との闘いのために、あらゆる政治グループや社会階級の連帯が強化された。幅広い支持を受けた社会運動や政治組織が、新しい国家のために自由を勝ち取り、権力の座についた。しかし、政権を掌握すると、何があっても維持されてきた団結への固執がマイナス要因になる。こうした運動の大半では、労働者階級と農民が、地主や新しい産業エリートと協調することに同意していたのだった。
○ 独立を手にすれば、新しい国家が社会主義計画を進めていくと信じていた人々もいた。しかし代わりに人々が得たのは、アラブ社会主義、アフリカ社会主義、サルウォーダヤ、ナサコムというような妥協の産物、つまり平等の約束と社会階級の維持を組み合わせた思想であった。
○ これらの政治体制は、新しい社会を創出する手段を示す代わりに、古い社会階級のエリート層を保護しながら、人々には社会福祉的な要素を与えたのである。

と批判的に概説している。

 このように、立ち位置が180度違う二人の論者が期せずして、「国家資本主義」の限界を指摘しており、「国家資本主義」経済が「自由市場」経済に取って代わることの出来る経済フレームには成り得ない所以である。

 とは言え、現状の市場は、エネルギー・穀物・鉱物等各種資源の逼迫した需給関係を背景に「国家資本主義」国による政経一体となった介入や、グローバルマネーによる際限なき投機行為などにより、その本来的機能が不全状態にあることは事実である。

 市場がグローバル化し、国境や国家の権能を超えたヴァーチャルな空間で経済活動が行われているにもかかわらず、国際政治学者 若泉敬が英語版「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」序文で長嘆息したように、世界は「独立と安全保障、領土の保全は絶対なりと古典的に定義されたいわゆる主権国家が大小合わせて百八十にも及び、それら主権国家の対等平等の原則の上に成り立つ国際社会の基本構造は変わっていない。」

 自由市場が終焉を迎えないとしても、市場経済の大変動に対処できない古典的「世界」に未来の展望は開けないことは確かだ。


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